共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS しがらみ(世間)の中で共にしがらみを編み直す ―わらじの会 今日までの起承転結

<<   作成日時 : 2014/02/15 17:11   >>

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  冒頭の写真は、昨年夏のわらじの会交流合宿in石和温泉。37回目になる。筆者も人生の夕暮れを迎えてからもうかなりの年月が経つ。ずっと初めから歩いてきた者として、ここらで、現在進行する状況を「結」とした、わらじの会の起承転結をメモしておくことは、義務かもしれないという気持ちが強くなっている。といっても、ふりかぶってまとめようとすると、気負いすぎてかえってまとまらない。今回、たまたまワーカーズコープ北関東事業本部からのお誘いを受けて、話をする機会があったので、レジュメをまとめてみた。キーワードの羅列だから、他人にはわからないところが多いに違いないが、参考までにこのブログに載せておくことにした。

 なお、ここではこれまでの経過を「起承転結」として区分しているが、「結」が完成態という意味ではない。「とりあえずひと結び」という程度であり、「結」は新たな「起」の芽生えといってもよい。劇場版エヴァンゲリオンが、「序破急」の構造を提示し、その「急」を「Q」と表現していることを最近教えられたが、もしかしたら近い発想かもしれない。
 以下、当日のレジュメは青字で。赤字は後からの書き込み。


1. しがらみから生まれたわらじの会
 「関係づくり」等ではプラスイメージ。マイナスイメージも含め「しがらみ」。いやも応もなくからみついている関係。(「警視庁が来ましたよ」) 

→「社会関係」では広すぎる。さりとて「関係」では狭すぎる。「世間」論の「世間」と重なる。古くは丸山真男の「タコツボ型」社会論から、世間論でイエ意識が内面化という解釈、さらには右からの「自虐史観」との批判にしても、いずれも合理的でない関係、意識から解き放たれよと説く。だが、意識だけを切り替えても、さらに生産様式を含む近代化を推し進めても、どこまでもからみついてくる関係としての「しがらみ」。


年表(レジュメ末尾に掲載)の初めに、三つの母体が示してある。
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1) 総合養護学校をつくる会は親たちの会。親子のしがらみ。(「親の三月病」、「親付きで願います」、いま泣いたカラスが、「ひがみも成長」、「いじめっ子も友達」)→本人はどこに?、1時間の冒険でユリ語に登録)

2) 市職は労働現場の格差、そしてサービスの担い手と受け手というしがらみ。(現業・非常勤・下請けの差別と闘いながら、地域の差別に対しては?→住民の地獄知るが施設・病院しかない矛盾抱え→もちつき、花見に→「向かいの家にもいるんです」

→しがらみとしがらみの中で引き裂かれ、とことん悩みぬいたからこそ、筆者らのようなどこの馬の骨だかわからない人間を、担当するケース現場である農家の奥まで連れて行ってくれたのだ。もちろん当時でも、マル秘中のマル秘である。これが、わらじの会の原点となったのだ。

3)とうなす会は障害者・家族と介助ボランティアというしがらみ。(なんだ春日部か、各地区に介護者を配置して…)

→各地区に介護者を…というのは、現在の障害者福祉計画の数値目標の原型。当時の介護者は学生や社会人で無償だったが、生活費はほかで稼いで介護に人生を賭けるといった若者がかなりいた。ヘルパー制度もほとんど使えず、年金もお茶菓子代程度だった時代。八木下浩一をはじめとする障害者達が街へ出てゆくための介護に関わるため、都内から川口に移り住んできた者も少なくなかった。しかしその思い入れ先行のあまり、「共に生きる」とはかくあるべし…といった理念に基づく計画的な活動(生活)を自他に求めることに必死だった。そのぶん、しがらみにからまれて生きている障害者(八木下を含めて)、家族、そしてボランティアとして介護に関わり始めた地域の中高年のかなりの人々との齟齬が徐々に重なって行き、やがて縮小、解体に至る。

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1)は養護学校ができ消滅した。

→会は「総合」という冠を付けて、「障害別に分けない」、「出入り自由」をイメージしたが、現実にできたのは障害別の養護学校。しかも、就学指導委員会ができ、ふりわけが強められ、地域の学校で学ぶ障害児まで、あなたたちの学校ができたからあっちへ行きなさいと命じられるようになった。会の名称を「教育と福祉を考える会」と変えしばらく活動した。しかし、自分の子どものことはわかっても大人のになった障害者が地域でどのように生きているのか、周りの人たちはどんな関係をもちながら地域が成り立っているのか、そうしたことを自分たち自身知らないままで、こういう場があればいいというイメージで動いたら同じ過ちをくりかえすとになるという思いが強まった。結果として、会長はじめ中心で関わって来た親子が、わらじの会結成に参加した。

