共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 共に学び そして就学免除 ―グラフィックアート・佐野なな子画伯 その宇宙の始原に遡る

<<   作成日時 : 2016/05/17 22:25   >>

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遅ればせながら、4月の画廊喫茶@世一緒。その最終日のゲスト、壁に展示された絵の作者・佐野なな子画伯のトーク。
 画伯は、このトークの中で、これまで言葉にできなかった過去を明かした。ずっと家にこもっていたと言っていた彼女だったが、実は近所の芝小学校に通っていた。3年間の就学猶予の後、4年間だけ。
 彼女が5年に進級できなかったのは、当時のポリオの流行の下で、子どもたちの間に拡がっていた「マヒがうつる」という偏見・差別に対し、自分が身を引く(就学免除)ことで幼い妹を守ろうという思いからだった。

 当時の担任は「ほんとにそれでいいの?」と確かめたという。ほんとにこれでよかったのか?その後の彼女は、その問いを自ら抑え込んでひたむきに生きてきた。

 そして、10数年前、一人暮らしを始めた彼女は、その芝小学校の後輩障害者たちと親しく交わることになる…

 2007年ごろから芽吹き花開いたというコンピューターを使った佐野なな子画伯の繊細なグラフィックアートの宇宙。その始原の核がわずかに明かされる。


 豊島区の駒込病院で生まれた。1948年生まれ。あわてんぼうだから、早く生まれちゃった。落っこって頭打って、脳性マヒになったとよく言われた。
 まだ小さいころに豊島区から川口市に引っ越した。川口に引っ越しした時に、銭湯行ってじろじろ見られるので、母の方がめいっちゃった。同じお金を払ってるのにって。だから、早くうちでお風呂に入りたいって作ってもらったんだけど、庭に作ったんで冬は寒い。豊島区の時は、銭湯が隣の隣でみんな知ってたし。それでもじろじろ見る人はいたけど。

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 就学猶予になっていたが、3歳下の妹が小学校に入った時、親とか祖母に、「私も一緒に行きたい。なんでも一緒だ。」と騒いで、9歳で近所の川口市立芝小学校に入った。おばあちゃんが付き添いで行った。だけど行ったのは4年生まで。

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 おばあちゃんが病気で付き添えなくなったのもあるが、そのころ下の妹が学校に上がる時で、小児マヒが流行っていて、私が学校にいるとうつっちゃうって言われ、自分からやめた。でも、担任には「やめちゃっていいの?」と言われた。5年になった時にやめた。 (上の写真は1960年のポリオ(小児マヒ)流行に対する生ワクチン投与のニュース映像から)

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 今まで誰にも言わなかったこと。今日初めて話した。

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 学校辞めた後は、友達がいないから一人遊びしていた。パン屋さんや駄菓子屋によく行った。あと本屋さんも。
18歳ころまで近所をうろうろしていた。歩くのは歩けたけど。だって、そのころ車椅子なんてなかったから。
そのうち歩くのが危なくなって、それで他の人と比べて足が変な風だなと気が付いて、自分が他の人とちがってるんだと思った。それを感じたからひきこもっちゃった。18歳(1960年代後半)から25年間ひきこもってた。

 50歳になるちょっと前に、10歳くらい年上の育ての親が、正月の4日に亡くなった。その後父と暮らしていたけど、あんまり仲良くなかった。その時に、プチ家出した。
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 神奈川県のおじさんちに家出した。勉強がしたくなって、教育テレビで大学講座をやっていたのを見て、勉強したりした。河合隼雄という心理学者の話も勉強した。テキストも買った。学校に行こうとは思わなかった。学校に行ってたら、ちがう人生もあったかなあ。友達のつきあいはあんまりなかった。小学校では友達はいたけどそれっきりになった。

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 家出したがすぐにつかまった。まあまあ仲のいい妹が新宿で喫茶店かなんかに勤めていて、アマチュアの歌手をやっていた。妹がマンションの部屋を探してくれて、それが当時の社団法人埼玉障害者自立生活協会の事務所(上の写真:1997年撮影。中央がアンテナショップかっぽ運営協議会代表で芝小学校のずっと後輩にあたる小田原さん。なおその左に顔をのぞかせているのは当時社団法人理事長だった八木下さん。彼は佐野さんより7歳年上だが、就学猶予のまま大人になり、1970年、28歳で同じ芝小学校に入学した。)の隣の隣だった。

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 それから一人暮らししている。お父さんと暮らすのがいやだったから。制度のあらゆるものを使ったつもりだけど、今のところは社協のヘルパーが週2回、2時間ずつ。だけど、このマンションは、火を使うのが禁止、それで、電子レンジとオーブントースターで頑張ってきた。それから何年かたってから、IHを入れて。今はヘルパーさんがそれを使って調理してくれる。部屋にはエアコンがなく、扇風機だけで暮らしてきた。

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 ねこのて(川口の猫橋の脇にある障害者施設。当時就労A型と地活。現在は就労B型。)ができたのが2001年。その前に、社団の事務所に出入りしていたが行くのが嫌になり、1年間ひきこもった。小田原さんが、どうしたのかと見にきて、それでまた行くようになった。

 あとはねこのてに行って、絵の描き方を教えてもらった。イラストレーターを使って。それで今に至る。ノートパソコンで、指2本でやっている。だから、私の絵は細かいって言われる。細かいから、カレンダーにするのがもったいない、もう少し大きい絵にした方がいいって言われる。だから、カレンダー用に描けばいいんだって言われるが、描き始めるとついつい細かくなっちゃう。(上の写真は、ねこのての店・ねこやのレジ風景)
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とんぼの絵は背景の色が違う絵もある。

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天の川なんかは、容量が大きすぎてパソコンが動かなくなりました。それで今日に至っています。

 生みの母のことはあんまり記憶に残ってない。2番目の妹の産後の肥立ちが悪くって死んじゃった。もう一人の妹は、甲府のブドウ園に行って歌手をやっている。
 生活費は親の遺産。ヘルパーは介護保険で1割負担。ねこのても利用料が多い。

 私は、かっこいい人みんな恋人だと思ってる。でもつきあって欠点が目立つといやんなっちゃう。
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