共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 旅するテント劇団どくんご・「愛より速く」北越谷さくら広場公演を観て ― くりかえしを共に生きる鬼

<<   作成日時 : 2016/07/17 17:42   >>

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旅するテント劇団どくんごの北越谷公演を6月29日に見てから、もう半月以上が過ぎてしまった。いつののように目まぐるしい場面転換をちょっとでもメモしておこうと、ありあわせの紙に自分なりのキーワードを書きつけたつもりだっがた、そのメモもどこかへ消えてしまった。というのも、障害者の職場参加をすすめる会で6月12日に開催した定期総会の記念シンポジウムの報告をまとめるのが先決だったから。そして、ようやくそのシンポ報告をアップでき、さあどくんごを書こうと思ったのが昨日だったのだが、ほとんど思い出せない。

  それでまず、当日撮った写真を眺めてみた。冒頭の写真は、終わりのほうのシーン。男が、内容は忘れたが街の日常(?)を語っていた。そこに蝶が舞い始め、その数が増してゆく。蝶たちが空間を占め、2Bが繰り返す語りが断片的になってゆく。テントの奥が開かれ、蝶たちは広場へ拡がり出てゆく。……少しだけ思い出した。

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 繰り返しといえば、筆者が見たどくんご公演で必ず演じられる「〇〇が△△になったので◆◆が●●;になった」という連鎖式。たぶん上の写真がそれじゃないかと思う。これと別にシリトリ合戦もあったっけ。

 ここから筆者が湧かせたイメージは下の写真。

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 映画 「去年マリエンバートで」(脚本アラン・ロブ=グリエ、監督アラン・ レネ)。たしか、60年代に新宿のアートシアターで見たが、半分眠りながらだった。黒澤明の「羅生門」(原作・芥川龍之介「藪の中」)に触発されて作られたといい、同じ出来事が異なる者の視点から繰り返し語られる。少しだけ変わりながら繰り返される。それが眠りを誘う。眠りと覚醒の波打ち際を歩く。

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 どくんごの芝居も繰り返しが特徴だが、眠りに誘われたことはない。誘われることがあってもいいとは思うが。ネットで誰かがどくんごの公演に行き、前に座っている背の高い人の頭越しに部分的に観た体験がよかったと書いていたが、筆者も同感(上の写真)。ぶっつけ本番でいろんな観方ができるところがいい。

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 繰り返しといえば、上の写真のあやかしの異人さんは、前作「君の名は」に登場した人物と同じなのか、ちがうのか。開幕直後の、大海原で兄貴を探しつつボートを漕ぐ陽気な若者も。そして、下の写真の少女が抱く双子の姉(毛布のように見える)ドロシーは、以前の公演でくりかえし登場した犬の生まれ変わりか。

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 開幕前のアナウンスで、「ストーリーはない」と宣言された。そして、カメラはよいが、フラッシュや赤外線を出すなと注意があった。一緒に芝居を作って行こうよという切実な呼びかけと受け取った。

 どくんごの劇の作り方は、いわばスタッフ各自が育ててきた苗を持ち寄り、それを畑に一緒に植えてみて、交配したり根分けしたり、すったもんだしながらまとめ上げてゆくらしい。そうやって作り上げても、公演の旅に出る中で、その旅で出会う人々、出来事を通して微妙に変化し続けるのだと。

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 「一緒に」ということは「異和」をはらむ。上の写真は、実行委員の一人でわらじの会の重度障害者・藤崎さんの歌。踊りがあり、伴奏があり、伴走者が小さな声で口ずさんでいるので歌とわかる。藤崎さんの叫びが「さっちゃん」の歌だと。どくんごは公演先の地元から、さまざまな異和を、幕間劇として織り込む。
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 もうひとつ連想したこと。上は、やまだ紫のまんが「しんきらり」に収録されている「バナナの出てきた日」と題する小篇。わが子に母が自分が小さかった頃の話をする。貧しかったので、「バナナを死ぬほど食べてみたい」と思ったこと。それを語りながら、わが子は自分の分身でありながら他者なのだと思う。言葉によって伝わるけれども、そのぶんだけかえって伝わらないことを感じる。しかし、そこで達観してしまうのではなく、「これから、うんざりするくらい、同じ話を何度でもする。」と自分に誓う。「『もういい』といったって、わたしが『もういい』と思うまで…何度だってする。」

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 ちなみにこの「しんきらり」の巻頭には、河野裕子歌集「燦」よりとして、「菜の花」と題する連作が引用されている(上)。そこに収載された歌をいくつか挙げる。
 
鬼などは来ぬやも知れぬ恍(くわう)くわうと身をおしつつみ菜の花ばかり

その背ゆらと菜の花はすぐに隠してしまふ鬼は恍となのはなのなか

しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳

菜の花に首まで隠れて鬼はひとり 菜の花に跼みて待ちゐてひとり

鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな

 親子、夫婦であれ、鬼なること、鬼待つこと、その関係を生きている。底知れぬ不安と恐怖を互いに膨らませながら、だからこそ共に暮らし、共に働いて生きる。鬼であること、鬼を待つこと―そこにこだわりながら生きる。

 「これからうんざりするくらい、同じ話を何度でもする」と言いきることによって、共に生きる。どくんごの芝居のいたるところに充満している「繰り返し」のエネルギーを、筆者は「しんきらり」と重ね合わせて受け取った。

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 先にも述べたように北越谷公演の実行委員会にはわらじの会のメンバーが参加しており、この日も障害者達がたくさん観に来ていた。

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 切符切りをしていた2Bさんは、ネタを仕込む期間中、わらじの会の夏の交流合宿やみんな一緒のクリスマスに参加した。どくんごのスタッフみんなが、それぞれにあちこちの地域に散って、さまざまな団体・個人とつきあってきたそうだ たくさんの鬼に会い、またさまざまな鬼になったことだろう。地域の日常のくりかえしの中には、無数の鬼の痕跡がある。
 蓬莱から来た鬼(カミ)が福を贈ろうと戸を叩くと、顔を出した里人がみな「わっ 鬼だ」と叫んで戸を閉めてしまうので、自分も怖くなって逃げ帰ったという。怖くて逃げるというのではなくとも、この筆者の文章のように、まったくの見当はずれの反応を、どくんごのみなさんはくりかえし受けてきたのだろうと思う。それでも、「これからうんざりするくらい、同じ話を何度でもする」といって続けてきたのが、どくんごなんだろうな。

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