共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 「障害から見える社会」―2015.10.19文教大学講義レポート

<<   作成日時 : 2016/01/11 15:32   >>

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  昨年10月19日(月)、わらじ大バザーの翌日に文教大学で行った授業について、載せ損なっていたので、もう3ヶ月も前のことだが、記録としてアップしておく。この授業は階段教室で行われ、その授業に筆者とともに登場した障害者達を車椅子ごと学生たちにかついでもらうという「演習」を組み込んだ形で行った。

 この授業は、前にこのブログで「四半世紀前の切り捨てが縁」と題して紹介した元高校教員で現在同大学の教授を務める八藤後忠夫さんの御推薦により実現した。青山鉄平さんという人間科学部の講師が担当している総合講座Y 障害と社会の中の2コマを八藤後さんが受け持つことになり、それを筆者とのコラボで行いたいと声をかけていただいた。八藤後さんとの縁については下記参照。
http://yellow-room.at.webry.info/201404/article_1.html
 なお、青山さんは社会教育畑の出身で、かって代々木のオリンピック青少年センターにおられたことから、昔あった日本青年奉仕協会もよくご存じで、そこからわらじの会が1年間ボランティアの派遣をずっと受けていたといった話で、終了後おしゃべりに花が咲く。
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 この講義1コマ目は、10月12日に行われ、八藤後さんが「差別する遺伝子,迷う 価値脳」と題して講義を行い、最期に筆者が若干コメントする形。八藤後さんの講義の結論は、私たちが他者の考えを生来的な遺伝のようにして自分の内に育くむ存在であるというところにあり、差別や共感も含めて他者との出会いが重要ということを述べていた。コメントを求められて筆者は「迷惑をかける・かけられる関係」を述べたが、終了後学生たちが書いたリアクション・ペーパーを見せてもらったところ、そのような関係をなくして個人の権利義務に基づく関係に変えて行くべきと主張していると誤解した学生も少なからずいたようだ。

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 この講義のパワポをぎりぎりまで作っては直していた。2010年に出版した「地域と障害―しがらみを編み直す」では、障害者が生きることにより地域・家族がどう変わるかがまだ不十分という気持があったので、そこを書き足した。少しは整理できたが、今後さらにと思う。
 
 とつぜん障害者達が講義の場に現れ、しかもかっての駅でそうやったように、その場で呼びかけて階段を担いでもらうといった状況をあえて提示することについて、パワポの先頭に以下のスライドを入れた。
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 この写真は1981年にスウェーデンRBUが来日した時、川口駅でかつがれている情景。RBU幹部のクラースは初めての経験でひきつっている。1993年に来日したバークレーのスーザン・オハラさんは、他者の手を借りなければ移動できないとすれば「人間の尊厳を傷つけられたと感じる」と述べた。
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 しかし、今日かつがれている3人は、他人に手を借りて街へ出て行ったのだし、いまもそのことに大きな喜びを感じている。また、手を貸したことがきっかけで付き合い始めた他者たちがたくさんいる。そのギャップも含めて体感してもらいたいと思った。自ら進んでかつぎに来る学生の姿と、目立つことはしないと決めているかのような学生、またなんでこんなパフォーマンスをやるのだと言わんばかりに睨んでいる学生など、さまざまだった。

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 上のスライドでは、「社会構造としての差別 障害者の自立と共生の社会的意味ー分け隔てられた側だけでなく分け隔てた側も生きづらくなる」と題して、元来の「排除・隔離」という差別の原型が、都市、産業化、内面化し変容してゆくプロセスを追い、選別・差別意識をあってはならないことと切り捨てず、それらをひっくるめて分け隔てられず共に生きることの大切さを図式化した。

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 いま学生たちに担がれて壇上に上がった3人のうち、まず橋本克己くんの事例紹介。排除・隔離の時代を生きていまここにいる。
  「日本語も手話も奪われた彼は、長屋暮らしの中で言葉以前のことばを通して独自の文化を育んだ。排除・隔離されてきたからこそ、世界の不思議を探求に、どこまでも出て行く。街の人々の誤解や親切、迷惑とぶつかり折り合いつつ生きる橋本のアートと夢想は、彼を排除して成り立っている現代社会を照射する。」
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 両親が工場や田んぼに働きに出かけていた日中、おじいさんと二人きりで過ごし、そのおじいさんに煙草の火を押し付けられ、パニックになりおじいさんをぼこぼこにしてしまった少年時代の記憶を語る橋本くん。写真は、煙草の手話。
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 続いて分離の時代に育った事例として野島久美子さん。

