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zoom RSS 総合支援法見直し―真の狙いは 総合福祉部会副部会長を務めた茨木さんが語る

<<   作成日時 : 2016/03/28 00:34   >>

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一般社団法人埼玉障害者自立生活協会主催・埼玉障害者市民ネットワーク共催の「障害者制度改革埼玉セミナーPart7」に参加。会場は北浦和の県立美術館。かってこの会場で開かれた日本ボランティア学会に参加した記憶がある。
 
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今日の講師は、障がい者制度改革推進会議の下に設置された総合福祉部会の副部会長だった茨木尚子さん。これまで尾上さん、佐藤さんとすべて障害者運動の当事者に登壇いただいたが、今回初めて非障害者としてかかわった立場からの報告をいただいた。これもまたいろいろな発見があり、貴重な時間を過ごせた。 
 茨木さんは1980年代、都職員として当時のB型障害福祉センターに勤めていた。その利用者で親と二人暮らしだった人が親がガンになり家庭生活が困難になり施設入所を迫られたが、当時の都内の施設は空きがなく秋田に都の施設を設けておりそこまで送って行くことになった。その時の「一緒に帰りたい」と縋りついた障害者が、数年たって再訪した時もう茨木さんを記憶から消し去っていたという経験が原点だというところから語り始めた。
 そして、1993年に春日部市の共栄短期大学に教員として勤務し始めたが、その最初の新入生のオリエンテーションにわらじの会の障害者達がずらりと並び、「私たちに関わることがあなたたちの勉強ですよ」と呼びかけていたその情景が強烈に刻まれているという。その時の新入生の一人が、いまくらしセンターべしみの職員として働くSさん。
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 その当時の茨木さんが特にすごいと思ったのは、生活ホームオエヴィスの住人兼大家だった新坂幸子さんがガンの末期を生活ホームで、関わる人々に看取られながら過ごした日々。

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 今も自立生活センターの組織化を全国的に、また海外まで展開している老舗の障害者団体の運営委員も務めている茨木さんだが、かってのような障害者と地域の他の人々との直接的な出会いが乏しく、「ヘルパー2級を取ってください」といった関係になってしまうことに疑問を感じることがよくあるという。

 そんな追憶をプロローグとして、骨格提言の話になる。骨格提言といえば、その当時は副部会長として多方面から講演依頼が相次いだという。しかし、その後現在まで、「プロセスはいいから、制度がどう変わったか話してくれ」という注文が多いという。ハウツー的な依頼ばかりということだろうか。久しぶりに骨格提言を語る機会が与えられてうれしいと。
 そして80分間の持ち時間をやや超えて、経緯を語ってくれた。その内容のすべてを伝えきれないが、記憶に残ったことをメモ的に。
 日本は全人口に占める障害者の割合が2004年の統計で3%程度と低く、アメリカは10%超、スウェーデンは20%超。これはたとえばガンの既往症があるといった慢性疾患患者を障害者に含めるか否かというちがいがある。各国の脱施設化・病院化の推移を見ると、1980年代を境に、日本だけが上昇に転じ、減ってゆく欧米と交差し、後者は限りなくゼロに向かっている。そういう国際関係の中で障害者の権利条約ができ、2010年民主党政権発足の下で障がい者制度改革推進体制がスタートする。

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 そのもとで組織された総合福祉部会は55名の委員だった。厚労省は多数の利益代表委員を網羅することにより、けっきょく何も決まらないことを望んでいたのかもしれない。しかし、やり始めてみれば、障害別の団体を代表して参加した委員が、障害別の施策をひとつ獲得することよりも、制度から排除されてきた人々の課題をとりあげることを優先し、全体を底上げしたいというように、態度が変わっていったという。厚労省の目論見ははずれた。こうしてまとめられたのが骨格提言だったと茨木さんは語る。
 ただ、その後の動きとしては、すでに民主党政権下でも骨格提言を踏まえたとはいえない法案内容が提示され、多くの部会委員の怒りをかった。そして民主党政権下で総合支援法が成立した。
 総合支援法に関しては、厚労省幹部が「小さく産んで大きく育てる」と説明したが、自民党への政権交代の影響もあったにせよ、基本的には厚労省幹部の「介護保険に統合して自由になる財源を増やしたい」という従来からの発想が貫かれたと茨木さんは見ている。

