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zoom RSS 超「超高齢社会」を楽しく生きよう!わらじ大バザー2015

<<   作成日時 : 2015/10/09 22:38   >>

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月刊わらじ号外 大バザー案内号が発送された。巻頭に筆者の文章が載ったが、号外が届かない人向けに、このブログに以下転載しておく。


超々高齢社会楽しくわらじ大バザー

38年目のわらじの会大バザーが、10月18日(日)に春日部市武里団地で開催されます。金子兜太さん(96才)の名句を道しるべにどうぞお出かけ下さい。

海流ついに見えねど海流と暮らす 

地域って?よく見えないけれど、この地域で暮してきたことだけはたしか。
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 38年前の武里団地は「東洋一のマンモス団地」と言われ、商店街も自治会や市民活動も、時代をリードする活気がありました。その中から障害児の親の会が生れ、地域で他の子ども達と共に生きる道を探ろうとしていました。 

(上の写真は、春日部市で活動していたつみ木の会。その後わらじの会のメンバーとなった人の顔が故人を含めて10人余り見える。場所は武里団地近隣公園にいまもある武里南地区公民館。この会や他地域の親の会が集まり、埼玉県東部地区に総合養護学校をつくる会が結成され、その頃団地自治会が作った生協でバイトしていた筆者がなりゆきで事務局を務めさせられる。その会が後年埼玉県東部地区の福祉と教育を考える会と改称し、編んだ冊子が「切り捨てられた側からの証言」。この会の中心メンバーがわらじの会草創期の柱の一つとなる。)

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そして、団地のすぐ近くの越谷市恩間新田などの農家の家の奥で大人になった障害者たちとの出会いがあり、「一緒に街に出ながら地域のあり方を考え直してゆこう」と、わらじの会が結成されたのです。
 発足3年目に週2回平日に、大人の障害者たちが集まって、街で生きるための活動を始めました。その活動を始めた場所が、今回のバザー会場である近隣公園であり、そこにある武里南地区公民館でした。

(上の写真は、わらじの会の在宅障害者達が平日に活動する「自立に向ってはばたく家準備会の初代代表だったOさんが足で電動車椅子を操作して街を行く練習中。近隣公園から団地内の道路に出てきたところ。初めて自力で街を行くうれしさでいっぱい。後ろから故野沢代表が手動チェーン式車椅子で見守る。)

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

 長寿の武里団地―こんな風にうんしょとわらじの会を産んでくれたのだ。

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武里団地内のバザー品提供を募るチラシ配布は障害者たちが担当しました。少ない介助者に団地内のあちこちに連れて行ってもらい、そこからは通りがかりの主婦に頼んで各棟の集合ポストに入れてもらいました。時には近隣公園まで送ってきてもらったりも。

(上の写真は、故新坂光子さんが、褥瘡で坐ることができず、リクライニング車イスに寝た状態で、バザー―のチラシ配布を団地の主婦に依頼しているようす。)

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活動費が何もないので、バザー品の残りを団地の中央で露店をひろげて売りました。障害者が一人ずつ交代で店番をしました。自力では動けないし、計算もできないので、一律一〇〇円とし、障害者が首から下げた箱にお金を入れてもらい釣銭も自分で取り、自分で袋に入れてもらいました。障害者の多くは言語障害があったり、他人と話したことがないため黙っていました。

(上の写真は、新坂幸子さんが「趣味のガラス食器」を売っているところ。すぐ後ろに公団の管理事務所があり、販売をするなと言って来たことがあったが、幸子さんが怒られて泣いていると、お客の主婦たちが「いいじゃない。そのくらいやらせてあげなさいよ。」と味方してくれたという。)

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が、お客の主婦が「お金はどこに入れるの」、「袋は?」などと訊いてくるので、重い口を開いて行きました。中には、店じまいを手伝ったり、途中でトイレまで送って行き手伝ってくれたりするお客も出てきました。

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地元・せんげん台駅を利用する障害者の数が増え、エレバーターもエスカレーターもなかった時代。武里団地の6千世帯の住民の半数は車いす利用者を階段でかついだ経験をもっていると言われたほど。いまでも、わらじの会に関わる人の中で武里団地に住んでいた人はいっぱいいるし、現に住んでいる人たちも少なくありません。「地域で共に生きる」とは、高尚な理念や知的な理解であるよりも、くらしの中で経験を共にすることなんですね。

果樹園に肉はじわじわずきずき老ゆ

 あなたも、私もじわじわずきずきしながら生き続けてる豊かさ。

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時は流れ、いま春日部市の高齢化率は25%でほぼ全国平均に等しく、「超高齢社会」に突入しています。それに対して、武里団地は42%。かっては2万人いた居住者が現在は半減。いわゆる「準限界集落」?!90年代にわらじの会大バザーを6年間開催させて頂いた武里団地中央商店街広場は、いまカスミストアの駐車場に姿を変えています。

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でも、かって家の奥で暮していた障害者たちの暮しは、まさに「超限界集落」だったんです。高齢者と障害者が支え合って生きていました。

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外へ出始めた当時、恥じて語らなかったぎりぎりの暮しの中に、滅びてしまった時代の文化が受け継がれ、ここにしかない生活の知恵が生み出されていることを、私たちは後から知るようになりました。

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お盆の入りには何を食べ、中日には何をするのか。土を「うなう」ために使う農具は?廃材で家を建てるには?味噌はどうやって作るのか。バリアいっぱいの住まいでの介助のしかたもおばあちゃんから教わったのでした。

わが猪(しし)の猛進をして野に躓く
 年寄りの冷や水、若気の至り、わきまえる余裕すらなく、つまずきながら歩く。

老障介護、老老介護の世帯は増えており、お宅へ訪問すると、状況がしんどいというだけでなく、独自の文化と知恵を持って生きてることに気が付きます。自分の食事は作る気力が失せヘルパーさんに作ってもらってても、障害者であるわが子の参加する行事には5時起きで赤飯を炊いたり、よもぎを摘んで本物の草餅を作ったりね。

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また、わらじの会の障害者たちは、支援があったから、地域の関りがあったから街で生きられたのではなく、つまずきながらでも、自らが街へ出て生きたから、いやおうなしに支援や関りが編まれていったのでした。

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なお、当時の武里団地はたしかにまだ若い団地でしたが、「埼玉都民」と言われた通勤・通学の人々が出て行った昼間は、高齢者と乳幼児とその世話でパートに行けない主婦が残され「灰色の巣箱に閉じ込められている」と言われたところでした。でも取り残されていたからこそ、障害者達との不意の出会いに戸惑いながらいつのまにかつきあっていたんです。

廃墟という空き地に出ればみな和らぐ

 なくなったからよみがえる。切れたからつながる。しんどいから和らぐ。
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 ご協力ありがとうございます。この街ちょっと楽しいな、面白いヤツいたな、自分ってけっこう好きだな…ふと感じる、そんなバザーにしましょうか。
みんなおいで!38年目ですよ!

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