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zoom RSS 小佐野 彰さんのご逝去を悼みます ― 知的障害者も含む自立生活試行の場の先駆者

<<   作成日時 : 2015/07/08 23:12   >>

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かって埼玉障害者市民ネットワークの活動に夫婦ともども参加し、いま東京で介助を入れて暮しているKenji Matsuyamaさんから、NPO法人自立の家代表・小佐野彰さんの訃報が今夕伝えられた。Matsuyamaさんは、いま自立の家から介助者の派遣を受けているとのことで、ちょうど家に来ていた介助者が電話口に出て、最期の日々を伝えてくれた。

 埼玉引きこもり人間の私は小佐野さんと、1995年9月に一度だけ顔を合わせ、話を聞いている。埼玉障害者市民ネットワークの合宿に、その2年半前に立ち上げた「自立の家をつくる会」の話をしに来ていただいた時。写真は、その時の写真が載った「ネットワーク情報」表紙だが、残念ながら誌面の都合だったか、話の中味は載っていない。

 数時間、本棚を引っ掻き回して、やっとその時のメモが書かれているノートを発見。

 小佐野さんはそこで、15年前(ということは1980年)から地域で生活してゆくための介護保障をかちとるべく区交渉をしてきたと述べている。区役所座り込みもやったが、集まって来た障害者達がぽろぽろと施設に入ってゆかざるをえない状況を阻止できなかった。そこで、制度要求だけでなく、地域の生活を支えてゆくこと、また生活のしかたそのものを一緒に創ってゆく試みへ転換して行ったと。

 小佐野さんが介助者を集めて生活を始めたのは18年前とその時言っているから、1977年ごろだろう。そこに光明養護の卒業生らが泊まりに来るという形で、すでに34人の障害者が、長い人で2年間、短い人で2週間滞在。大部分は脳性麻痺者だが、なかには知的障害や精神障害の人もいた。ここに来て初めて買い物をしたとか、初めて介助者と一緒に料理を作ったりした人も多かった。その34人の半数がこれをステップに自立生活を始めた。半数は、親や親せき等に押しつぶされ、施設に入れられたり、一人は自殺した。

 そんな経過を踏まえて、自分が地域で生きていくことと併せて、自立支援を、個人レベルだけでなく、持続的にやっていくために2年半前から(ということは1993年から)常時10人〜20人を対象とした自立生活プログラムを開始した。その半数は身体障害者(脳性マヒ、筋ジス)で、半数は知的障害者。世田谷だけでなく、遠く佐賀県や秋田県などからも利用希望があった。

 もうひとつは個別の自立生活プログラムで、対象者は6人。中には目をぱちりとやることで会話するねたきりの脳性麻痺者もいる…

 メモはまだ続くが、このへんでひとまずおく。

 知的障害者も含む自立生活の取り組みには大いに関心を持ったことを覚えている。東京都内にも、埼玉の取り組みとつながる「地域で共に」の営為がまだまだあるんだなあと、私の井の中の蛙的な偏見を修正させられた20年前の出会いだった。

 謹んで哀悼の意を表するとともに、あらためてお礼を言わせてください。

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