その部会の最後、悔しさで破裂寸前になっていた茨木さんだったが、障害当事者委員の尾上さん、藤井さんに、こうなだめられたという。「運動はこつこつやるもの、こつこつやっていれば最後にどっかん!が来るから」と。

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 今回3年後の見直しがなされたことになって、新たなサービスが打ち出されているが、基本的には変わらなかった気がするという。むしろよりいっそう介護保険との統合への布石がなされようとしているのではないかと。
 具体的には、「グループホームからの自立生活援助」に関し、実際には軽度の人を外に出し、グループホームは重度の人の場として分類していく傾向を進めるのではないか。「居宅訪問による児童発達支援」に関しては、「医療的ケア児」という分類を設けて支援策を設けることにより、一般の保育所や学童保育で医療的ケアを含めて共に育つことを切り捨てることにつながらないか。「重度訪問介護の入院時適用」に関しても支援区分6では必要な人の多くが除外されてしまうなど。

 何よりも、審議会での議論の中で、「社会保障の財源が厳しい状況の中で、今後持続可能な制度検討が必要」という声が上がり、「我が国の社会保障は、自助、共助、公助の順番」でと厚労省が今後の在り方を確認していることから、介護保険制度への統合が準備されていると茨木さんは確信する。そして、社会保険制度になることは、障害のない人が障害のある人を支える構図であり、そこから障害の発生予防をという出生前診断の動きが強められてくるのではないかと懸念を語る。そうした動向を知る人々の中では、今後厚労省から「大阪夏の陣」、「大阪冬の陣」がしかけられてくるという言葉が飛び交っているという。
 そんなボリュームたっぷりの話を聞けたのは幸いだった。

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 茨木さんの講演の後、埼玉からということで、まずは私と日吉さんで職場参加の話をした。私からは、茨木さんの「障害の発生予防」と並行して「障害の商品化・増産」という動向もあることを、就労系事業を例にとって述べた。また、1990年代から今日に至る「共に働く」に関するサイタマの流れについて、ざっと説明した。日吉さんからはそうした変化の波を泳ぎながらつながってゆく世一緒の活動について述べた。
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配布したレジュメには、骨格提言に盛り込まれた「社会的雇用」ないし「社会的事業所」を評価しつつも、埼玉発信の「職場参加」もまた欠かせないポイントだということも書いたが、時間がないので割愛した。

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 西部地区の竹内さんからは、障害のある人もない人も一緒にフットサルをしながら、差別や合理的配慮を試行錯誤している試みや相談支援の過程で出会った就労系事業による選別・差別の事例が語られた。

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 今回初参加の方からは、相談支援に関わる日常の中から、障害者と高齢者の縦割りをどう超えるかに関し、問題提起がなされた。

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 参加者の小野さんからは、よく親の立場から入所施設の必要性が語られるが、自分としては親として地域で娘と共に生きていきたいと語られた。

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 それらを受けて茨木さんからまとめ的に語られた中に、わらじの会編集の本のタイトルにある「しがらみを編みなおす」という言葉への共感が語られた。「一緒に暮らすとざわざわしてくるんですよね」 
 ハンズ世田谷設立時からのメンバーである山口成子さんが10年前に亡くなる直前のこと。茨木さんに毎夜のように電話がかかってきて1長時間となり、受話器を持つ手がいつも痛くなる。そのことをある夜つい口にしたら、「なんだ、早く言ってくれればいいのに」と。ずっと言えなかった、そのころのことを愛おし気に思い起こす。

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 セミナーを終え、参加した団体からの活動の呼びかけ。門坂さん、野島さんからは安保法制違憲訴訟埼玉の取り組みについて。竹迫さんからは教育局との共に学ぶ共同研究会とどの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会について。吉田久美子さんからは幸手の街づくりの活動を学ぶわらじの会市民福祉講座について。加納さんからは、虹の会のコンサート、猛毒ちんどんのお誘い。などなど。

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