 「ある晩、寝ていた久美子の首を父が絞めた『施設に入ってくれないならお前を殺して俺も死ぬ!』」子どもの頃から分けられた教育の場が用意され、そこでしか生きられないと家族も自分も思いこまされていた。だから大人になってもやはり分けられた場しかないと。
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 死にたくない!久美子は家出してわらじの会の谷中耳鼻科に転がり込んだ。親は「誘拐で訴える」と引き取りに来たが拒否。福祉が乏しかった時代。生活保護で借家に入ったが介助がない。隣の主婦に朝晩雨戸を開閉してもらう。
久美子が周りの手を借りながら暮らしをつくったことがモデルとなり、他の障害者が続く。  そして介助システムや共同住居を作って運営し、自治体・国の制度化へ。
 自力では生きられない障害者が街で生きることを通して、地域が編み直される。息子の自死で虚脱状態になっていた女性は、野島の介助に入ったことで自分の生きる意味を見出すきっかけを得た。学生たちの中には、野島から家事を教わった者も少なくない。

 
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 ラストは藤崎稔さん。やはり分離の時代に育ち、大人になる。分けられて育ってきた人々が街で出会う時のすれちがいやぶつかりあいを語る。
生活ホームを経て、現在武里団地で一人暮し。

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 平日昼は活動の場の職員等とあちこち活動するが、夜間と休日はローテーションによる介助が必要。
 とはいえ、介助体制に縛られた生活は嫌だと彼は言う。子ども時代施設で暮した体験からの確信。(見えない施設)
 だから一般のヘルパー会社の利用ではなく、友人、知人としてつきあう人々の中から泊まり介助者を募る。 

 
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 分離の時代はさらに深まり、地域そのものがきめ細かく分けられた場となる。その中で共に学び・共に生きるとは、小さい頃から選別・差別を生きるということでもある。その事例として今日ここにはいない2人を紹介する。

 その一人、自ら自閉症と語る幡本建祐くんの例。競争が苦痛で抵抗し、怒鳴られ、いじめられ、誤解され、荒れた時期もあったが、それらも含めていろいろな人が集まって生きてきたことを「素敵」だと語る。そんな「語り部」としてのポジションを、彼は「不幸自慢の部屋」という集まりを始めた中途障害者(故人)から学んだ。彼と毎月酒を飲むことを生きるよすがにしている中学や定時制高校時代の友がいる。
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 さらに、職場参加ビューロー世一緒のスタッフらの事例を「外延化される差別」として紹介した。

 この兄弟はかっての時代は中学卒業と同時に町工場等で働いていたろう。しかし、今日では私立高校、専門学校、サポート校、特別支援学校高等部など受け皿が増え、ふるいわけられながら、障害者雇用枠、福祉施設、デイケア等に運ばれて行く。急増するそうした事例を「外延化される差別」とした。いわゆる「軽度発達障害」といわれる人々や精神障害者と呼ばれる人々など。

 兄弟は私立高校卒業後ひきこもっていたが、職場参加をすすめる会の役員の工場で働く障害者たちの野球チームの朝練に参加するように。さらに、週2日だけ野菜の袋・箱詰め工場で、おばさんたちのラインに箱を補充する仕事に二人で。おばさんがタイミングをはかって声をかけてくれるので動ける。おばさんたちも活気。
 かっての時代は中学卒業と同時に町工場等で働いていたろう。
 しかし、今日では私立高校、専門学校、サポート校、特別支援学校高等部など受け皿が増え、ふるいわけられながら、障害者雇用枠、福祉施設、デイケア等に運ばれて行く。
 野菜の工場では1人募集なのに2人組でないと動けないので、給料は1人分。でも精神科デイケアへ行けば逆に金がかかるし、障害者施設へ行けば税金をたくさん使う。しかも工場では、お客様でなく、社会で役割を担って生きている緊張感を得られる。

 以上をまとめた表が以下。
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 パワポは内容豊富だが、講義では時間が足りず端折ってしまった。ほんとうは、障害者3巨頭と八藤後さんを含めて、学生たちとの質疑応答をもくろんでいたのだが、できないまま「終わってしまい残念。

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 そして、再び学生たちに手伝ってもらって階段教室を出る。
 学生たちのリアクション・ペーパーをまた読ませてもらった。なんといっても、階段をかついだことへの言及が多い。感動もあり、異論・反論もある。大きな衝撃だったことがわかってよかった。青山さんは障害のある人々とのつながりが多く、これまでも講義に招いてはいたが、これほどに介助を必要とする人は初めてのよう。しかも3人いっぺんにだし。

 ありがたかったのは、会場内に橋本くんの盟友にして手話会のリーダーでもあるわらじの会の聴覚障害者・荻野好友さんがいるのに気づいた青山さんが、途中から自ら手話通訳を務めてくれたこと。荻野さん自身は、手話に熟達した者がほとんどいないわらじの会にあえて参加していることでわかるように、手話通訳と聴覚障害者というペアではない形で聴こえる人々の間にいることを楽しんでいる面もある。だが、それと同時に、この場合のように、思いがけずそこにいる人がとつぜん自分に通訳をかって出てくれるようなときは、もちろんサプライズの大喜び。
 学生たちのリアクション・ペーパーにもそのことに触れたものが多かった。

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 八藤後さん、青山さん他の教職員のみなさん、そして学生の皆さん、おつきあいいただき、ありがとうございました。

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