共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 限界を迷走し転びながら歩く みんな一緒のクリスマス −ユニークバンドを迎えて

<<   作成日時 : 2015/02/05 08:45   >>

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まずは、facebookで紹介した月刊わらじ2005年新年号の表紙から。

新年号の表紙はどうしてもこのクリスマス風景になってしまう。そして、特集はねんがマンガなので、伊藤鉄彦先生のイラストをコラージュしてみた。往く年も逝く人も総出演の「みんな一緒のクリスマス2014」だった。
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37年の歴史をふりかえると、最大の転換は1990年。南埼玉病院つどいの場オープン記念セミナー(上の写真)でユニークバンドと出会った。

クリスマスに招いた彼らが、楽器を山ほど持参してみんなに配った時、舞台と客席の境界が崩れた。その前年のベルリンの壁撤去のように。ユニークバンドは今は消滅した墨田区の精神障害者作業所のバンド。病院が、障害者自身の運営管理する居場所を地域の中に設けたことが、この作業所の由来。
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壁を直視し、あがき続ける彼らの名曲は、「ビンボー」、「この世の終り」。その流儀が、わらじクリスマスの常識となる。

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90年代から数年に一度製作されてきた映画も、クリスマスの転換の象徴。直近の作品は2010年。出口なき日常に倦んだパタパタ職員がタイムマシンで過去、未来を旅し、現在に戻っていろんな人に問いかける…。

もちろんわらじ発足以来の一品持ち寄りの「共食」―とりあえず食べながら…とりあえず生きることがベース。

理屈はいらない、楽しければいい。たしかに!だがAにとって楽しいことが、Bには苦痛。調和が人を分け隔て、奴隷の労働歌が人をつなげる。意図して可能なことではない。だから一緒に動いてみる。ぐるぐると経めぐる。グローバルな規模で分けられてゆく時代だからこそ、わらじの会3大行事は今年もやはり大事なのだ。

「みんな一緒のクリスマス」の秘密―@共食

 
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 37年間のクリスマスでは常にいろとりどりの食物や飲物がたっぷりと並んだ。写真は1990年ごろ。

 これらの食物は参加者が一品持ち寄ったもの。一品といっても、単身で暮らす人や家族に話さないで参加している若い人などは、スナック菓子やフライドチキンなどを買ってくることも多い。中には、ご飯を炊いておにぎりを作ってくる人もいる。
 いっぽう、数年前までの橋本画伯の母・ミツエさんのように、早朝から天ぷらを揚げ続け、自分は油にあたって具合が悪くなっても、クリスマスのために大量の「一品」を出してくれる人もいる。飲物は会費から用意するが、ボージョレ・ヌーボーなどを一品として持ってくる人もいる。
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 いろんな人が集まるので、結果として山海の珍味が集まる一方、食べなれた物もけっこうある。
 
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 それを、主として母ちゃんたちが調理室で大皿に分けてきれいに盛り付け、各テーブルごとに運んでもらう。
 
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 11時からプログラムが始まり、12時を少し過ぎると食事となり、15時に終わるまで、体調と相談しながら食べたり飲んだりしつつプログラムに参加できる。食事に介助が必要で、時間がかかる人も参加しやすい。

「みんな一緒のクリスマス」の秘密―A共演

 先にユニークバンドの所で述べたように、「慰問」という言葉に象徴されるような、こちら悩みを背負い苦しんでる人、あなた慰めに来てくれた人といった関係と対峙し、その関係を崩し一緒に楽しみ、一緒に創ってゆくプログラム。

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 慰問という一方向的な関係は、プログラムの中に障害者たちが練習の成果を発表する逆の一方向的な関係が織り込まれても、決して双方向にはならない。
 演じる―観る(聴く)という関係の固定化の中に、慰問や励ましといった一方向的な態度が再生産される土壌がある。
 それは、どんなに「サービスの主役は本人」と言い、「本人を真ん中に置いて地域ネットワークを」とか叫ばれても、いやあらためて「本人の意志」を強調すること自体が、関係する支援機関、自治体、制度の都合によって人々が分け隔てられていることの徴でしかないことと似ている。
 サービス利用計画作成における本人の意志決定支援をどうしたらいいかと悩むのは無駄ではないが、そこでの出会いをきっかけとしながら、併せて地域の生活者同士として出会い、向き合ってゆく道を探ることが何よりも大事だ。本人と自分(支援者)だけでなく、さまざまな人々がいる地域で、一緒に悩み、迷いながら、仕事や住まいや介助を創って関係を拡げ、周りとせめぎあって生きてゆくこと。
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 ユニークバンドが伝えてくれた音楽も、そんなイメージをはらんでいる。彼らは、一緒にやろうよと私たちを挑発し、名曲をあえて解体の危機にさらす。その危機の底に世界を透視しようと企てる。
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 今年のクリスマスでは、和太鼓の演奏も、そんなイメージを追っていた。
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 熟達した演奏から始まり、ついでさまざまな参加者を引き摺り込んで、自ら解体し、最終的には宗教色のない「踊念仏」のような世界になっていた。
 
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 ユニークバンドが引き出したものは何なのか?

