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zoom RSS 「姨捨山」の霊気をまといみんなと一緒に生きたきみ子さんの四十九日

<<   作成日時 : 2014/02/02 23:23   >>

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くらしセンターべしみとその2階の生活ホームもんてんの、まさに主であった新坂きみ子さんの四十九日法要をべしみで行い、歩いてすぐの新坂家一族の共同墓地に納骨する。冒頭の写真が、越谷市恩間新田の新坂家一族の共同墓地。べしみができた頃は田圃の中に農家が点々とあった風景だった。
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 上の写真は、納骨した後の介助付き墓参り。埼玉障害者市民ネットワーク代表・野島さんとアンテナショップかっぽ専従の板倉さん。野島さんは、きみ子さんや光子・幸子姉妹が街へ出始めたときの拠点「自立に向かってはばたく家準備会の店・パタパタ」で店員をやりたくて、家出してパタパタの向かいの谷中耳鼻科・黄色い部屋にかけこんだ後、いちばん初めに介助者を確保して借家暮らしを始めた人だ。そして、板倉さんは、昨年9月に亡くなったわらじの会野沢代表の夕食介助に姉に誘われて高校生の時に行ったことが縁。
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  上の写真は、自立に向かってはばたく家準備会できみ子さんとともに活動した社会福祉法人つぐみ共生会・吉原理事長と当時の専従介護人ふくちゃんの夫妻。

 思えば23年前、きみ子さんの家の向かいの新坂光子・幸子姉妹が、「分家」という形で家の奥から出て独立し、他の障害者たちと一緒に住む生活ホーム・オエヴィスを田圃の中に作った。すでに悪化していた褥瘡がもとで夏に光子さんが逝ったとき、きみ子さんは参列したが、彼女の母ちゃんはすでに動けなくなり、家の濡れ縁に座ってこの墓に参る人の列を眺めていたっけなと思い出す。

 その母ちゃんはやがて亡くなり、父ちゃんが瀬戸際の決断をして、田圃を寄付し、オエヴィスから5年後にもんてんができて、きみ子さんも独立し、間もなく父ちゃんは逝った。
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 街へ出始めた30数年前、まだしゃべれた頃のきみ子さんは発語が限りなく長いので、書き留めていないと何を言ってるのかわからないほどだった。今日お経を聞きながら、似てるなと笑いそうになった。上の写真は納骨後、べしみへ戻ってお清めの情景。親族も含めさまざまな縁を結んだ人 人 人。
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 そのぶん、目立つことが大好きだったから、今日のような日は大はしゃぎに違いない。
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 小雨が降りそうな天気だが、墓の狭い通路を車イスで通るのは時間がかかり、お坊さんはそのぶん予定より読経を延長したようだ。お清めの後、こんなに親しみのあるお葬式をしたのは初めてだと、お坊さんが語る。

画像私が1987年から毎日欠かさずつけている活動日誌から、1992年5月のある日の記述を紹介する。上の写真は1984年。きみ子さんを押しているのは母ちゃん。谷中耳鼻科の黄色い部屋の前だ。以下はそれから8年たった日の日誌から。

 …きみ子さんの家に迎えに行くと、ちょうど父ちゃんが朝食を食べさせようとしているところ。きみ子さんは出発の時間が迫っていることを知っていてすぐ出ようとするが、父ちゃんは「これぐれえ食べてけよ!」と強く言って、お椀に入ったどろりとしたものをのませている。

 「なに?お湯?」と訊くと、ヨーグルトだという。きみ子さんがゴクリゴクリと威勢のいい音をさせてそれを飲み込んで、最後にむせた。

 「うちのばあさんよ……」と父ちゃん。「ずっと病院にいっきりだと、ホームの権利がなくなっちゃうてんで、こないだホームへ戻したら、いちんちでもう反応がなくなっちゃったよ。……ホームじゃ点滴やれねえからな。」光子さんのお葬式のときには、濡れ縁に座って、庭越しに、お墓に参る人たちを眺めていた母ちゃんだが、もう病院から出ることはできないだろう。
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 (ちなみに上の写真は、1990年夏、光子さんの葬式に出たきみ子さん。)

 …この父ちゃんのすごいところは、老人ホームの時も、病院でも、毎日出かけて行って、食事の世話などをしっかりやっていることで、父ちゃんにとってはホームや病院は地域の一部、いわば離れのようなものと考えられていることだ。ほかの人たちのように姥捨て山の意識は薄い。というよりも、家に帰ればきみ子さんがいて、その家全体が、世の中から見れば姥捨て山だから、というべきだろうか。

 そういう姥捨て山の霊気のようなものを漂わせながら、今日もきみ子さんは巡礼先(注・埼玉障害者市民ネットワーク主催のノーマライゼーションを求めるサイタマ市町村巡礼)で、臆せず、役人たちに質問する。

 「か〜い〜ご(介護)よ〜 かいご」、「え〜き〜(駅) と〜い〜れ〜」。 

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上の写真は、1990年ごろ。団地できみ子さんが介助者なしで露店をやっているところ。ほんとに好きだった。寒くても、暑くても、いつまでもやっていた。

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上の写真は1996年。生活ホームもんてんに入居した後のきみ子さん。

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