共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 職場参加をすすめる会総会・記念シンポ速報―その2  シンポ第1部 報告(日吉、沖山)

<<   作成日時 : 2014/05/04 16:34   >>

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記念シンポジウム「障害者の職場参加(多様な就労)と自治体―いま地域では」
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第1部:報告
「チャレンジドオフィスちば」の視察報告       日吉 孝子(当会運営委員) 
チャレンジドオフィスちばは、千葉県庁内の総務部総務課人材育成班というところにあります。障害者はスタッフと言います。雇用期間は短くて1年、長くて3年。
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各自が目標を立て、就労体験を経て一般就労していきます。あくまで一般事業所へ就労するための通過地点です。
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9名が雇用され、朝9時から16時までが就業時間。そのほかにコーディネートをするマネージャーが2名います。
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雇ったからわざわざ作ったというより県職員が残業などしてこなしていた仕事を受け持っています。
大きく3つに分けると定期的業務、二つ目は随時依頼業務、3つ目は納期の無い業務です。マネージャーの
コーディネートで年間を通しての仕事の平準化が図られています。また仕事量を把握してできる量だけ担当しています。そのため各部署からあてにされ仕事の広がりに繋がっています。
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オフィスの特徴として、一つ目は行政自身が本気になって障害者雇用のノウハウを蓄積して障がい者雇用のモデルを示す。二つ目は長期ではないので、多くの障害者が就労できる。随時実習者の受け入れをしています。
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オフィスには県内外から問い合わせ視察があり、すでに3市がこのシステムを実施。この千葉の取り組みは形を変え応用すれば多くの自治体で可能だと思いました。


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「働きづらさ」とつきあい続けた40年 沖山 稚子(越谷市就労支援センター前所長)
働くことにこだわった40年でした。学生時代は在日朝鮮人の就職差別の問題に強い関心を持って終りました。兵庫県の尼崎工業高校の聞き取りに行ったりして、進路指導の先生に学生がそんなことを卒論でやって何の意味があるのかと言われた。当時からそういう魂があり、とにかく何か聞かせてください、学ぼうとする姿勢には意味があるのではないかと食い下がり、文化祭に呼んでもらったりしました。
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77年に千葉の障害者職業センターに就職、5人の職場でした。80年代は国際障害者年、ICIDHの考え方も整理され、障害というのは疾病・傷害の部分、そのことでできなくなる能力障害の部分、そしてそのために働けないハンディキャップという諸要素からなると。もともと言語化されなくてもそういう感じを持っていましたが、ずいぶん整理されたなと思いました。

DISEASE or DISORDER(疾患・変調)

IMPAIRMENT(機能・形態障害)

DISABILITY(能力障害)

HANDICAP(社会的不利)

 大事なのは、90年代、国が全国4か所で5年間地域障害者雇用推進総合モデル事業をやった時。ちょうど埼玉センターに2度目に転勤して来た時のこと。国はもっと重い障害者の雇用を進めるためにと称して、パソコンを各市に配り、そこに我々がまとめた雇用好事例を見られるようにするんだと言うので、私達は抗議しました。
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そんな時に新座市のよろづや、木村さんや春日部の山下さん、本田さんに出会いました。この時に職場参加という言葉に初めて出会ったんです。
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鮮烈で、職場にいるだけでもいいんだと。この言葉にショックを受けた。そういう活動なら通常の就職が成り立たない障害者も居場所として参加させてもらえるのではないかと思いました。
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西は新座、東は黄色い部屋にどんどん紹介しました。まあ、いまやっていることなんですね。それを当時からやったということで、いま自慢しているわけですけど。

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定年前は、職リハの研究部門にいたので、地域センターにいたのでは接点が少ない各種障害の就労支援に触れることができました。最後の研究部門では障害者を雇用して、最期を看取って墓まで作ったという中小企業の人の話を聞き、障害者の終業支援という事をテーマに挙げ、設立20年を経た特例子会社の就労例の聞き取りをして事業所サイドの考え方を学びました。
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そしてまだまだ就労支援の仕事をしたくて就職活動をして、山下さんに誘われて越谷に来ました。来てみると、全県一区の地域センターとは大違いで、ハローワークと同居、地域20キロ内、ハローワークと同居しているのでたくさんの人が来ます。

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おりしも国レベルの制度も改正され、今は精神障害者をみなしカウント、対象施設も小さくし雇用率も2パーセントとなる。そうした状況に向き合う就労支援センターの在り方を昨年秋ごろから考えてきました。

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そんな時、市の事業の外部評価でC。Dだといらないということで、Cは就職者が少ないということだと、課長に言われました。こういう評価も通過するように就職者の支援もきちんとやろうと。その通りだと思い、支援センターの体質改善をしたいと思いましたが、なかなかうまく行かず、私も責任を取って退職しました。嫌だからではなく魅力的な地域だと思うし、私も非常勤の就職支援員として続けています。


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終りに、山下さんが付けている活動日誌の96年5月22日のコピーをもらったので、紹介します。「沖山さんはぼくら以上に職場参加の趣旨をよく理解してる」とタイトルが付けられています。


「職域開発援助事業の3、4ヶ月位で重度の障害者が変わるなんてことは、まったくありません。変るのは受け入れ側の人達の態度なんです。」
「障害者と長く付き合っている、いないということは、必ずしも関係ありません。現によろづやの人達がいま職業センターに月2回掃除の仕事に入ってるんですが、車イスや分裂症の人達が仕事に来る。その人たちはセンターに仕事を見つけたいと言ってくる人たちよりずっと重度なんですね。そういう人たちがやってくると、所長が、すみませんねと言いながら、一緒に掃除したりしちゃう。」
「私自身のことを考えても、働くことによって失ってしまったものが、けっこうあると思うんです。生きがいとか人間関係とか言いますけど、そういう一見プラスの面だけじゃなくて、その反対の面ももっているのが、働くっていうことだと思うんです。」
「市役所で職場実習しても、けっきょく一人が別枠で雇用されたというだけだったら、あまり意味がないと思うんです。それよりは、職場実習を繰り返しながら、終わるたびに週1日という契約でもいいから、つぎつぎといろんな人が働けるようにしていく。肢体不自由の人だけじゃなくて、知的障害や分裂症の人も、市役所で働いているようにしていく。そういうことが大切だと思うんです。」
おもしろい人だ。46才。子どもが小6。


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こんな文章をいただき、それで元気が出ました。辞めることの方が勇気がいりましたが、決断しました。こうした流れの果てに今があります。この職場参加の取り組みは、昨日今日のことではないということを心に刻んでいただきたいと思います。
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