共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS 未完のふるさとへ共にかえる わらじ大バザー2014  10・12 会場・武里団地近隣公園

<<   作成日時 : 2014/10/06 00:49   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0


10月12日(日)は第37回わらじ大バザー。東武沿線の野外のバザーとして知る人ぞ知る、この1年に一度の大バザー会場が、実に十八年ぶりに武里団地(近隣公園)に帰ってきます。思い出多い品、貴重な品を提供して頂いたみなさま、ご協力、ご声援下さっている方々、ありがとうございます。
武里団地はわらじのホームグラウンド
画像

1987年に発足したわらじの会にはいくつかの源流があります。その一つは障害児と親の会で、武里団地の住民活動とつながりがありました。
画像

会員の中には団地住まいだった人が多く、今住んでいる人もいます。
画像

だから、団地の夏祭りには常に夜店を出してきました。
画像

もう一つの源流は、家の奥にいた越谷の重度障害者たち、そして一緒に街に出ようと関わっていた越谷市職員組合青婦部の若者たちでした。その縁で、発足から十二年間、大バザー会場は越谷駅近くの旧越ケ谷公民館にしていました。
画像

その公民館が取り壊されたため、1991年から六年間にわたり、武里団地中央商店街広場(いまのカスミと駐車場の中央)を借りて大バザーを行いました。公民館のように鍵がかかる場所ではないため、前日に会場設営した後、泊まり込んで見守るグループを置きました。

手足も動かず言語障害も重く、屋内の活動では眠るかトイレというKさんが、目をらんらんと輝かせ警備していたのが印象的です。

武里団地バザーの六年間とは
画像

この六年間は世間ではバブル崩壊後の「失われた十年」に重なります。
画像

しかし、わらじの活動では、武里団地に隣接する越谷市恩間新田の重度障害者N姉妹が分家し、他の障害者を誘い、世話人を確保して生活ホームが発足。
画像

それに併せて、武里団地傍の谷中耳鼻科にあった活動拠点をさらに拡げ、住民参加の介助システムを立ち上げ。そこに知的障害の人々と主婦たちの店…。
画像

武里団地バザーの六年間は、まさに共に生き・共に働く地域拠点づくりのラッシュでした。
画像

そのしめくくりとして、武里団地西側の大場に地域デイケア施設、恩間新田に通所授産施設と第2生活ホームができたのが1995年です。


スカイツリー並みの出来事だった
画像

N姉妹は、難病で歩行困難になり小学校に上がって間もなく、「来ねえでいい」と言われました。近所の友達もいなくなり、縁側で豆の殻むきや綿繰りなどの日々。足はいよいよ動かなくなりました。ある日兄ちゃんが、「見に行こう」と軽トラに乗せてくれました。「すげえだろう」と見せてくれたのが、武里団地の工事現場だったのです。田圃が続きその先には東武電車の土手しかなかった風景が一変していました。当時の地元にとって、スカイツリー並みの高層建築物でした。
画像

農業が機械化しコメ専業になりN姉妹の縁先の仕事もなくなり、つぐんでいるだけの日々が続きました。わらじの会ができ、さらに会内の重度障害者たちの生活を探るグループが武里団地近隣公園で始まったのは、工事見物から十数年後の1981年です。

団地での出会いからひらかれた世界
画像

最初にやったのは、活動費稼ぎのため、バザーの残り物を露店で売ることです。介助者不足のため、障害者一人で店番。通りがかりの主婦がおそるおそる値段を聞いてきます。言語障害を恥じてしゃべらない障害者も口を開きます。お客が自分で袋に入れ、金を箱に入れ釣銭を取ります。そのうちに常連客ができ、店番が楽しみになります。後片付けやトイレ介助まで頼んだりしました。
画像

公団の管理事務所が露店をやめろと言ってきました。べそをかいていると、通りがかりの主婦たちが、やらせてあげなさいよと言ってくれました。テキヤさんも、わらじの会は認めてやると言ってくれました。
画像

当時は新聞社からもらった電動車椅子が一つあるだけ。そのレバーを、障害部位に応じて左手や足で操作できる位置に付け替えながら、交代で乗る練習をしました。近隣公園内のコースで練習し、慣れると団地の中へ。生まれて初めての自力走行。
画像

ディズニーランド以上の夢の世界が少しだけ現実になりました。それから十年後、地域拠点づくりが始まるのです。

まつりと市がつなげる人々の暮し
画像

世間的には「失われた十年」に重なる武里団地バザーの六年間。「灰色の巣箱」といわれる団地の壁をこえて暮しが垣間見え…。暮しの中から暮しを変える現代のまつりと市。

1992年のバザー会場での会話。「嫁に行った二人の娘がこのバザーの時は毎年帰ってくるんです。二人とも沢山買うんですけど、後で取り合いになって。」、「こういうのがあるとほんと助かりますよね。」
画像

1995年のバザー前夜の風景。「夜は一時星が見えた。広場の隅にはバイク少年たちが十数人しゃがんでいる。別の隅には中学か卒業したてぐらいの女の子たち5〜6人がだべっている。荷物の周辺にいるぼくら。この外周をうろついたり、中央のベンチに座って暗い所で本を読んだりしている少年。明け方、彼の紙袋の中を見せてもらったら、プラモのセットが作りかけのまま沢山。『好きなんですか』と訊くと『十六才です』と答えたという。十二時過ぎに水商売の女将風の人がきた。いつも仕事帰りに通る広場に、異次元空間が出現したという感じで、Hさんが張ったテントを『あれなに?なんなのよ』と近づいてきた。四時半までいた。」


1996年のバザー前夜。
「昨夜バザー会場とバス通りをはだてた十階建てから飛び降り自殺があったそうだ。電動車椅子で通りの方の警備をしていたFくんとHくんは救急車やパトカーが来るのをずっと見ていたという。」
最近わらじの会の夏の交流合宿などに子連れで参加しているA・M姉妹は、わらじ大バザー会場だった中央商店街広場を囲む団地2街区に住む子どもでした。家にいたくなくて、前夜も遅くまで会場で遊び、本番でも手伝ったりしたとか。

2006年からバザーに登場した水上プロレスの水上さんもこの団地バザーにずっと来ていたとのこと。

耕し続けられる武里団地

中央商店街広場をバザー会場に借りられた背景には、団地の空家が増え、高齢化も進み、商店街から撤退する店も出てきた状況が。
画像

でもだからこそ、これまで入居できなかった要介助の一人暮らしの障害者にチャンスが。近くの借家で暮していたNさんが武里団地に入居したのが、1996年。Nさん宅にはスロープとリフトが設置。
画像

その後、生活ホームから出たFくんや、分譲の街区で暮していて両親を亡くし一人になったTさんが、介助者を入れて武里団地で暮しています。

近年は官学連携による学生のルームシェアとその条件として学生が高齢者の体操や文化祭を手伝う事業が始まり、それをきっかけに自治会によるふれあい喫茶なども生まれています。来年度は、NPOと連携して見守り事業も始まりそう。
画像

かっての自治会の合言葉「子どもたちにふるさとを」に加え、高齢者、障害者、さまざまな人々が一緒に暮すふるさとを。街を耕す営みにわらじの会も喜んで参加します。

その入り口となるわらじ大バザー2014でお会いしましょう!
画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
未完のふるさとへ共にかえる わらじ大バザー2014  10・12 会場・武里団地近隣公園 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる