共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 市 まつり 再会 − 時空をぐにゃり 第37回わらじ大バザー

<<   作成日時 : 2014/10/14 00:26   >>

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わらじの会三大行事の一つ、わらじ大バザー開催。37年目の大バザー。

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春日部市武里団地でのバザーは、今世紀になって初めて。この武里団地は、わらじの会の誕生の地ともいえる。1978年当時、「東洋一のマンモス団地」と言われ、住民活動が活発。そして、すぐ隣に越谷市恩間新田があり、越谷市でももっとも開発が遅れた農村地帯。この二つの地域の出会いから、現在のわらじの会がある。わらじの会発足直前のイベントは武里団地で行ったし、恩間新田等、圧倒的に越谷市民の障害者が武里団地のこの公園に集まって始めた日常活動(自立に向かってはばたく家準備会)が、現在のわらじの会の諸事業体につながっている。

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まつりとしてのわらじ大バザー

昔からふだんは人気の少ない公園が、この日だけは祝祭空間となる。イオンのショッピングモールとは異なる、この日だけの市。だからこそ、面白うて、やがてかなしき一日。市とは、異なる共同体に属する人々が物を持ち寄り交換することを通してあいまみえる時空。もろもろのタブーをひきずって、それをさらけ出し合いながら、なおかつからだとからだが物を通して出会うことの確かさに支えられた場だ。

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焼きそばと「怠学いも」。市には食がなくてはならない。

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市は国境を、言葉を、まぜあわせる。売り子のYさんは、96才の母と二人暮らしだったが、その母が入院している。「今日はお泊りよ。Tちゃんちお泊りするの。お母さん、寝てたよ。」とつぶやく。かみ合うことはないさまざまな人生だが、そのままでいまここにある。

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どの子も地域の学校へ!公立高校へ!東部地区連絡会(TOKO)のブース。近代公教育以前の社会では、子どもも小さな大人として社会に在った。労働力予備軍とみなされるようになった近代から、学校等の子供社会が作られた。その子供社会がさらに分け隔てられてきた現在、共に学び育とうとめざすTOKOの役割は重要。

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 わらじ大バザーの猥雑な妙味、異なる世界の出会いを拡げてくれた水上プロレスが今年も来てくれた。主宰者・水上さんは、1991年から1996年までいまはなき武里団地中央商店街広場で開催されたわらじ大バザーを見て育った団地っ子とか。しかし、それも謎の霧の中。何が真実で、何が幻か、すべてはからだが感じ取る。

 なお、「ナムのジャンク領域ブログ」にこの日の「観戦記」が詳しくアップされている。URLは以下。
 
 http://blog.livedoor.jp/namkabuan/tag/%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9

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盲聾者にして下肢マヒのドン・キホーテ、橋本克己画伯。思い姫に贈る品を選ぶが、どれもふさわしくないらしい。学生時代からわらじの会に関わってきたKさんは、いま生活保護のケースワーカー。役割分業をこえてで会う場の大切さ。


わらじ大バザーの群像

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Kくんは作業を手伝うでもなく、邪魔するでもなく、超早朝からそこにいる。一人暮らしの脳性マヒ者Aくんの介助者として働き、その給料をAくんに管理してもらっている。ヤドカリとイソギンチャクのような関係。

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人の海の寄せては返す風景の一部となりきってサックスを吹く。見えない微風が空間を変形させる。やんわりとひずんだ世界で、人と人、物と物が、思いがけなく出会う。

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去年はふさぎの虫が邪魔してたけど、今年は孫の誘いで出てきたという。歩行器を手に入れて重宝していると。このバザーとはもう30年来のつきあい。盆正月に次ぐような。

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カレーの配達。無農薬自家栽培の食材で。いまは職も子どもも忘れ、カレーに徹す。

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Rくんの言葉は一音一音が超ゆっくり。メモしないとわからないほど。そのスローな発語が不思議な説得力をはらむ。

はるかな時を経て出会う大バザーの日

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高校生の時武里団地に住み、わらじの会に関わったSさんとともに、草加のケアホームにHさんを迎えに。

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Hさんは通所していた施設から断られ、昼間もケアホームにいるという。わらじ大バザーで、通所施設の友だちAくんと再会す。

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そして四半世紀ぶりの出会い。Iくんは兄やHさんが県立高校入学を求めて県知事応接室に三泊四日した時、小学生でそこにいた。下の写真。Hさんと両親の訴えを聞く県教育長。その後ろの子どもがIくん。

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いまわが子Uさんを抱いて、Hさんとあいまみえる。

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上の写真は、定員に満たないにもかかわらず、県立Y高校定時制を不合格にされたHさん。応援してくれた高校生と。その後、この高校にめでたく入学できた。Hさんが車イス生活になったのは卒業後。

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 鉄オタのHくんは元団地っ子。中学の同級生と30数年ぶりの出会い。わらじ大バザーのポスターの端っこにHくんの写真があったのをスーパーで先週見つけて今日来たという。小さな写真、そして髭を長く伸ばし、しかも下を向いているのによくわかったものだと驚いたが、あたりまえでしょと平然。

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Hくんは「とっつあん」と呼ばれていた。1年就学猶予をしたこともあるが、相談役といった風格もあったようだ。

当時のHくんはなんとか歩いたり、母の自転車に乗せてもらい通学していたが、修学旅行で初めて車イスを借りて使った。その時、車イスを押して京都の坂道や階段を経めぐった一人がこの人。短い時間を共有しただけだが、その体験は後の人生に刻まれる。

ちなみに、先のSさんは中学でHくんの2年くらい後輩。

 筆者は、少年Hがだぶだぶの学生服を着て、母の自転車の荷台に腰を掛けて、中学に登校する姿を見ている。が、本当の出会いは、彼が中学を卒業し、通信制高校に入学した春、まさにこの近隣公園で彼が話しかけて来た時。当時発足して間もない「自立に向かってはばたく家準備会」の障害者たちが、この近隣公園に集まり活動を始めていた。そこに彼が近寄ってきたのだった。

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 上の写真が、わらじの会に来て間もない頃のHくん。大バザー会場で。まだ車イスを常用してはいなかった。

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 Nさん三姉妹と母が大バザーに集合。Nさんが谷中耳鼻科の黄色い部屋に家出して来た時、母は誘拐で訴えると言った。しかし、何年かたち、Nさんが一人で生計を立ててくれてよかった、ほんとに親孝行だと。

以後、毎年わらじ大バザーの時だけ、この顔ぶれが集まる。Nさんが初めて来たとき、日本人形みたいだったなあと思い出す。Nさんが育った東京の熊野前商店街では美人三姉妹と有名だったらしい。いまNさんは団地住まい。

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 団地住まいのOさんと母そして母の姉の三人もバザーでそろう。Oさんは団地の入居者が替わる前の壁紙はがしのベテランだが、最近仕事がない。代わりに団地内のポスティングで働いているが、チラシを入れないでという貼紙が読めないため入れてしまい、苦情が来て、仕事に支障が出ている。

 施設は嫌いだが、少しのサポートが付いた仕事をしたいOさん。今日はいっぱい衣料品を抱えていた。

 第37回わらじ大バザー、裏方の事務局は、地域活動支援センターパタパタや生活介護事業所くらしセンターべしみが担う。ただ、施設の事業として抱え込むのでなく、地域の他の人々の共同の取り組みとして、最初から最後まで創ってゆくところに、わらじ大バザーたるゆえんがある。ともすれば自力でやったほうが手っ取り早いと思っても、それを自らに禁じる努力はとほうもなく思える。が、積み重ねてゆくと、周りの人々自身の年中行事となる。市であり、まつりであり、時空をこえて出会う場ーそれがわらじ大バザー。その37年目が終わった。

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