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zoom RSS 橋本ミツエさんの草餅 ― ある老障介護と高齢化率日本一の村の生きざま

<<   作成日時 : 2014/04/14 23:45   >>

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聾唖・弱視・下肢マヒの橋本克己画伯の1週間の買物記録をテキストに手話を学ぶ「橋本宅手話会」。
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終わった後、画伯の母堂・ミツエさんが草餅を出してくれた。
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この朝6時半から10時半まで、食事もせずにひたすら練って作ったハンドメイド。あんこもお手製。よもぎは前日の雨の中かっぱを着て、玄関前の椿の下に生えていたのをむしりとったと笑う。

 ひたすら練ってこねていたので、肩も足も痛い。来週85才になるミツエさんは両足とも人工関節を入れ、少ししか歩けないため、週2回ヘルパーに食事を作ってもらう。
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そのミツエさんが本日昼に来たヘルパーさんに草餅をあげたら、驚いて「そんなことしちゃだめだよ」と言われたという。「4時間ずっと立ちっぱなしで、体中痛くなった。」とこぼしながらも、ミツエさんは「今度は赤飯だよ」と言う。画伯も自分も、そして亡くなったお父さんも4月生まれなんだと。

 畑をやり、春の草を積み、季節の食べ物を作る。体は辛いが、生きる楽しみだ。ミツエさんの祖母は糸車を回していて倒れて亡くなった。母は胆石もちで苦しんでも防空壕の中にいて、最後も家で逝った。そういう祖母や母から生きることの何たるやを受け継いだ。小学校4年を終えて織子として奉公した。早朝から夜も働き、停電になると山や畑で働かされた。(→ http://yellow-room.at.webry.info/201110/article_3.html

その過酷な労働から、畑仕事や山仕事の極意を学んだことが今いきているのかもと、ミツエさんはほほ笑む。
 (→ http://yellow-room.at.webry.info/201110/article_4.html

 だからこそ、成り行きでこうなった画伯との日々も、私たち風来坊との出会いも、足腰の痛ささえ、これも人生と受け入れ、楽しみにもしてしまう。
 
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 高齢障害者の暮らしや老障介護を悲惨とのみ見て、それぞれの個に応じた福祉サービスの充実が必要とする視角からはもれ落ちてしまうくらしの文化。画伯の生きざまも、そこにつながる。上の写真は、1960年代半ばのミツエさんと画伯。

 
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 ここで話は飛ぶが、先日も連れ合いと西上州の山へ行ってきた。上の写真のように急峻な岩峰が連なる山が多いが、いずれも低山で、しかも沢筋の奥までタクシーで入れるので、数時間で深山の気分を味わえる。ここは群馬県南牧村。
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 群馬県南牧村は、「高齢化率(65歳以上の人口割合)日本一の村」として有名だ。年少人口(0才〜15才)の割合の低さも日本一。村の人口2700人、1304世帯。118.7平方キロの広い山地の各所に刻まれたあちこちの沢筋の傾斜地に集落が散在している。

 この南牧村が百何十年ぶりという今年の大雪をどのように迎えたか、少し長いが、女性自身3月11日号から引用する。
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 「天気予報を超える異常気象が相次ぐ昨今。自然の猛威は過疎化が進む集落に予想外の被害をもたらす。高齢化も、被害を最小限にとどめる対策をとることを難しくする。そんな二重のハンディを逆手にとって、災害に強い集落をつくってきた村がある。そこにはお金やモノがなくても、安心して生きられる、これからの日本人に必要な知恵があったーー。

14日から降り続いた110センチもの記録的な大雪で、村に通じるルートが遮断され「陸の孤島」と化した群馬県の南牧村。65歳以上の人口割合が57.5%で日本一高齢化率が高いことでも知られる。

 19日午後、役場もある中心街の大日向地区からさらに3キロの村人が「枝」と呼ぶ脇道に入った場所にある六車地区。除雪後、ようやく足を踏み入れることができた、白一色の急な坂道の上に小金沢いねさん(80)は暮らしている。いねさんは、昭和32年にこの村に嫁いだ。子供たちが独立して、17年前に夫を胃がんで亡くしてからは、ずっと一人暮らしだ。

『14日の夕方、雪が降り始めたと思って、玄関の前をいつものように雪掃きして寝て、翌15日の早朝に目覚めて玄関を開けたら、もう腰までの積雪で、たまげるばかりでしたよ。こんなことは80年生きて初めてだった』

 そう話しながら、いねさんは次々に自分の畑で作ったという野菜を加工したおいしそうな食品を並べてくれる。雪で孤立し、食べるものに困窮する被災者の姿はそこにはない。

『私らは、ふだんから自分の食べる分は自分で畑で作ってます。さつまいも、ねぎ、小豆、大根。多めに作って、近所にもお裾分けするの。近所の人も、余ったものを分けてくれる。若い人は大雪のときにはお返しに雪かきをしてくれます』

 そう言って、玄関から続く1本の道幅50センチほどの雪の回廊を指した。

『すぐ上に暮らす50代の民生委員の夫婦や、地区の“見守りさん”が、ああやって雪掃きして、私が通れるだけの道も15日のうちに作ってくれました』

 65歳以上のすべての人に、2人の近隣の住民がふだんから目を配るという南牧村特有の見守り制度。村人は、その制度と担当者を親愛を込めて「見守りさん」と呼ぶ。こうした地域の目に、いねさんだけでなく多くの高齢者が支えられ、今度の大雪という思いがけない災害に耐えていた。そして、住民は自給自足が原則の村の、古くから助け合う伝統にも支えられていた。

 3世代で暮す石井ファミリーの祖父の武男さん(73)は言う。

『ここいらの年寄りは、元気なんだよ。俺ら70代だって若い若い、青年扱いですよ(笑)。自給自足するには、自分で体を動かさないと畑ができないでしょう。だから、互いが助け合うんですよ。ここは高齢化率日本一というけど、便利さを考えても、高速道路の入口まで15分と近いし、“余裕ある過疎”なんです』

 一人一人が自立し、互いに思いやりのある行動をすること。ふだんから当たり前のようにしていた生活が、災害への最良の備えとなったのだ。

 こうした地域の人の支えもあり、除雪も進み、孤立世帯はどんどん減少。15日にほぼ全世帯2,298人だったのが、16日には221世帯372人、18には43世帯70人になり、20日では星尾と熊倉の2地区の1世帯ずつが残るのみとなった。役場によれば、ここも23日までには復旧できる見込み。」

 
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70才でも若者、青二才扱いというのは、しばらく前に乗ったタクシー運転手さんから聞いた。

 上の女性自身の記者の観察は甘いだろうか。美化されているのだろうか。あるいはそうかもしれない。南牧村の日本一の少子高齢化がもたらす困難が生活のあらゆる領域に深刻な影響を与えていることを否定はしない。

 ただ、限界集落、限界自治体だからこその生きざまがあることだけは、しっかり確認しておきたいのだ。明日倒れるかもしれない。しかし、今日は生きている。そこで生き抜いている知恵や工夫、そこで生かされている関係、環境条件から学ばないでどうする!

 東京一極集中のグローバリズムに慣れてしまった感覚からは、ここはそもそも辺鄙な所、環境が厳しい土地、切り捨てられた場所なんだとしか見えないかもしれない。しかし、そのような外観自体が、まだここ数十年来のことでしかない。

 この群馬県南牧村について、群馬県観光・旅行見所ナビにこうまとめてある。

 南牧村は入り組んだ地形の為、大きな勢力が確立しなく、中世では南牧六人衆と呼ばれる国人領主達が支配していました。

 信州が武田信玄に落ちると南牧六人衆は逸早く武田氏と好を通じ南牧村が上野国侵攻の重要な拠点となりました。

 江戸時代に入ると幕府直轄地となり時勢も安定し、元々特産だった砥石の採掘が盛んになり幕府の御用砥として重要視され多くの採掘者によって町も活気着きました。

 田圃が造れる平地も少なく、基本的には山の段差を利用した段々畑が造られ特に養蚕が盛んになりました。
 
 又、上州姫街道(下仁田街道)下仁田宿から分岐して信州臼田を結ぶ脇街道が開削されると砥沢宿が開かれ手前には南牧関所が設置されます。

 参勤交代には利用されませんでしたが、砥石や蚕糸、米などの物資の流通や善光寺参りの参拝者などに利用さ九斎市などの市も開かれました。

 明治以降も砥石、養蚕などの主産業は活気がありましたが昭和に入ると徐々に衰退していきます。


 ミツエさんの今のくらしに若き日の織子時代が生きているように、南牧村の人々のくらしには、砥石、養蚕、和紙、蒟蒻、山仕事で生きてきた先人の歴史が生きているのだろう。

 先日、山の帰りに、タクシーの運転手さんの推奨する道の駅・オアシスなんもく に寄って来た。
http://www.jomo-news.co.jp/ad/minori/data/131/01.pdf

 村の母ちゃんたちが「かあちゃん本舗」という会社を作り、村の伝統食や農産物や新たな加工食品などを付設の加工場で作って販売していた。
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 85才になるミツエさんと南牧村の母ちゃんたちがダブって感じられた。橋本家のご近所には、少し年下や年上の母ちゃんたちがいて、それぞれに野菜を育てたり、それで惣菜を作ったりして、いつも互いにおすそ分けしあっている。下の写真は、ご近所に「克己絵日記」が載った月刊わらじを配達する画伯。
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 かっては、その人たちやその父ちゃんたち、子供たちも含めて、わらじの会大バザーなどの行事にも参加したりした。いまは足腰が弱って、そこまでは出かけられなくても、バザーに品物を提供してくれたり、知り合いに声をかけたりはしてくれる。

 そんな人々の暮らしの中に、ミツエさんと画伯がいる。  

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