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zoom RSS 橋本克己展―画廊喫茶初日 倉川典子さんトーク 被災地の現在からたどる世界 

<<   作成日時 : 2015/09/20 13:37   >>

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14日(月)〜18日(金) 職場参加ビューロー世一緒での第2期画廊喫茶オープンです。今期は盲聾・下肢まひの橋本克己画伯の10数年前の作品が中心。なかには、30年前のレアものも。

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 初日とあって画伯の母・ミツエさんが赤飯を炊いて30パックも届けてくれた。 「もうこれで最後だよ」と言いながら。
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 画伯が家庭内で荒れ狂っていた頃の絵を見ながら、「こんな時もあったよね」とつぶやいていた。
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 世一緒の障害者当番が日替わりでホールスタッフになり、コーヒーを出す。午後に開かれるゲストトークの司会も務める。
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 午後は、長年越谷市で保育士として働き、わらじの会創設時のメンバーでもある倉川典子さんが、「被災地一人旅」と題してトーク。

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地域活動支援センター・パタパタの面々が多数参加。

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 倉川さんは大震災発生直後の5月の連休から遠野まごころネットを通じて支援にかかわってきた。最初に行ったのは、泥にうずまった大槌町の保育所だった。当時、倉川さんは保育所の所長だったので、すぐ志願した。

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 その後も週末や金曜から休みを取って被災地に関わり続けてきた。上の写真はサンタのプレゼント。この時は被災の度合いとか関係なく、被災地のすべての家に届けた。支援を通して分断され、差別も深まる状況が生じてきたからという。最前列の左に倉川サンタがいる。

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今回は支援を離れて、気仙沼、女川、石巻の被災と復興の状況をたどり、いろんな人と出会ってきた。
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 配布してくれた手作りレポート。「2015.3.9〜15 こころ旅 報告日記 ―出逢いは宝 被災地の今を知りたい」。
11ページ、写真入りでびっしりと。あの3.11からちょうど4年目の同じ季節に、追体験と現状確認を通して考えた5泊6日の旅。宿泊先は、江刺の生家、気仙沼の仮設、女川の復興工事の人達の泊る旅館、石巻のホテル、郡山の友人宅。

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 印象に残った話の一部を紹介。上図のように女川湾は津波により壊滅的な打撃を受けたが、山を越えて反対側の万石浦は被害が少なく、そこの人々がいち早く女川に支援しに入ることが出来た。その後全国的な支援が進んでくると女川は支援を受けられるが、万石浦のほうは対象外にされてしまう。
 そして、女川原発。津波があと80センチ高かったら、たった一つ残った外部電源がやられていたら…。恐ろしい事態になっていた。

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 上は石巻日日(ひび)新聞社が震災直後の6日間に発行した6枚の壁新聞。新聞を印刷しようにも紙のロールが水につかってしまった。その極限状況の中で、社長や記者たちが手作りした。世界でも話題になった。いつでも、どこでも、だれとでも、どんなかたちでも、ありあわせでつくることの大切さ。世一緒にも通ずる。
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 その記者の一人である熊谷さんが石巻弁で号令をかける「おらほのラジオ体操」のCDを倉川さんが持参したので、トークの参加者みんなで坐ったまま体操をやってみた。ラジオ体操といえば標準語と思っているところへ、ぬくもりのある地元のことばが聞こえてくるため被災した人々がつい笑顔になったという。いまでは、あちこちの方言のバージョンのラジオ体操が出来ているそうだ。

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彼女自身、岩手県の内陸の出身で、両親は太平洋戦争末期神戸から母の故郷仙台に疎開し、そこでまた空襲にあった等々さまざまな歴史をひきずりながらの今回の旅だったようだ。
 旅の4日目に東松島市を訪れ、伊達政宗歴史館へ(上の写真)。慶長奥州地震津波の被害復興を政宗が陣頭指揮し、農地つくり・米つくりの町つくりを行い、さらに支倉常長率いる外交使節団をスペイン・イタリアに派遣したといわれる。その伊達藩で母の先祖は米穀商を営み、2代目からは「餅忠」(200年の歴史ある老舗)。
 以下は、倉川さんの文章から。

 母のルーツと父・そして私のルーツに
 母は5代目の長女として誕生。4代目に子がおらず、5代目は岩手からの養子縁組で継いで来た。養子になった私の祖父は、江刺(奥州市)の出身。それが縁で父たち若者が母の店に出稼ぎに行き、そこからいろいろ歴史があって、現在の私が誕生となる。 岩手は南部藩と伊達藩が入り交じり、地域も母の出身も伊達藩なので伊達を意識することはあったが、興味は少なかった。
 第2次世界大戦で終戦間近い頃、仙台空襲があり、2歳の姉を抱え母は実家を焼かれ、やむなく岩手の父の実家に身を寄せる。父は出征で青森におり、機銃掃射を免れ終戦になる。仙台の空襲の話は、切ないほど幾度も聞いた。

 私の父母は神戸で結婚、姉を出産、貧しくも何とか起業し家庭生活を営んでいたのです。戦争が奪ってしまいました。阪神大震災を知った母は悲しそうに、「長田区に住んでいたのよ、坂がたくさんあってね…」と、被災後の神戸に涙を流していました。仕事で神戸に行った際、バスで長田区を歩いてみました。母は仙台での空襲後の悲惨な状況を覚えていたはず、父母のなくなっている今…いろんな想いがします。

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 以下も倉川さんの文章から。

 阪神・淡路大震災から20年、東日本大震災から4年、福島原発事故から4年

 どれも忘れない!こと。そして、学ぶこと。伝えること。繰り返さないようにすること。

 防げることは防ぎましょう。福島であったことは現在進行形!みんなのこと。
 世界で起きている戦争にも関心を持ちましょう。戦後70年だそうですが、体験者が亡くなってゆく日々、忘れず伝えるべきことは「戦争はしない!」と決めたことを守り、伝えることを忘れないということ。

 殺すことを教えず、殺されることの怖さと悲惨さを教えていきましょう。笑顔が武器です。笑顔で平和は作れます。みんなが笑顔で暮せるように、考えていけば簡単です。


 倉川典子さんと橋本ミツエさん。昔からのわらじの会メンバー同士だが、顔を合わせるのは久しぶり。こんな風に出会い直すことの大切さ。
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