2)は弾圧を受け後退を余儀なくされた。


→わらじの会は発足後5年間位、毎月1回日曜日に「街に出る会」を100人近くで開き、公共交通機関を利用して日帰り行事を実施。8月は二泊三日の夏合宿、年によっては一泊二日の冬合宿も行い、それらすべては障害者と他の人々で下見を含む実行委員会方式で担った。特に初年度の介護の主力は、越谷市職員組合青婦部の人々で、クリスマス会も市立保育所で行った。地域の差別と向き合うきっかけを追求した彼らは、市役所職場内の現業差別、非常勤差別、下請差別に対する闘いを懸命に進めていた。そのことが当時の市長や取り巻き管理職との全面対立を余儀なくされる中で、1981年組合のビラをはがした管理職を追及中に暴力事件があったとして市職の中心メンバー10数人が逮捕され、執行部4人が解雇される。時は国際障害者年。わらじの会の中に作った重度在宅障害者団体・自立に向かってはばたく家準備会の人々を中心に、市長に会見し「私たちの足を返して」と要請するが、弾圧を阻むことはできなかった。


3)は組織強化への反発から解体した。組織はなくなったが、かなりの人が会につながっている。


→上述の通り。野沢代表自身も川口とうなす会メンバーだった。もともと地元中学卒業後、チェーン式車イスで出歩いていた。市職青婦部の若者たちと出会い、電車で東京タワーに出かけるなどした。彼らに紹介されて、29歳になって小学校に入った川口の障害者・八木下浩一とその仲間たちが作った川口とうなす会に参加し、一挙に世界が広がった。筆者自身は、総合養護学校をつくる会で出会った障害児や親ととうなす会に参加し、野沢や他の障害者、ボランティアで、東武伊勢崎線沿線から参加している人々に出会う。そして、1978年のれん分けのようにしてわらじの会ができた。


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わらじの会発足後は、都市化により窮迫した農家の奥での子殺し寸前のしがらみと、故郷のしがらみから追い出され孤立するマンモス団地・ニュータウン住民の状況とがつながった。

→少し前の農家には縁側に座ったままの障害者にも綿繰り、豆殻むき等の仕事があった。米専業になり仕事がなくなるのと、周辺の都市化により農家の暮らしがあたかも遅れた生活と思わされる状況とが、一挙に進んだ。機械と化学肥料の農業になったことで、障害者や高齢者が「ごくつぶし」にされていった。子殺し寸前に追い込まれる中、わらをもつかむ思いで、本人たちと老親はよそ者を迎え入れた。ひきいれられた新住民たちは、すでに帰るべき故郷を喪失し、バラバラになって首都圏に流れてきている。故郷では忌避して来たしがらみを、むしろ新鮮に感じ取る心性が育っていた。

2.起承転結
 「起」は「街に出る」。

「障害者の社会参加」だけではない。共に街に出ることによって、障害のない者も風景が一変する。バイク除けの柵が車いす使用者の公園使用を阻む。障害者トイレはカギがない。店員は障害者を相手にせず介助者に話す。一人暮らしの障害者が火を出すのではと隣人が大家にクレーム。障害者だけで駅前カンパをしていると、「寒いのにあの人たちにやらせるのは無責任」と電話が来る。重い知的障害の人を送ってゆくと、いつもとちがう道を行くので、ついてゆくべきか、修正すべきか迷う。

 「承」は「共に生きる」。

1)わらじの会はまず障害のある人が家の奥から出て、自分たちで介助者を探し、育て、仕事や住む家や生活費をどう作ってゆくかを一緒に考え、動いた。(理念や政策が先ではない。「お釣りはここから取って」「店じまい手伝って」、「店やらしてやってもいいじゃないか」、「暴れるといつも連れてゆくのはなぜ?」、自動販売機研究家、つぐみ文化、分家、1週間1日夜だけなら来れるけどで入所中止)
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2)それに対し、小さい頃から近所の保育所・学校へ行き、初めから分けられない・分けない関係をつくることが大事という取り組みが別にあった。

→「運動じゃない、あたりまえに生活してるだけだ。」
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3)さらに、障害者はあってはならない存在としている健常者の意識・文化こそが差別構造をつくるのだから、障害者自身が生きざまをさらし、健常者を告発する運動が第一とする団体もあった。
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 どれもそれぞれの置かれた所から共に生きる社会を具体的な行動をもって進めており、障害別の利害や福祉拡充要求とはちがう。この三つの流れがぶつかりながら合流した。
(大人の障害者たちの一斉高校受験:「学校半年きり行かなかった 誰のせいだ」、「介護がたんねえ 知事さんも考えてくんろ」)
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 「転」は「地域・職場を拓く」。

