共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS ネットワーク合宿終了! 共に暮らし、働くノウハウ・街づくりと共育・反差別のせめぎあい―これからどこへ

<<   作成日時 : 2015/06/08 14:57   >>

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埼玉障害者市民ネットワーク合宿が、6月6日、7日、国立女性教育会館で開かれた。第1部:大野球大会、第2部:ソーシャルクリエイターズのプレゼン.

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そして、第3部「養護学校はあかんねん」の観賞と意見交換が終り、夕食に入る所から参加。

 夕食後の第4部は「総合県交渉を考える―そもそも・いままで・これから」がテーマ。ホワイトボードには、第3部で「そもそも」を知る人々から語られた「養護学校はあかんねん」の時代のキーワードがずらり。

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 義務化以前の肢体不自由養護学校は、ある程度経済的にも余裕がある家庭の障害児でなければ通えない所であり、そこから地域の高校や大学へ進学した者も少なくなかった。しかし、卒業後の彼らには、施設か在宅かの二者択一しかなく、その現実を見据える中から、この社会は生産性に寄与しない障害者を抹殺する社会であり、自分達は生きざまを街にさらし問題を提起し続けるしかないとする青い芝の運動がそこから生まれた。

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いっぽう埼玉障害者市民ネットワークの前代表・八木下浩一は、地域の学校から就学を拒否されたまま、近所の子ども達と野球チームをやったり、不良の仲間に加わったりしながら大人になり、27歳で地元の小学校の門を再び叩き、2年後に入学した。八木下の就学は、障害者だけでなく、当時の大学闘争などを契機として能力主義教育に大きな疑問を抱くたくさんの人々にインパクトを与え、行政や専門家たちが唱える「完全就学」や「全面発達保障」の流れと訣別し、幼い頃からいろんな子どもが一緒に育つことをめざす大きな流れが生れて行った。

ホワイトボードのキーワードは、たぶんそんな文脈を示している。

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 ところで、夕食後の第4部では、各団体の初参加の人々や新人とみなされる人から、なぜいまここにいるのかが、さまざまに語られた。前職との対比でいまの生き方を語る人もいれば、子ども時代の学校体験を語る人、相談支援に従事してみて障害者の権利主張のしかたに疑問を感じたという障害当事者、養護学校義務化について、また身近にいる八木下がそんな運動を切り拓いたことも初めて知ったという大人の障害者。ここにまとめきれないひとりひとりの「いままで」が提示された。
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「『どの子も地域の公立高校へ』の運動で教育局へ抗議行動が行われた時、課の内側からドアを開けられないように押さえていたのは私です。」という元県職員だった参加者からの「カミングアウト」まであった。

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 そして、第5部の「大交流会」でも、たくさんの「いままで」が噴出、交錯。

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 翌朝、「総合県交渉に向けて確認」の冒頭で発言を求められて、私が話したことの要点。

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 埼玉障害者市民ネットワークの総合県交渉は、「養護学校あかんねん」の時代から10年近く後。あの闘争には参加できなかったが、街へ出て生きたい、障害者たちとつきあいながら街を見直してゆきたいという人々が各地に生まれて行った。

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 どんな重い障害であっても乗客の手を借り電車に乗り、ご近所の手を借りてアパートで暮し、お客さんに計算や店じまいをしてもらって商売をする。

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 その実態を、鉄道事業者や不動産屋や自治体に示し、応援を取り付けてゆく。そんな各地の実践がつながり、市町村が応援しやすいように県としてバックアップをと求めたのが総合県交渉の始まりだということ。一般的な権利保障とは異なる、地域の具体的な関係の支えとして。

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 この時大事だったのが、10年前からの「障害者を抹殺する社会」への差別告発の運動、「共に学ぶ」活動とも合流して上記の「暮しづくり、仕事づくり、街づくり」が取り組まれたこと。なぜなら、これら個別分野の取組は具体的であるが故に、それら個々の取組みに関われない人々の存在がいっぽうに生まれる。そして、応援する制度ができる時、どうしても支援する側される側の線引きがなされる。


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その矛盾を当然視することへの問いを、差別告発や共に学ぶ運動ははらんでいる。だからこそ、発足当時の埼玉障害者市民ネットワークは、常に大論争、時には大ゲンカをしながら総合県交渉を組み立てていったのだ。

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 90年代にはこうした運動を県が受け止め、いくつかの県単の施策が構築されていった。全身性、生活ホーム、かっぽ、身体障害者ケアマネジメント、障害者職業開拓員、高校受験での配慮や定員内不合格解消など。


 そして、21世紀に入り、民営化、市場化の流れの中で、県レベルの制度が国の制度に吸い上げられ、ネットワークの諸団体もそれぞれに障害福祉サービス事業所となることを強いられた。それはすそ野の拡大、新たな出会いの契機となると同時に、制度を通して分けられることを受け入れ、分けることを自然視する土壌ともなる。

 実際には、今日でも街角で、ご近所で、職場で、周りの人々との関り合いから生まれる暮らし方のノウハウがいっぱいあるのに、いやむしろそれこそが基本で制度は後方支援、さらには地域の共同機能へと溶解してゆくべきだったのに。
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 第2部の「ソーシャルクリエイターズのプレゼン」は聞き漏らしたが、資料集を見ると「子ども等への配慮をしつつ、なおかつ本気でフットサルを楽しむ」、「精神障害者が他の障害の方と同じコートで力を合わせて、試合(ゲーム)に勝つというゴールに向いひた走る」、「『フットサルコート=地域』としたとき、『誰も排除されない活動』という方針の重要性が分かります。」、「『フットサル交流会』という小さな社会」、「誰でも、みんなでできるから毎回毎回楽しい」と書かれている。

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 障害のある子が共に学ぶクラスで、一緒に遊んだり、競技したりするとき、子どもたちがその都度みんなでルール等を工夫してきた話と重なる。ネットワークの発足、経過、今後を考えるこの合宿にとっても、よい刺激になったようだ。 

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 合宿終了後のBBQ大会に多くの人々がそのまま参加。BBQ場の都幾川河畔まで、ちょっとしたハイキングを楽しんだ。

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 あれこれとからだを動かしあう中で今後のイメージが芽生えつつある今年のネットワーク合宿。

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