共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 格差社会生産する高校ピラミッドが生む不公正―希望者全入こそ公正の道

<<   作成日時 : 2014/11/05 20:59   >>

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どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会の教育局交渉。
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障害のある生徒の受験及び選抜上の配慮に関して本人・保護者から出される措置願の取り扱いが焦点。局は中学校段階ではインフルエンザや骨折などへの配慮もここに混入しており、かつ実態も把握してこなかったことを認めた。

 局の回答抜粋 : 

     (「いつからこのような説明をするようになったのでしょうか」という質問に対し)

          「過去の記録がなく、確認が取れませんが…」

    (「なぜこのような解釈・説明をするようになったのでしょうか」という質問に対し)

           「解釈を変えたものではありませんが、説明不足もあって誤解を受けたことは残念です。」

  
( 「中学校や高校に対し、撤回した部分について、誤りがあったことをどのように説明し訂正するのでしょうか」という質問に対し)

           「中学校には、市町村教育委員会対象の会議で説明し、周知を図ります。」
           「高校には、高等学校対象の入学者選抜実施要項説明会で説明します。」
           「障害者基本法第2条の文言に沿って説明します。」


局の口癖の「公平・公正」とは正反対の事態が生じているのは偶然ではない。
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 そもそもこの交渉の場は、小学校就学時からの障害のある子を分け隔てる教育に対し、地域で共に学び育つことの大切さを県と確認し合うことから始まった。義務教育段階では本人・保護者の意志を尊重することを県は毎年確認し、市町村の現場では排除もありながら共に学んでいる「障害児」が県内に数千人と推定される。
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しかし高校は入試により子どもたちを公然と選別し、共に学んできた「障害児」たちのほとんどが特別支援学校へ流されて行く。そのことにより、障害のない子も含め選別強化が自然なこととみなされてしまう。格差社会の下支えだ。公立高校はそもそも共に生きる地域社会を創造するためにあるべきではないのか。
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四半世紀にわたる交渉の議論を受け、県は近隣他都県が重い知的障害のある生徒を積極的に受け止めている事例を研究し、2010年度から選抜上の配慮(加点)を盛り込んだ。だが総体としては選別の流れがさらに加速する中、この配慮の大目的も、具体的な意味も見失われ、他都県並みにレベルアップするどころか、単なる受験競争の道具化されていることが証明されたといえる。
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本来の趣旨である積極的差別解消策が、あらためて問われている。
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 さて、今日の交渉でのエピソード。幼い頃から分けられて大人になった重度重複障害のRさん。交渉中ずっと眠っていた……

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 が、主席が言い訳し出したとき急に立ち上がり、主席のもとへ。
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その後、埼玉障害者市民ネットワーク代表野島さんが語り出したら、彼女のほうへ。


野島さんも分けられて大人になり、一人暮らしをしてから県立の定時制へ。セーラー服を着たかったから。高校では段差があり給食室へ行けず、コンビニの食事。他の生徒はコンビニが大好きだが、野島さんは給食が食べたかった。

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 分けられてきたからこそ、統制と思われるような制度の中にも一緒に生きる関係を見出せる。 そもそも野島さんが大人になって高校へ行ったのは、養護学校育ちでは無縁だったセーラー服を着て通学したかったから。

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 だからこそ、Rさんも含め、共に学び共に働くための取り組みを。少なくとも県立、市立の高校生たち、そして彼らにつきあう高校教員たちがRさんや野島さんとつき合う関係を積み重ねなければ、共に生きる地域なんかできようがない。

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 交渉を終えた夜、ひきこもりがまた続き始めた39歳のTくんの家へ。お経を上げていたり、トイレに入っていたりで、三度目にようやく。出てくるまでの間が長い。
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そして一緒に黄色い部屋の月刊わらじ編集作業へ。着いたらすでに作業は終わっていた。編集長からの事情聴取を受けた後、取っておいてくれた夕食を。帰りの車中でTくん、もっと出るようにしなきゃだめですねとつぶやく。
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 障害のあるなしに関わらず、格差社会は人々の生活を限りなく分け隔て、格差ピラミッドを緻密化してゆく。各々が閉ざされた小世界の内で、自己責任をあたりまえのように自らに強いながら自閉してゆく。その構造を放置するならば、どのような支援策があろうと、その支援そのものも分断を固定化する役割を果たす。

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 「どの子も地域の公立高校へ!」 このメッセージは、義務教育の美化やその高校への延長をストレートに意味するものではない。いうなれば「希望者全員入学」だ。

 義務教育は子ども・若者を鋳型にはめ、国家に奉仕し大企業の労働力として使いやすい人間を大量生産する。感性豊かな子ども・若者ほど、その本質を嗅ぎ取り、不登校にいたる。

 そして、義務教育は鋳型にはまりにくい子ども・若者を振り分けて、新たに別の鋳型にはめ込んでゆく。
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 この振り分けに抗い、さまざまな存在が一緒にいてこそ人間社会じゃないかと地域に踏みとどまるのもまたごく自然な感性であり、成り行きだろう。

 
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 通常学級、公立高校は決していいところではない。でもいろんな子どもや若者がいて、悪いことも、たまにはいいことも、一緒に経験し合う。不登校になるのも含めてだ。それが「地域で共に学び育つ」であり、「どの子も地域の公立高校へ」なのだ。

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