 それは、半世紀前に鶴見俊輔が「限界芸術」と呼んだもの。鶴見は次のように述べている(初出「芸術の発展」鶴見俊輔 1960.7 勁草書房)。
 
 「今日の用語法で『芸術』とよばれている作品を、『純粋芸術』(Pure Art)とよびかえることとし、この純粋芸術にくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を『大衆芸術』(Popular Art)とよぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を『限界芸術』(Marginal Art)とよぶことにしてみよう。」

 「芸術は遊びに源をもつというのが、グローセ以来の説であるが、食物を獲得するとか、住居を作るとか、衣服を作るとかの実際的な諸活動から切り離されたものとしての純粋の遊びがあって、それが最古の芸術であったというのではない。衣食住を確保する実際的な諸活動(労働)の倍音として、それらをたのしいものにする活動(遊び)があり、労働の中にはっきりと遊びがあらわれるにしたがって、たとえば狩の目的物を魔術的によび出すための準備活動としてアルタミラの壁画があらわれるように限界芸術があらわれ、それが芸術の最古の形式となったと考えられる。」

 「酒ののみようだけでなく、笑い方、泣き方の歴史が、独自の限界芸術の歴史となる。」

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 「限界芸術の諸様式は、芸術としてのもっとも目立たぬ様式であり、芸術であるよりはむしろ他の活動様式に属している。 この特殊な位置の故に、限界芸術のことを考えることは、当然に、政治・労働・家族生活・社会生活・教育・宗教との関係において芸術を考えてゆく方法をとることになる。芸術を純粋芸術として考えてゆくことが、芸術を他の活動からきりはなして非社会化・非政治化してしまうのとちがい、また芸術を大衆芸術として考えてゆくことが、芸術を他の活動に従属し奉仕するものとして過度に社会化・政治化してゆくのともちがって、芸術そのものの観点につきながら他の活動の中に入ってゆき、人間の活動全体を新しく見なおす方向をここから見出せるのではないかと思う。」

 「現代においても、純粋芸術・大衆芸術の発展の契機は、限界芸術に求められる。言語を素材として使用する限り、言語による純粋芸術・大衆芸術の最小粒子は、民衆が毎日つくっている限界芸術なのである。」

 鶴見が添えた「芸術の体系」と題する図表。
 
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 鶴見による「芸術の体系」において、限界芸術として「日常の身ぶり」がある。

 それまではマイナスとしかとらえられなかったマヒした身ぶりを、むしろ脳脊髄といった中枢の規制から解放された身ぶりととらえ、純粋芸術として展開させていったのが、劇団「態変」(1983〜)だった。

 主宰者・金満里は、1975年大阪で初めて24時間介護の自立生活を始めた重度障害者。青い芝の「内なる健全者幻想からの解放」、「障害者文化の創造」は、当時から一貫したテーマだったといえよう。

 以下は、劇団「態変」公式Webサイト(→http://www.asahi-net.or.jp/~TJ2M-SNJY/ )、の「金満里の庭」から。

 今回、私が目論んだもう一つの課題。身体の道具化と道具の身体化である。
 宇宙的視野で捉えると、個人の自我やアイデンティティも、その中で如何に機能するのに必要か否かで決まるようなもの。他と分ける、自己保存への強い欲求の現れとしてある、自己意識や自我。そこからくる”私の体”という唯一、な個体としての、括れる体を取り戻す。これが、私にとっての身体表現が必要になった由縁でこれは、身体障碍者として、自己の身体がある、ことを確かめるために必要だった大きな挑戦だったと言える。
 しかし、当初より障碍の自己の身体を、擬似動物に似せたり、身体の変形や欠損をわざと空間に延長させたりといった、ことをハリボテの衣装や、個人の障碍の形態とイメージが膨らむところで携帯することでの物との一体感、を楽しむことはやっていた。しかしそれも、個から派生する物でしかなかった。
 が、今回は冒頭シーンだ。
 体か物かはっきり区別が付かないぐらい、物が肥大化した被り物で、顔を極力見せずに物で始まる。
 これは、人間の本質としての身体の否定をやりたい、のが既に私の中で始まっている現れだと思う。肥大した頭から、脳みそのような肉片のような溶岩のような物が落ちこぼれてくる。これは、確かに悪夢である。(客席いた子供が泣く日があったが、大人も観客感想で聞いた、悪夢のような冒頭でのシーンが続く、と。)それを自分でかき集め拾い持つようにして、去って行く。
 自然界にある厳しく険しい荒々しい自然への畏敬の念と身体との融合を祝う、のと、いろんな電子機器物たちに囲まれて、頭脳の肥大を生むことで実態の見えない、それこそ属性からの出発でしか始まらない現代に生きるている我々。それは、どこかで常に、課題は同じものを有している、のである。

  

 ドナ・ウィリアムズは「自閉症だったわたしへ」の末尾でつぎのように述べる。
 
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 「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、二次元のキャンバスの上で、三次元の世界の意味をとらえようとしながら絵を描いた。作品を通して彼は、物の表面的な姿形を超えて、その物固有の本当の美しさを見つめるよう、人々に訴えた。そうした美しさは、一般的にはむしろ醜いものとして、見捨てられがちなのである。ゴッホは、美というものはシンプルさの中にあると、伝えようとした。」

 「しかし現実の世の中では、複雑なものばかりに重点が置かれているような気がしてならない。おまけにその複雑なるものは、シンプルさの中には存在しないと考えられているようだ。それはまちがいである。そもそもはっきりとした意識のもとで、複雑な思考ができることを誇りにしている人たちも、潜在意識の中で象徴的な思考をする能力については、知らない場合の方が多いだろう。それなのに、この世の中が子供たちにとってどの程度の価値のものなのかを子供たち自身にたずねることもなく、独善的な自信を振りかざして、『世の中』のいわゆる複雑さの中へと子供たちを引きずってゆく。
 たとえ悪意はないとしても、これこそ狂気というものではないか。ものを知らないということではないか。無知というものではないか。」

 「自閉症の大きな特徴は、コミュニケーションが困難であることだ。そこで、それに対してわたしが自分で立てていた戦略方法、対策方法を、これから述べてみたい。」

 

 それは、「複雑な思考ができることを誇りにしている人たち」、言いかえれば「潜在意識の中で象徴的な思考をする能力については知らない」人たちに対して、「シンプルさの中にある」「美というもの」に拠点を置き、「自分なりにそれ(コミュニケーションや自己表現がうまくできないこと)を補う複雑な防衛システム」だった。

 そのいくつかを抜粋してみる。

 「ことばを通じて相手がこちらをつかむことはない―そのために、相手にはわけのわからないことばを使ったり、『詩のことば』で話したりする。」

 「ことばは、直接相手に向けられるものではない―このため、物を通して会話を間接的なものにしたり、さらには物に向かって話したりする(これは文章を書くことにも通じる。文を書くというのは、紙を通して話すことだからだ。」

 「自分が口にしているのは、そもそもことばではない―そうしてかわりに、その場に適当な歌を歌ってみる。」

 「笑うことは、自閉症の場合、相手の声に対するものではない。笑いは、自分自身の楽しさの表現であり、理解したという表現であり、そして恐怖の表現でもあるのだ。」

 「わたしにとって、ことばは音楽から派生したものに思えた。音楽のメロディーの中には、すでにことばが存在していた。
 わたしの場合でいうならば、たとえことばを音の連なりとしてしか聞いていない時でも、わたしの心はその連なりなりメロディーなりの意味を、読み取っていたのである(潜在意識の中でだろうか、それとも物理的、肉体的にだろうか?)だから私は、言われたことを全く理解していない時でも、相手の要求どおりに動いていることがよくあった。」 


このようにドナ・ウィリアムズは、「コミュニケーションが困難」という自閉症の根底に、シンプルさの中にある美へのこだわりがあるとしつつ、それを知ることのない人々の中で生き抜く戦略方法として打ち立てた、いわば限界芸術が、世の中からは「自閉症の症状」として観察される構造を述べている。

ついつい筆がぐだぐだと迷走してしまった。「みんな一緒のクリスマス」では、舞台と客席の境をこえて、さまざまな身ぶりや音や声が断続的に入り乱れることについて述べようと思った。それは、地域でぶつかりあい、一緒に生きている人々の生活や労働から湧き出てくるうたのような踊りのような表現だろうと言いたかった。

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 ちなみにその扉を開いてくれたユニークバンドは、いまやこの「みんな一緒のクリスマス」の日だけ復活する伝説そのものになって久しい。名曲を生み、演奏して来た顔ぶれは、四半世紀の間に散り散りになった。

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 今回は、ボーカルだけが、創設時からのメンバー。あとの方々はたぶん初めてで面喰ったろうに、よくつきあってくれた。感謝!

なお、あの旅するテント劇団どくんごから、今年は3名もおいでいただいた。どくんごは2015年はツアーをお休みし、2016年に向けて仕込みをしながら、メンバーが分かれて各地のグループを訪問したりするらしい。
 劇団どくんごホームページ「そのころ地球では」にこの日の写真がアップされている。
  
 →http://blog.dokungo.com/archives/201412-1.html

 劇団どくんごについての、このブログでの過去記事は以下。


 →http://yellow-room.at.webry.info/201406/article_6.html

  http://yellow-room.at.webry.info/201307/article_1.html
 
 

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