共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 新自由主義下の障害者就労支援システム いま共に働くとは−半澤氏の論によせて

<<   作成日時 : 2015/10/15 22:31   >>

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月刊わらじ10月号の半澤氏の文章に関する筆者からのコメント。

 ここに述べられたこと、特に職場の状況と病気とリハビリテーションのありかたについての指摘は、半澤氏の経験に基づいた実感であろう。
 半澤氏は、かって精神科単科病院がほとんどだった隔離的精神医療の時代に、総合病院の精神科外来で働いていた。だから、他の病気やケガで病院を訪れた人が、たまたま精神症状を伴ったり、疑いがある場合、紹介されてくる。したがって、初めから病棟の中で「精神疾患を病む個人」として出会うのでなく、家庭や学校、職場をひきずって病気になった人として出会う。

 現在、かっては成り立たないとされた精神科クリニック全盛の時代を迎えている。単科精神病院でも、デイケアが繁盛し、急性期病棟ができた。認知症の病棟も増えている。隔離医療を象徴する鉄格子は撤去されて久しいが、見えない鉄格子が地域の中にはめられている感が強い。精神科医療に半澤氏のような視座を確保することが困難な状況が深まっている。
 
 「頃合いを見てゆっくり負荷をかけ不安定な気分変動の幅をある程度許容して復職を支援する」という職場の雰囲気は、しっかりした体制などではなくとも、スーパーのレジで発作を起こしかけたパートに対し、他のパートが持ち場を代わってくれたり、休んでもいいよと言ってくれたという世一緒の障害者スタッフの数年前のエピソードの中にも織り込まれている。
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 この世一緒スタッフがその後ハローワークに行ったところ、すぐに一般職場で働くのでなくまず訓練してからがいいのではと言われ、就労A型を勧められて利用を開始した。発作でときどき休むことがありうることを了解のうえだったはずなのに、朝休みたいと電話すると、もう1時間ようすを見てまた連絡をくれという風に、少しでもいいから出てこさせようとする。明らかに障害福祉サービスの報酬を確保しようとする意図が丸出し。新自由主義によって市場化された福祉の自己矛盾のあらわれ。この世一緒スタッフにとっては、福祉の場より一般職場のほうが柔軟な受け入れの可能性をはらんでいると感じられた。ハローワークの担当者は実情がわかっていないが。

 半澤氏が指摘する「リワーク」の問題だけでなく、「アセスメント」、「仕事の切り出し」とか「マッチング」 といった障害者就労支援の基本的な関わり方についても、90年代から欧米で進められてきた「ウェルフェアからワークフェアへ」という新自由主義的な流れの中で輸入されてきた側面がある。

 もちろん、それ以前の時代、ハローワークや職業センターの職員や精神病院のケースワーカーや特殊学級担任などは、こうした術語を使わずに同じことをやっていた。彼らはつてをたどって町工場や商店に出かけて行って、様々な障害者達を地元の職場に送り込み、フォローしたりもしていた。受け入れた事業主や先輩従業員も、OJTの中で同じようなことをやっていた。

 しかし、「障害者福祉のグランドデザイン(案)」以降の福祉、教育、雇用、医療の連動した制度改革を通して、これらが地域の顔と顔が見える関係の中での勘やコツから離れて、ひとつのシステムとして整ってゆくとき、「この人をなんとかどこかの職場に押しこみたい」、「ここに受け入れた以上は仕事仲間として働けるよう育ててゆくほかない」といったぎりぎりの状況からひねり出された知恵や工夫とは似て非なるものになってゆかなかっただろうか?

 雇用率や納付金の対象になる大、中企業の意向に沿って、条件にあてはまる障害者を選別し、あてはまらない者を排除するシステムに換骨奪胎されてゆかなかっただろうか?

 筆者らは地域に密着した、県独自の事業として市町村就労支援事業を後押しして成立させ、、地元越谷では同市のセンターの運営を受託して活動してきたが、いつのまにか外堀がつぎつぎと埋めてゆかれる感じは否めなかった。
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 ただ、このシステムは底が浅い。現実には雇用率の対象にならない50人未満の事業所が、地域の圧倒的多数を占める。長期不況によりかってのように人を雇う力はない所が多いが、人手不足は極まっている。だから、デイケアに通いながらのパートや福祉施設からのユニットによる施設外就労などの形を含めれば、大いに働く場として活性化できる。「雇用か福祉・医療かではなく、どちらも」に道を拓くべきなのだ。

 だが、それでは不安定だし、給料も少ないから、先行きの展望が見えないとの反論が出るだろう。
 常用で雇われる可能性があるのなら、それでいい。しかし、福祉・医療に依存するしかないというのなら、依存しながら就労もする道をひらこうということだ。
 とりわけ、福祉・医療が果たしうることとして、そこに片足を置いてもう一つの足を職場にかけている人たちの憩いと分かち合いの場としての役割を担うこと。

 さらに、そのような依存できる足場をもたぬまま職場の底辺に入って行き、孤立して生きている人々も含めて、つながりあう活動を強めて行かなくてはならない。孤立のただ中で凝視した職場の現実を、自らの言葉で発信し、交信しあえるように。
 分け隔てられながら、さまざまなミクロの世界を探検し、生還し、分かち合うサイクルを。新自由主義とよばれる現世を生き抜くために。

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