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zoom RSS 「私の これまで と これから」−片麻痺サラリーマンKさんのリハビリライフ

<<   作成日時 : 2014/06/29 15:29   >>

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第49回共に働く街を拓くべんきょう会 ー 私の「これまで」と「これから」−話し手・片麻痺サラリーマンKこと北澤誠さん。

 「あなたがこの病気になったことを納得すれば復活できる可能性が出てくる」との看護師の言葉が、自分にとっての「名医の一刀」だった。自分が納得できたことで、リハビリライフを楽しめた。
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 ただ、ケンカもした。お父さんとまたキャッチボールできるようにと息子が持ってきたボールを、右手で放って左手でつかめたと喜んで報告したら、「それは反射です。あなたが捕ったんじゃないんですよ。」と冷たく言った若い療法士。

一刻も早く復帰したい私が、相談員から「介護施設に行くのが普通です。」と言われたが、退院後すぐにそれまでの職場に戻りたいと言ったら、「都心へ通勤?その体で?馬鹿なことを考えないでくれ!」と猛反対した主治医。
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 でも会社は私の意欲を買ってくれて、復帰支援制度を了解してくれた。が、これはゴールではなく、試練のスタートだった。
 片手しか使えないため、書類、PC、ファイル、セロテープ、封筒…事務用品全てがうまく扱えない!! 5分の仕事が30分かかる。「給料泥棒」という言葉が頭に浮かんだ。しかし、麻痺への慣れと手近な道具の工夫で、5分の仕事が7分ぐらいになった。ここまで2〜3年。

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 つぎの試練は、「あれが倒れた原因」と思われた新経理システムの仕事を命じられ、また倒れるかそれとも辞めるかの瀬戸際に立たされた時。自分がすべてを背負い込んでしまうような思考が自分を追い込んだのだとふりかえり、ひらき直ることによりなんとかクリヤー。信頼も取り戻せた。

 三つ目の試練は、東北大震災により電車や電気が止まり、皆がたいへんな思いをした時、こんな時に障害者は出歩くなと言いたげな視線が感じられ、ひたすら我慢した。
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 このようにして、私は自分の会社が介護施設だと思って会社に戻った(名言!)のだが、ある療法士からの声掛けで、勤務のない日にボランティアに出向くことに。そこで自分の趣味であるジオラマ製作を、高齢者・障害者のみなさんと一緒にやっている。何よりも自分がジオラマが大好きだからで、次には完成品をあちこちの会場で展示すると、一緒に作った高齢者たちが見に来た人たちに「私が作ったんだよ」と目を輝かせて語っているから。
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 これからの社会ーみんなが弱みを強みに変えて生きてゆけるようにしたい。
 
 このべんきょう会では、後半、参加者全員が自己紹介を兼ねて一言ずつ感想や質問を述べる。母が障害者施設の職員で、学生時代手伝ったという国会議員さん。
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自分も音楽の趣味を社会に生かしたいが、どうしたらいいかと質問する電動車いす使用者。自分も倒れて、若干片麻痺があるが、倒れる前と後で人生観がどう変わったか聞きたいという人。

自分自身、どういう老いかたをしていったらいいか考えさせられたという人。自分がうつ病になった時、最初のショックをのりこえるのに「指導してくれる人」よりも「話を聞いてくれる人」がとても大切だったと語る人。

司会の日吉さんは、「脳性マヒで養護学校に行った時、リハビリが大嫌いな子供だったが、中学から普通の学校に行ったら友達と一緒に遊びたいから置いて行かれないように走ったりするようになった。自分がこうしたいという思いがないところではリハビリも成り立たない。」と語る。
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北澤さんをこの会につなげる役割を果たした県立大・朝日さんも顔を見せた。

 なお、筆者が「名言」と受け取った「自分の会社が介護施設だと思って会社に戻った」について、ここで若干コメントしておく。相談員や医師は介護施設で1年くらい訓練することを勧めたのだが、もし従っていたら、家には帰れたとしても、職場復帰の見通しは立たなかった可能性が強い。

 北澤さんは、会社に戻る前に、ラッシュアワーの電車に乗って通勤する練習をしてみたという。よろよろと歩く北澤さんは、いまでも先を急ぐ乗客に突き飛ばされることがある。練習を始めたときのおそれと憤りはいかほどのものがあったろう。しかし、今では、そんなときも、「前は自分もああだったのだなあ」と客観視するゆとりを身に着けている。

 こうしたことひとつとっても、介護施設の訓練では決して得られないことがたくさんある。
 ちなみに、埼玉県立大学の初代・社会福祉学科長だった故・丸山一郎さんが、2001年に障害者の職場参加を考える会(NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の前身)定期総会の記念講演「共に働く社会へのヒント―ヨーロッパ、アメリカの経験から」で、次のように述べている。
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 「リハビリテーションというのは今の日本で使われている意味とは違います。リハビテーションというと日本では機能訓練と誰でも思うでしょうが、リハビリテーションの本当の意味は「権利を回復する」ということです。アメリカではリハビリテーション=職業に就くことであります。ですから、最初のリハビリテーション法がアメリカで作られましたが、それは職業リハビリテーションのことなのです。」

 「そういうリハビリテーションのサービスの中に重い障害をもった人達、重いっていうのは職業的に重いっていうことですね、身体や精神の機能障害が重いというわけではなくて、職業能力的に重い障害があるという人たち、そういう人達が、どう自立するかというのが大きな課題であり、それで、様々な方法がとられてきました。
 
 一つは、リハビリテーションを、日本で言うとリハビリテーションセンターとかでやるだけでなくて、はじめから企業と組んで、場所を企業が作ってトレーニングする「企業プロジェクト」。企業ははじめから雇用するというリスクは負わないで、場所とノウハウを提供しながら、リハビリテーションセンター、リハビリテーションカウンセラーと一緒になって雇用実現を進める方法です。

 援助的雇用という方法も進めています。センターや学校で訓練してから雇用につなげるというのは、重い職業的障害のある人には実際的ではない。ですから、初めから企業や市役所といった場面や実際の場面で支援者を付けて仕事をするという方法です。」


 近年、就労支援の現場では、いわゆるOJTがかなり普及して来た。しかし、リハビリテーションの多くは、まだまだ医学・医療の旧来の体制に包摂され、地域・職場から切り離されている。北澤さんの行為は、そこに橋を架けたのだ。

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