共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS 「殖ゆ」に向かう橋本画伯の日々(facebookおすそわけ)

<<   作成日時 : 2013/12/16 11:59   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
 facebookにアップした記事の中から、主に11月〜12月初めの、御存じ橋本克己画伯(「克己絵日記」著者)に
関するものを、このブログでもご紹介する。
 20歳直前になって初めて家から一人で街へ出ることを覚えた画伯、ミニカーではないバスというもの、電車というもの、さらには他者という存在に初めて出会い、言語を獲得していった画伯。自らと疎遠な世界であったすべてととつぜんに直面し、ひとつひとつぶつかり、かじってみなければ生きることができなかった彼。
 変革なしには生きられないと、自らの使命を受け入れたとき、妖怪になり、暴力屋ともなり、スターにもなった。その彼もはや55歳。通常なら人生の秋。晩秋から初冬を増殖のときと心得る画伯の日々をまとめてみた。

市役所で働く画伯  (11月9日)
 
伝説の「4号国道バイパス深夜の怪」、「無名の有名人」、「越谷への県道渋滞の元凶」、「未確認移動物体」と呼ばれた橋本克己画伯が、ついに秘密のヴェールを脱いで、越谷市障害者地域適応支援事業の市役所職場実習に登場!
画像

 支援パートナーの「無資格無認可スーパーマルチ介助者」大坂さんと市民活動支援課へ。同課が市広報の英語版、中国語版、フィリピン語版を関係先に発送する業務を行った。スタンプ押し、宛名貼り、部数確認などだが、聾唖、弱視、下肢マヒで触手話だけが意志疎通手段と聞いた職員たちは、正確・迅速な仕事ぶりにカルチャーショックを隠せない。
画像

 始業・終業時には、職員たちと握手をかわし、カウンターの中で働いたことを実感した画伯。かって一人で外出していた頃、駅前広場の街灯が暗いとか、道路に段差があるなどの訴えをもって担当課のカウンターに来た画伯。深夜警備員さんに車いすの故障を直してもらったり、自宅に連絡をしてもらいに立ち寄っていた画伯。5階ロビーで持参の昼食を食べるのが趣味だった画伯。だが、カウンターの内部に入ったのはこれが初めて。
画像

 市民活動支援課には中国人のアルバイトもいるという。画伯のまきおこした静かな衝撃のゆえか、担当上司が就労支援センターのコーディネーターに、障害者だけでなく外国人の就労困難者をどう支援するかもとても大切だと語ったという。
画像

 システムとして固定化されているかに見えた職場が、さまざまな人々にいる社会の一部なんだという体温の感じられる場に変じたことは、うれしい。コーディネーターが興奮気味に、職場参加ビューロー・世一緒(よいしょ)に伝えに来てくれた。(写真は大坂さん提供)

大学でドン・キホーテの道連れ探し (11月13日)

毎週火曜日は、聾唖・弱視・下肢マヒの橋本克己画伯と、さまざまな障害混成の旅の仲間による「絵日記の旅」。この旅の行程表は3ヶ月ごとに作成されるが、基本的には画伯のご託宣により目的地が決まる。具体的な細部は何もなく。本日は、「埼玉県立大学」という目的地だけが決まっていた。そして、10日(日)夜の「談合」と称している介護調整の際に、「県立大で20人の学生に集まってもらい、その中から外出時の介助者を選ぶ」という妄想的計画が、画伯から提示された。
 何を勝手な、却下だ…とは思いつつも、これを逆手にとって、画伯や旅の仲間たちがささやかな冒険をできたら面白そうという気持ちも。
 そして、昨夜、急遽、「ドン・キホーテの道連れに!」というチラシ30枚と「本人」と大書した首から下げる看板を作り、今日、画伯はじめ旅のご一行にそれらを渡して県立大学まで送った。
画像



学生たちが立ち止ってくれたのを遠くから見てから戻り、2時間後に迎えに行った。結果は6人の学生が連絡先を書いてくれたとのこと。ただ、男子学生だけで、女子学生には「いいです」と断られたという。チラシに思い姫の写真も入れておけばよかったかな。秋空の下のパフォーマンス。
画像


南荻島という土地で生きること(11月20日)

「克己絵日記」が毎月載る月刊わらじをご近所に配るのが昔からの習慣である聾唖・弱視・下肢まひの橋本画伯。近年視えなくなってからは、私に車いすを押させ、荒天でも配布して回る。今月はいい天気でよかったな。
 いつもはポストに入れるだけのOさん宅だが、今日は畑作業しているところに出会えた。画伯も私も、O夫人と言葉を交わすのは、10年ぶりくらいか。しばらく前、ひきこもり気味と風の便りで聞いていたが、その後畑に力を入れ、いまでは農協の店にいろいろな野菜を置いて、評判がよく、足りないから届けてくれと電話が来るし、つきあいも広がったとうれしそうに語る。
画像


 越谷市南荻島のこの地域は、戦争末期に松脂で飛ばす飛行機の試験飛行場に農地が強制的に借り上げられ、戦後はコンクリートの土地を開墾する開拓民が募集され、都内や近郷から人々が移り住んだ。
 だからこの地域は、高度成長期以前の戦後復興期に、古くからの農家の人々と陸軍兵舎を仕切った長屋に移住してきた人々が出会い、混住した。わらじの会の初期に橋本宅を訪れた頃、下町的な長屋の雰囲気が、周辺の農家や工場にまで及んでいた。そのつきあいの延長で、近所の子供たちが橋本宅で始めた手話会に来たり、バザーにもいろんな人たちが手伝いに来てくれた。
 後年、火事と都市化の波で長屋はなくなったが、当時の人々の三分の一はご近所に住んでいる。
 とはいえ、みな大きな住宅に変わり、気楽にお茶のみし合う関係は消滅した。でも、一方的に会報を配布して回るKYそのものの画伯のおかげで、再生されている縁もこんなぐあいにあるのだ。夕方、画伯を送ってゆくと、かっての滑走路の方向に、燃えながら落ちてゆく陽。
画像

