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zoom RSS 地域のさまざまな関わり合いの中に編みこまれた介助を―26年目のケアシステムわら細工全体集会

<<   作成日時 : 2016/06/05 17:17   >>

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ケアシステムわら細工全体集会に参加。
 1990年に発足。この年、農家の奥で暮らしていた重度障害の姉妹が分家という形で小さな家を建ててもらい、他の3人の障害者と組んで世話人を確保し、5人各々が独立した世帯として生活保護を受給した上で、世話人の給料を確保するために県の生活ホーム事業を活用した。介助については、生保の他人介護加算を申請・活用するとともに、東京、大阪、札幌に続いて全国で4番目に埼玉県で実施された全身性障害者介護人派遣事業も活用した。とはいっても、どちらの制度も金は出すが人を派遣するものではないので、駅や専門学校、大学などでビラまきをして介助者を募った。このときに障害者も介助者も対等な立場で会員となり、介助の相互調整や連帯、外への発信、交渉等を進めてゆくためにケアシステムわら細工を発足させた。
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 90年代半ばからは、ケアシステムわら細工事務局が障害者の就労の場ともなり、JIL(全国自立生活センター協議会)の活動にも関わってきた。その後、介助を受ける側、する側双方の生活の持続という視点から、介助の専従化を進める動きが、登録ヘルパー制度の活用等に支えられ、全国で徐々に見られるようになった。しかし、ケアシステムわら細工のベースであるわらじの会では、上記の生活ホームに続き、別の農家の奥の障害者が家を出て暮らすべく、土地を寄付したいという申し出に応じ、生活ホーム(もんてん)を2階にして1階に当時法内施設としては最小だった通所授産施設(くらしセンターべしみ)を建てる形で社会福祉法人(つぐみ共生会)を設立した。そして、これらの小規模施設を拠点としてより多くの障害者が街へ出て活動する中で介助も得られるようになったため、介助だけの専従を置く必要は生じなかった。
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 ところが、2003年、国による支援費制度の導入を機に、自治体への登録ヘルパー制度が廃止され、法人格を持つ介護派遣事業所を設立しなければ制度利用ができなくなり、全身性障害者介護人派遣事業も利用できないとされた。そこでやむをえず、ケアシステムわら細工の中に基準該当事業所という簡便な事業所を設ける形で制度利用を継続させた。ただし、その後の働きかけにより、全身性障害者介護人派遣事業は、自治体単独事業として復活させることができた。事務処理上では、基準該当事業所では、重度訪問介護等の居宅介護を、事業所ではないケアシステムとしては生保他人介護加算や自費による介助を担っている形になる。
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 ちなみに全身性障害者介護人派遣事業(越谷市には知的障害者介護人派遣事業もある)については、障害者・介助者が自治体に登録する形で行われ、ケアシステムわら細工の事務及び会計とはかかわりない。しかし、無資格で本人同士の合意に基づき介助を行うことを公的に保障する制度があることにより、介助に関わるハードルを限りなく低くし、ケアシステムわら細工のすそ野を常に広げている。

 今回の全体集会では、「介助調整」の事例として、障害者と母親二人だけの世帯で母親が入院し、一人暮らしを体験した3件について報告された。うち一人は橋本克己画伯で、このfacebookでも、何度か報告した。あと二人は知的障害のM・NさんとI・Mさん。
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 M・Nさんは小、中と地元の通常学級で過ごし、定時制高校に通い、現在はくらしセンターべしみの通所者。母はケアシステムわら細工と同一法人(NPO法人共に生きる街づくりセンターかがし座)の下にある地域活動支援センターパタパタの「手作り班」に属して農園や手工芸品作成、着物市等に関わってきた。本人は行動範囲が広く、さいたま市の見沼福祉農園やNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の行事等にも出没している。
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 I・Mさんは、小、中と特殊学級で学んだ後、市立通所授産施設を経て一般就労したが退職させられ、ちょうどNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の立ち上げ時に、世一緒の職場参加セミナーに出たり、知的障害者向けの3級ヘルパー講座に参加し、高齢者施設で働いたりした。その後、就労支援センターの支援を受けて、生協の流通センターで働き続けている。午後早めに終わるので、木曜は谷中耳鼻科の黄色い部屋に来て、1週間の会社の様子を記録ししていく。金曜夜は一緒に橋本画伯宅に行き、手話会に参加する。母はやはり手作り班のメンバーとして活躍している。

