共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 故 新井豊に捧げる  ― 降りて行け、性と労働の谷間へ 

<<   作成日時 : 2014/08/21 23:51   >>

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 かって発足数年後のわらじの会内に登場した在宅障害者自身の生活づくりの会「自立に向かってはばたく家準備会」。その活動が越谷市から認められ、予算的裏付けを得てオープンしたのが「自立に向かってはばたく家の店・パタパタ」だった。1983年のこと。その初代店長にして、つい最近まで「ぶあく」の店の職員を務めてきた超ベテラン障害者・新井豊が7月26日、この世を去った。71才だった。以下は、筆者が「わら細工ニュース」8月号に寄せた追悼の文章。8月号が発行されたので、ここに紹介する。
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朝霞市で生まれ育ち、成人後もそこで暮していた新井が越谷に引っ越してきたのは、故 野沢啓祐わらじの会代表の失恋が縁だった。

(野沢の失恋については、このブログの過去記事「愛執のまちに生き 愛執を編みなおす  野沢代表の記憶 U  」参照→http://yellow-room.at.webry.info/201310/article_2.html )

野沢は、決死の覚悟で初めて一人で車イスのまま電車に乗り、深夜浦和の女性ボランティア宅を訪ね、結婚を迫ったが断られ、「死んでやる」と叫んでいなくなった。そして、失意を癒すべく、しばらくの間泊めてもらった先が朝霞にあった障害者たちの印刷屋。そこで働いていたのが、新井だった。

それから数年後、突然越谷のアパートに引っ越してきた。失恋の黒い穴の周りをうろうろとさまよい続けていた野沢の様子を見て、わらじの会に興味を持ったとしか思えない。当時から変な人だったのだ。
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 80年代の月刊わらじには、毎月のように新井が書いている。本を読むのは好きだったが、書くのはこの時からだという。いままでの鬱屈が圧を増して、じわじわと滲み出たような文章。

 小学校に上がる年になっても10メートルも歩けなかった。1年就学猶予した後、母に負ぶわれて学校に行った。初めの3ヶ月は、トイレ介助や鉛筆に手を添えて書かせたりするのも母だった。やがて、女の先生が面倒を見てくれるようになる。しかし、そのうち下校時にいじめにあい始める。先生が近所の子供達に、集団で帰ってくれるように頼んでくれた。その近所の子供達はほとんど女の子だった。 このように、新井は女性たちに囲まれ、守られて育った。

中学になるといじめはなくなった。他のことは何もできないが、本が好きで字も読めた。1年下の女の子と本を貸し借りした。夏の夕方、本を返しに行ったら、台所の戸が開いていて、風呂場に裸でいた女の子と目が合ってしまった。それから気まずい感じになってしまった。



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その後、「いまでいう非行グループ」に入ったりしながら中学を卒業。親戚から仕立てた服を電車に乗って届ける仕事をもらって、都内のあちこちへ行ったりした。街をぶらついていて出会った電話工事の親方に声をかけられ、山奥や離島に一緒に出かけた。後年、わらじの会に来て、「労働と介助」というテーマで討論した時、こう言っている。

…仲間が俺のできないことを何も言わなくても手伝ってくれた。やってもらっている、やってあげてるという意識はなかった。あのころ、もし自分の仕事を手伝う介護者が入ってきたら、それまで仕事を手伝ってくれた人達との友達としての関係が切れていたんじゃないのかな。

…ただ、給料の関係でいうと、一緒に働く仲間と俺はものすごい差があった。仕事の量もちがうし、内容もちがうから。それを就労介助を使ってやっていけば、健常者と同じあたりまえの賃金を認めさせてゆけるのかなとも思う。

…働くってことは、自分がロボットになっちゃってるという面がある。


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労働を通して人と人がつながってゆくことが差別をはらみ、差別を解消することが人と人を分けてしまう、そう新井は透視する。

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労働のそうしたアンビバレンツな構造は、初恋の過程と似ていた。

自立に向かってはばたく家準備会の店・パタパタの店長になり、そのはばたく家の専従介護人だったKさんと一緒に暮しはじめた時の彼は、矛盾の極北をさまよっていた。


新井の詩…

「自由が好きだ」と言いながら 
いつの間にか 
人の自由を束縛している 
愛とは勝手なものだ

ありのままに
生きるという事が 
どんなに 
むずかしいか
つくづく感じた 
今さらに

1990年、オエヴィス開設にあたり、地域生活の先駆者として、頼んで入居してもらった。介助者たちのアッシー君として、長老として、さらにはぶあくの店員としての新井を知る人は少なくない。

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寡黙で他者との関りを自制しているかに見えて、突如間欠泉のように噴出する新井節。
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後年の新井が言葉少なくして逝ったいま、あらためて、彼の問うていた「性と労働」のジレンマが、すぐれて現代的な課題として浮かび上がって来る。新井とともに降りてゆこう。性と労働の谷間へ。

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