そして影富士。
画像


母と画伯のサバイバル (11月21日)

聾唖・弱視・下肢マヒの橋本画伯と二人暮らしの母・ミツエさんが、未明にベッドからトイレに行こうとして、足が毛布にからまり前のめりに転び、顔面を強打した。強力な助っ人である画伯の妹・真由美さんにSOSし、救急車で病院へ。いろいろ調べた結果、左の眼の奥の骨折。

 即入院・手術も考えられるが、高齢のため2週間自宅で様子を見て、モノが二重に見えるなどしたら手術ということになり、夕方になっていちおう帰宅。かって画伯に絞殺される寸前まで行ったり、がん末期の夫と画伯と3人暮らしをしたり、山も谷もこえてきたミツエさんらしく、家に帰ったら淡々としてる。真由美さんも、かってわらじの会で他の障害者の介助をしていた経験あり。いまは肝っ玉母さん。
 あたふたしていたため、事態を知らされずにいた画伯は、帰宅した母の顔をさわり、びっくり仰天。あらゆる事象を自分にひきつけて思考する画伯らしく、母のように転倒事故にならぬよう、自分のベッドにはライトを3つ付けるとのたまう。
 片目になってしまった母の代わりに、当分ケアシステムわら細工から、画伯サバイバルのための夕食調理介助体制を組むことに。
 写真は今日も病院へ行って帰ってきた母と買い物帰りの画伯。内心の心細さを笑顔で隠し、リフトで自室へ上がる画伯。
画像


見沼田んぼ福祉農園 (11月23日)

見沼田んぼ福祉農園の収穫祭に参加。風の学校・歩惟 森さんの独唱「あかとんぼ」により幕開け。この歌から砂川闘争を連想した人がいたかいないか。
画像

本日は農園協議会メンバーの浦和北ロータリーが大活躍。その縁で、社会的排除を受けている子ども・若者へ並走型の支援を行っているさいたまユースサポートネット、ホームステイしている留学生たち、支援を受けて海外留学(予定?)の高校生たちなどがいっぱい。
 わらじの会は、画伯のヴェーヴェーという挨拶の歌や、火曜日に作業に来てますという門間愛さんらの報告、そして「農園協議会の落ちこぼれ」を自認・自慢する宣言などを。
画像

 共同連の堀代表からは、来年1月18、19日に与野本町コミセンで「農事業 障害者 若者 農村と都市」をつなぐセミナー を開催し、農園協議会の猪瀬代表にも発題者をお願いしているとの発言。
画像

 昨年に引き続き四半世紀前に高知で窪川原発建設を阻止した島岡さんやら、飯舘村から伊達の仮設住宅に避難しつつ、国に捨てられた民の生を発信し続けている安齋さんも。

宮城県角田市の米農家の後継者・面川くんや後継はしないと明言しつつも、地域の生産物の共同販売所のマドンナとして生きる堀米さんにも再会す。

 帰宅後、社団法人埼玉障害者自立生活協会の前身である埼玉社会福祉研究会の「通信」バックナンバーをめくった。1989年8月発行の号に、「『農』・『都市』の問い直しと農園構想」と題するページがあった。「見沼田んぼの開発に見られるような農業政策こそ問われなくてはならない。土地開発と機械化。薬漬け農業に対し、自然のサイクルに沿った農業を町と村の人々が共同でつくっていく方向を模索すべきなのだ…」と。
画像


新たな思い姫出現か (11月29日)

今夜の橋本宅手話会で克己画伯が、23日の見沼田んぼ福祉農園の収穫祭の感動を語る。今年も歌ったり踊ったりしたのだが、とりわけ共同連代表・堀さんと一緒に参加された堀夫人が触手話をまじえて一緒に楽しんでくれたことが、いちばんの「収穫」だったらしい。
画像

勝手に「思い姫」のリストに加えてしまったようだ。
画像


旅の仲間たちの人生 (12月3日)
聾唖・弱視・下肢マヒの妖怪・橋本克己画伯の妄想地図をたどる毎週火曜日のフィールド・トリップ「絵日記の旅」。旅の仲間も生生流転。その一人自閉症のHくんは今月から企業で働きだし、退団。もう一人は一人暮らしの重度障害者宅で入浴介助を始め、疲れたか、今日は病休。画伯の手話の先生でもある聾唖でCPのOさんは、加齢もあってか足元がふらつき出し、車いすの介助役からにわかに車いすユーザーに。
画像

…ということで、本日はたまたま教職をめざす大学生Tさんが介護等体験で見えたのを幸い、ぶっつけで介助技術講習会を行いつつなんとか3組のマンツーマンの介助体制を組み北千住のマルイまで出かける。
 まったく動じない画伯は、キティとミッキーのクリスマスカードを買い、これも妄想の結納品に加える。
画像

 夕陽を受けて昂然と冬近き世界に向かい合う団員達。
画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「殖ゆ」に向かう橋本画伯の日々(facebookおすそわけ) 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる