共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 共学・共働・自立生活の地域事業を「支援」するとは―その「支援」においてアンテナショップかっぽはいま

<<   作成日時 : 2015/05/26 22:08   >>

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 埼玉障害者自立生活協会の定期総会と記念シンポジウムに参加。
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 同協会は公益法人改革の流れにより「社団法人」から「一般社団法人」になり、その第一回総会。

 以下は、1992年の社会新報の記事。「この3月『オエヴィス』に『社団法人埼玉障害者自立生活協会・オエヴィス』の看板が掲げられる。というのは『オエヴィス』や『わら細工』など県内の19の障害者団体が母体となって設立した同協会が、社団法人として埼玉県から認可されるからだ。これによって社会的信用も増し、公的援助が受けやすくなる。障害の種別を問わず、障害者が地域で自立生活するための事業を支援するという、新タイプの障害者団体が登場したのだ。『認可には通常10年間ぐらいかかるのに、取り組んで3年で県が内示をくれたのは、これまでの各団体の活動が認められたから』と同協会副理事長の八木下浩一さん(50)は言う。」
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 役所が音頭を取って立ち上げた障害種別や親の全国組織の県版とはちがって、地域で共に学び、共に働き、自立生活をめざす人々は圧倒的少数派。その少数派が全県的に連帯して県と折衝し、認可を受けた。当時の福祉制度は隔離収容が主。社団法人に結集した団体は自前で店や共同住居、介助システムを創り出し、それを共同の公益法人の事業としつつ、県独自の制度づくりも働きかけていった。
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 そうした過程で1997年に県庁内福祉の店アンテナショップかっぽが開店したのだった。
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 いっぽう、この時期、バブル崩壊に続くリストラの嵐の中、かっての高度成長を前提とした雇用、教育、福祉が篩にかけられ、大転換をしてゆこうとしていた。

 労働省が5ヶ年の「地域障害者雇用推進総合モデル事業」を埼玉県西部地区8市ほか全国3ヶ所で開始したのは1993年だった。国・県の発想は関係機関の情報をPCで結ぶというもの。
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そして「訓練機関を充実させて就労へ」でしかなかった。対して、同協会は現場での体験を踏まえ「まず地域の職場に入って実習、就労。訓練は職場で。就労支援の主体は市町村。」と提案し、他の全県的障害者団体の理解も得て一緒に行動した。
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2001年の県の事業では各障害者団体の「職業開拓員」が一斉に県内各地の企業、ハローワーク、学校、自治体等を訪問調査し、報告書をまとめ上げるという画期的な共同行動を行った。上の写真は全県職業開拓員会議。

翌年、県は全国的にも稀な市町村就労支援センターの事業を発足させた(他には東京都のみ)。
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障害者団体の全県的つながりは「共に学ぶ教育」を県に求めるまでに至り、2003年土屋知事が辞任直前に「全障害児普通学級籍」宣言をする(同知事の辞任とともに特別支援教育の下での支援籍になってしまったが)。上の写真は土屋知事が直前まで出席するはずだった2003年7月の「障害者プラン21推進のつどい」。

 福祉の分野では2003年の支援費制度、2006年の障害者自立支援法により、国による商品化、市場化が進められた。共に働く場や自立生活の経済的基盤ができ輪が広がった半面で、お客様とサービス提供者といった立場の固定化や互いの孤立、閉塞状況が深まってきた。

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 そんな状況を引きずりながら県内各地の団体が交代で浦和の県庁までかっぽの店番に出てくることは、その一日一日が同協会の体液の循環をなしているといえる。

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 もともと同協会は、任意の運動団体である埼玉障害者市民ネットワーク主催の総合県交渉やネットワーク合宿、交通アクセス行動、どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会の活動などと連携して、事業団体の側から積極的に対外的な動きをしてきた。

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 しかし、それらの「動」の対極の「静」として、アンテナショップかっぽの生理が常にあったことはたしかだ。

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総会の事業報告の中には、同協会のセミナーをブックレット化して普及し、さらに難しい文字を読めない人々自身がそれを演劇化して上演して回る「山にこもりましょう巡業団」(上の写真)とか、機関誌「通信」の製本・発送準備作業を障害者の仕事として手当を支給したといった報告があった。これらもまた循環系である。

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 一般社団法人になったとはいえ、公益法人時代の基本財産を公益目的に支出するため、支出計画完了の2026年までは「移行法人」という位置づけになり、県の監督及び報告義務が続くのだという。いわば準公益法人のポジションであり、これまでにもまして県との関係を活かしてゆくべきだろう。当協会は、かっての地域障害者雇用推進総合モデル事業の報告書を県を通して国に上げ、また、さまざまな県単事業を市町村と一緒になって考え育てるなど、県という機関を重視してきた。その県が、近年は国と市町村の単なるパイプに追い込まれつつある。そうした状況を踏まえ、あらためて同協会の役割を考えさせられた。

 そんなもろもろの思いを抱いて、午後のシンポジウムを聴いた。
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 トップバッターのかっぽ非常勤職員・坂口さんは、生活保護と就労の狭間で引き裂かれてきた体験について。
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店番団体でかっぽ運営協議会事務局員である湯澤さんは、「障害者」、「店」といった既成観念をひっくりかえした、常に驚きに満ちた異空間をと。
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店番団体で地域活動支援センター等を運営するセンター21の有山さんは、県庁という職場へ電車で通勤することを就労準備活動として。
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 八王子市役所売店はっちの小林さんは、顧客の満足度がαでありωであるというシャバであることの再確認。
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 八王子市役所庁舎内でワークシェアリングの支援に関わるふらんの出浦さんは、市就労・生活支援センターふらんとしてただ相談を受けて支援するというだけではない、実際の職場で働きながら支援を考える場としての市役所の重要性、および市役所での雇用も実現したいと。
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 埼玉県教育局特別支援教育課のチームぴかぴか担当の杉山さんは、「本物の仕事」で働きながら学ぶ、県庁の職員としていただいた仕事を確実に行う、1年間で一般就労をめざすと。杉山さんは特別支援学校教員から異動になって県庁に来た4年前、「かっぽが元気に販売していて救われた気がした」とも。
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 かっぽ開店当初から運営協議会代表を務める小田原さんは、当時の事情にふれ、知的障害者や精神障害者は働く場がなかったから県に働きかけかっぽを作った、お金に直接つながらなくとも…と語る(この当時の状況認識については、後で私から修正させてもらった)。

社団総会における山下さん「分けてから」と「分けず共に」のせめぎ合い

Posted by 猪瀬 良一 on 2015年5月28日


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 初代かっぽ店長だった増田さんは会場から、当初はお金につながらなくともと思ったが、福祉制度を使わず障害のある人もない人も働く場とすれば利益を目指すことも重要だという考えに変ったと述べる。

 直接的には、かっぽの経営が究極の袋小路という現実からの突破口を探りたいとの意図があってのシンポジウムだった。しかし、ふたを開けてみれば、シンポに参加した人々の多面的な切り口から、かっぽがはらむ豊饒な世界がつぎつぎと顔をのぞかせた。
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 歯切れの良いコメンテーター・県福祉推進課の羽鳥さんも含め、シンポジストの方々に感謝します。
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 多元的、多角的な要素を松本大洋的なひとつの街の風景にまとめあげたコーディネーターの吉田さんもお疲れさま。

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