 全体集会の資料として、二人の緊急時の介助に関わった人々の相関図が示されていた。

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 ほかに、資料の中で興味深かったのが、年間の介助実績表。ケアシステムわら細工の会員で介助を利用した人は38名。この数は特に珍しくはない。だが、それに対して介助を行った人が153名ということにびっくり。決算報告での会費収入が146名分であり、未納者が一定数いることを考慮しても、ほとんどの人が一度は介助を行っていることになる。

 内訳を見ると、居宅サービスの利用会員が24名、介助を行った会員が116名。他人介護加算・自費で介助を利用した会員が13名。介助を行った会員が115名。ここまでがケアシステムわら細工の事務、会計に関係する。
 それに対して、ケアシステムわら細工会計には入ってこない全身性(および知的)障害者介護人派遣事業の利用会員が17名、介助を行った会員が63名。私も連れ合いもここに含まれる。

 内訳の三つの介助制度は、それぞれ歴史の中で形作られてきたが、現在、全身性障害者介護人派遣事業は全国で廃止され、埼玉のいくつかの市で残るだけになっている。他人介護加算については一般基準と大臣承認があり、大臣承認は全国で200〜300名が受給しているとされているが、2003年以降、障害者運動の側でも実態を把握できなくなりつつあるようだ。

 ケアシステムわら細工では、それぞれ異なる歴史的背景をもって形作られてきた三つの介助制度がいまも活用されており、その三層それぞれの異なる関係性が重ねられて、地域を耕していることを再認識させられた。
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 全体集会終了後、5グループに分かれて自己紹介と「わら細工のいま、これから」について語りあう。

 
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 旅するテント劇団「どくんご」北越谷公演「愛より速く」の告知も。

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 ケアシステムわら細工全体集会の子どもたち。

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 すべてが終わり、武里駅前の居酒屋で懇親会。ケアシステムわら細工事務局で昨年から働き始めたOさんから「共に学ぶ」について質問を受ける。彼は地元の小、中学校で世一緒から市場の八百屋で働き始めた知的障害の兄弟と一緒に学び、弟とは部活も同じだった。いまは地元で結婚し2児のパパ。転職してケアシステムわら細工へ。

 「子どもたちが世話したり、ずるいと抗議したり、困ったりしながら、一緒にやって行く工夫を探るしかないから。」と答える。「共に」とは予定調和ではない、ぶつかりながら一緒にやってゆく道を探るプロセスなのだと。「福祉労働150号記念シンポジウム」の宮澤さんという、彼と同年代の教員の講演要旨(1人の教員が指揮するのでなく、30〜40人の子どもたちが悩みながら大人では及ばない合理的配慮を編み出してゆくという実践報告)を併せて伝える。

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 通常学級で一緒に学びながらも、特別な支援を通して分けてゆく流れが強まっているように、暮らしの中でも介助を通して地域から分け隔てられ囲い込まれる状況が深まっている。その状況の下で、介護保険見直しにより家事援助が削られ、有償ボランティア等による「共助」が強調されている。この「共助」は分け隔てられたシステムをさらに細かく分けるために導入されてきた。そのことを踏まえながら、ケアシステムわら細工のことを考える。

 居宅サービスは事業所に属する有資格者だけが介助に関わることができ、介助調整・事務の費用も含んだ報酬が得られるため、障害者の自立生活に関わる団体も軒並みこの制度活用・拡充を基本路線としている。しかし、その自立生活運動の生成過程に活用された、個人が事業所を介さずとも利用可能な他人介護加算や全身性障害者介護人派遣事業の制度は、現在もその価値を失っていないと思う。
 24時間の介助制度は必要だし、孤立した人々にミニマムの介助を公的に保障できる制度の必要性もある。だが、それが誰にもいつでも必要な制度ではないことが重要だ。そうした制度の確立と同時に、それとはまったく異なる介助のありよう、すなわちご近所や友達による介助制度、さらには共に働く、共に学ぶ関係の側面としての制度外の介助など、地域のさまざまな関わり合いの中に編みこまれた介助を、あらためて考えた夜。

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