 上記の三つの流れが合流し、総合県交渉や市町村巡礼、高校進学問題の教育局交渉などを行う中で、県・市の施策にも影響力が増した。
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いっぽう在宅福祉施策ができてくる中、「地域の施設化」の懸念が増す。自分たちの活動の場をひらく意味も込めて、これまで関りの薄かった自治体や地域の民間職場への参加をめざす。

「職場参加」とは、雇用の対象外とみなされる障害者も、さまざまなツテや工夫をもって地域の職場に入って欠かせない存在になってゆこうということ。ここでも単なる要求ではなく、行動で示してきた。(出会い直し:おみこしで本家へ)
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「結」は「社会を編み直す」。

 「職場参加」の取り組みでは、わらじの会は黒子役に退き、ネットワーク型組織を立ち上げ、越谷市障害者就労支援センターの中身を提案し受託する。市の目玉施設の中にある市の事業を、市直営ではできない地域に根ざした事業として運営する。
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 これまで出会ったことのない人々、昔出会ってそのままになっていた人々、大きく開かれた扉を通して出会うことができる。そのいっぽうでは、公費を使っているから市外はだめとか、すぐ近くのピアサポート活動の拠点へ職員が出入りするのも業務外と規制されるとか、「公共」の名によりお役所仕事が強いられる。職員も染まってしまう。
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そんな「公共」の枠組みは簡単には変わらない中で、大事なことは窓口で出会った就労困難者たちと一緒に地域・職場へ出て行き、そこで相談し、職場を開拓し、実習や短い就労を通して、地域・職場を一緒にいる場に変えてゆくこと。「起」の「街に出る」を貫くこと。

→地域・職場は競争と差別の場、しがらみの場。そこに身をゆだねる支援、そこに同行ししがらみを編み直す支援こそ問われている。しかし、制度的な支援は、しがらみからの自由を求めつつ、人々を分け隔て、競争と差別をさらに深める。支援も常に編み直されるべき。

 

(「明日は雪になりそうだから介助なしで」「明日決めれば?」「もう決めたので」「……」、「みんないい人ばかりです」)
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 さまざまなネットワークをつくってゆくことも、基本的には同じ。組織と組織の関係はゆるやかに、一緒に土俵をつくる。ぶつかりあいながら一緒にやる。そこで顔がつながった人同士が一緒に「街に出る」(せめぎあう)ことを重ねてゆくこと。「承」も「転」も同じ。

(腹水が栄養になる、こんな逝き方、看取り方もあるんだ、きみ子さんは冬眠中)
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3.欧米の障害者達との出会いと学び

スウェーデンRBU:ネバー ギブアップ。私たちのように回り道をするな。階段かつがれこわばる。
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イギリス:電動車いすをぶつけます
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アメリカ(バークレー):他人の手を借りて駅を利用せざるを得ないとすれば自尊心を傷
つけられる。
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アメリカ(ピープルファースト):遅れた環境。援助者(待つこと)。
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オランダ等の知的障害者:施設→GH→ヘルパー 結婚して初めて自分で生きてる実感
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4.看取り

新坂幸子さん:おみこしで本家へ
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橋爪静佳さん:お釈迦様の涅槃のような1週間
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新坂きみ子さん:生まれ育った地でけっきょく18年一人ぐらし→大宴会
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5.最強の社会資源は本人の中に、関係(しがらみ)の中に

克己絵日記 克己絵日記2、
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ゆり語、
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弘昭くんの電動車いす
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農家の奥にあったつぐみ文化、子殺し状況は出会う寸前までなかった
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仕事発見ミッション
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わらじの会年表

起(街に出る)

1978年 「障害のある人もない人も一緒に街に出よう」と会スタート。総合養護学校をつくる会、市職、とうなす会合流。
1979年  日立での夏合宿で「なぜ施設なんですか」をテーマに現地団体と討論会。
1980年  県内他グループと共同し、スウェーデン福祉体験旅行。東武伊勢崎線各駅を実地調査。
1981年  会内の重度の在宅障害者たちの自主訓練グループ「自立に向かってはばたく家準備会」発足、公民館を活用。
スウェーデンの障害者団体RBUを招待。「ハンディキャップレポート」(現代書館)出版。
1983年  越谷市が要望に応じ「自立生活援助要綱」を作り補助。はばたく家の店「パタパタ」オープン(春日部市)。 
1984年  「誰でも使える駅を求める会」発足。東武線各駅の公開実地調査へ。「ユニーク自立埼玉」(千書房)出版。
1985年  越谷市・春日部市に対し、介護人派遣制度の要望を提出。越谷市立病院での体外受精に対し、「体外受精を考える会」作り、疑問表明。新坂光子さんの自立生活演習「手留子屋」実施。

承(共に生きる)
1986年  県内の自立・共生・反差別をめざす諸グループと連携し、「国際障害者年サイタマ5年目のつどい」を開催。以後、共同の研究会、県との総合交渉等を行うための事務局(埼玉社会福祉研究会事務局)を会内に置く。
1987年  障害者雇用促進法の助成制度を活用したリサイクルショップ「吐夢亭」をオープン(越谷市東越谷)。障害
者2名を店員として雇用。石川しげりさん、養護学校から地元小へ転校。
1988年  糸賀美賀子著「坂田くんにナイスピッチ」日本児童文芸家協会新人賞。高校問題で知事応接室三泊四日。
1989年  活動拠点だった店、倉庫等プレハブ群をみんなで解体。国障年サイタマのつどい(福祉八法は地域の施設化)
1990年  生活ホーム「オエヴィス」発足(越谷市恩間新田)。ケアシステム「わら細工」設立(春日部市大場)。日本青年奉仕協会から一年間ボランティア。浦和共生ひろば・春よ来いパレード。
1991年  初代1年間V・矢野陽子著「まいにち生活です」が朝日新聞の書評欄に。県内市町村巡礼。
1992年  埼玉社会福祉研究会を改組し、社団法人・埼玉障害者自立生活協会を設立。同時に、埼玉障害者市民ネットワークが発足し、会内に事務局を置く。ピープルファーストと交流。
1993年  重度障害者職業自立協会の店ぶあく新装開店。ピープルファースト国際会議(カナダ)参加。一斉求職登録。
1994年  社会福祉法人「つぐみ共生会」設立。第3回県内市町村巡礼(知的障害者の発言目立つ)。
1995年  デイケア・パタパタ開設(春日部市大畑)。通所授産施設「くらしセンター・べしみ」、生活ホーム「もんてん」発足(いずれも越谷市恩間新田)。橋本克己著「克己絵日記」が読売新聞の「編集手帳」で紹介される。

転(地域・職場を拓く)
1997年  越谷市職員組合と埼玉県障害者職業センターの協力を得て、市立病院組合事務所で、白倉清美さんが職域開発援助事業にもとづく援助付職場実習。県庁内アンテナショップかっぽ開店。共同連埼玉交流大会。
1998年  「共に働くまちを創るつながり準備のつどい」をひらく(以後毎年)。糸賀美賀子著「坂田君にナイスピッ
チ」中国語で翻訳出版される。東映教育映画「街で生きる障害者と共に」撮影。
1999年  越谷が知的障害者介護人派遣事業開始。県の委託で東部地域のバリアフリー・マップ情報を整理。元荒川土手でソウルフラワー・モノノケサミットライブ。
2000年  越谷市で「就労・生活援助検討準備会」が発足し、市の各部局と当会の参加する「障害者の職場参加を考える会」が委員に。新坂幸子さん生活ホームオエヴィスで逝く(地域での初看取り)。ちんどんパレード開始。
2001年  社団法人埼玉障害者自立生活協会の事務所が会内に移転。障害者職業開拓推進事業を受ける(開拓員2人)。
2002年  情報センター「かがし座」開設(春日部市大場)。社福つぐみ共生会が越谷市より障害者生活支援センター「苞」を受託(越谷市北部市民会館内)。「克己絵日記2」出版。

結(社会を編み直す)
2003年  春日部・越谷両市・社協一堂にて支援費意見交換会。彩の国障害者プラン21推進のつどい。
2004年  職場参加を考える会がNPO法人すすめる会となり「世一緒」開設。 わら細工百数十人がみなしヘルパー。
2005年  越谷市障害者就労支援センター、上記NPO法人すすめる会が受託。オランダ等の知的障害者と交流。
2006年  埼玉県議会が「共に学ぶ環境整備を求める意見書」を全員一致で採択。ワーコレ「こぶくろ」開店。
2007年  生活ホーム門間愛さん県立高校定時制入学。春日部市障害者生活支援センター「えん」を受託。
2008年  「ゆめ風ライブIN越谷」。協同労働集会に参加。重度重複の田口由利子さん、武里団地で一人暮らしに。
2009年  共に育つ幼稚園・あゆみ幼稚園園長鈴木一義氏講演会。避難所一泊体験。パタパタがカメクラで施設外就労。
2010年  「地域と障害―しがらみを編みなおす」(現代書館)出版。橋爪静佳さんオエヴィスで看取り。日本V学会。
2011年  東日本被災地支援カンパを連日駅頭で。岩手被災地センター支援に。テント劇団どくんご公演。
2012年  最後の1年間V坂田さん帰郷。日本V学会。障害児の高校入学全国交流集会in埼玉。協同まつりin越谷。
2013年 「地域とからだ―まなざしを問う」自主出版。飯舘村へ。野沢代表逝く。新坂きみ子さんもんてんで看取り。

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