共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 差別解消法・高校入試制度の歴史から 「どの子も地域の公立高校へ!」  (上)

<<   作成日時 : 2016/02/03 09:22   >>

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どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会の県教育局交渉。

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 県教育局は、県立高校の受験に際して「障害による不利益がないように留意する」、受験上の配慮は「公正さが保たれ、実施可能な範囲で行う」という昔ながらの規定をそのままにしており、差別解消法を踏まえての改訂要望に対しては「研究する」との回答にとどまった。

「障害による不利益」・「配慮」・「実施可能な範囲」という規定に起因する差別事例

 35年前一緒にスウェーデンに行った脳性マヒによる四肢障害と言語障害がある藤崎さんが参加していたので、養護学校しか知らなかった彼が地域で一人暮らしを始めた後で定時制高校を受験した時の話を、今日彼と一緒に局の各課担当者に話してきかせる。
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 彼とのふだんの会話は、初めと途中わからなくなった時は、アカサタナ…と声を出して行って彼がオーと声を発した行を確認し、ついでたとえばサシスセソと声を出して行ってまたオーと応えたところで「ス」などと確認してゆく。これをすべてやっていると途方もなく時間がかかるので、ジャンルが決れば次は「ストップ」、「スキー」といった言葉や、「生活に関係あること」、「趣味に関すること」などと訊きながらつめてゆく。それで彼は介助者を募ったり、買物をしたり、飲み屋に行ったり、討論に参加したりして、地域で他者たちとともに生きている。

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銀行にも役所の手続きにも選挙にも行く、一人の県民だ。写真は、高校受験より少し後の藤崎さん。なじみになった市の課長(当時)と談笑している。

 かって彼が県立S商業定時制を受験した時、日常つきあっている者の中から代読者・代筆者を付けさせてほしいと申請したが、受験の公正性が損なわれるとの理由で、代読は県教委で代筆を私が行うことになった。ところが代筆の私はヘッドフォンで問題読み上げが聴こえないようにされた。かつ、ほとんどの問題が記述式の解答を求めており、上記のような地域生活の日常の意思疎通の手段によっては何時間かかっても解答を書くことができない。ちなみに、記述式を内容を変えることなく選択式に変えてほしいという要望は拒否されていた。

 結果は、大幅定員割れにもかかわらず不合格。当時「配慮の名による排除」と抗議した覚えがある。

 もう一人、ずっと通常学級で学んできたダウン症で難聴の中川くんの受験でも代筆者を務めた。県教委が手話ができる聾学校の教員を代読者としたが、本人は指文字と独自の手まね等でコミュニケーションを成立させており、同級生や家族、私たちとなら意思疎通できても、初めて会った聾学校教員では意志疎通が成り立たない。私はヘッドフォンだし。中川くん自身もその断絶状況を感じ取り、廊下に出てしまった。
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 中川くんは後に別の定時制高校を受験し、そこでは定員内不合格を出さないという教員たちの合意の下で合格した。荒れた高校だったが、廊下にたむろする番長らが煙草をくわえるとすっとライターを差し出すなど、状況を判断して気配りのよい中川くんは高校生活になじみ、数々の思い出を作って卒業した。上の写真は、高校生活を楽しむ中川くん。

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 定時制高校に中川くんら障害のある生徒が入って行ったことで、中学時代からずっと不登校だったり、勉強が苦手だったり、いじめの傷を引きずった生徒たちと、すったもんだしながらつきあいができていった。お互いに気になるから、結果として高校生活を続けられたという生徒も少なくない。写真は、卒業後しばらくしてから、そんなクラスメートとのわらじ大バザーでの再会。

「社会的障壁」・「合理的配慮」・「具体的、総合的、客観的判断」への改訂を

 差別解消法(及びそれに基づく行政の対応要領や事業者向けの対応指針)では、これまで局が基本理念としてきた「障害による不利益がないように留意する」というだけではなく、「障害者が個々の時点において必要としている社会的障壁を除去するための必要かつ合理的な取り組み」を求めている。
 「障害による不利益」とそれに対する「配慮」とは、その個人が「手が動かないので解答用紙に自分では書けないので代筆する」とか「知的障害で問題が読めないので、代読する」というようなこと。しかし、その場合、読み書きができないとか、持って回ったような文章を読み解けるということが高校を受けるに足る能力として、暗黙の前提になってしまっている。だから、配慮をしたといっても、排除でしかないといったことも生じる。

また、「公正さが保たれ実施可能な範囲」という行政なり事業者側の一般的、抽象的な判断ではなく、「個別の事案ごとに具体的場面や状況に応じて総合的、客観的に判断する」ことが求められる。

 その上で、難しいという時には、代替措置を検討することも必要となる。Nくんの例のように、まずは受けとめた上でさらに考え合ってゆく。そういうことも含めて、出会いながら「建設的な対話による相互理解」を通じて関り合ってゆこうということが「合理的配慮」に込められている。
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 何も法令ができたから新たな要求をしているわけではない。これまでやりとりしてきた内容が、法令の中で明示されていることを指摘しているだけだ。さまざまに異なる人々が一緒に生きている実態を、学校、高校も追認することから再スタートしてほしい。上の写真は、ずっと夢に見ていたセーラー服を着て入学式に臨んだ野島久美子さん(現・埼玉障害者市民ネットワーク代表)。

 ところで、読み書きができない生徒を高校で受け止めよというと、他の生徒が受験戦争で身を削り、点数で輪切りにされていやおうなく高校ピラミッドに組み込まれて行くのに、なぜ障害児だけ優遇されなくてはいけないのかと疑問を感じる人もいるようだ。

 そうした疑問を抱くことはまちがっていない。障害のある生徒が社会的障壁を除去する過程として高校に入って行くことは、「優遇」とはいえない。なぜなら現在の高校は、さまざまな障害のある生徒にとって、まさに障壁に充ち満ちており、入試をクリアーして入って行ったからと言って、やさしく包み込んでくれる場などではない。物理的な構造、授業や校内行事の内容やテンポ、人間関係…どれひとつとっても、さまざまな障害のある生徒がいないことを前提に成り立っている。しかし、だからこそ、一人の障害のある生徒が入ってゆくことだけで、生徒たちにとっても、教職員にとっても、家族や地域の人びとにとっても、大きな問いかけとなり、拒絶や無視する人々もひっくるめて、高校という関係を共に生きるための試行錯誤を始めることになる。
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 それは優遇措置によるトラブルなどではない。障害に限らず、いくらがんばってもできない、あるいはがんばれない、そして時には孤独に抵抗し続けている、さまざまな生徒たちや、そこに関わる教職員たちが、「問題解決」を急がずとりあえず一緒に生きながら考え合ってゆくきっかけにもなりうる試行錯誤だ。 (つづく)

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