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zoom RSS 愛執のまちに市が立つのだ わらじ大バザー2013 11・3 @北越谷駅西口・さくら広場

<<   作成日時 : 2013/10/24 22:37   >>

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 わらじ大バザー2013への物品提供をはじめ、有形無形のご支援ありがとうございます。もうすぐ本番です。会場は七年ぶりの、北越谷駅西口駅西口さくら広場です。今年もよろしくお願い申し上げます。
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北越谷の土に還った野沢代表
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 わらじの会がスタートした30年前、北越谷駅によく降りました。会発足以来代表を務めてきた障害者・故野沢啓祐(当時30代半ば)宅の最寄り駅だったからです。野沢は、今年9月23日に逝ったばかり。行年72歳。

 1978年、「障害のある人もない人も共に街に出て生きよう」を合言葉に、月1回、「街に出る会」を始めました。

 当時、会は事務所もなく、生家の一角で一人暮らししていた野沢宅は、中高生を含む若い人たちのたまり場にもなっていました。こで生まれ育ってきた野沢代表がぽつりぽつりと雨だれのように語る生活や悩みから、いろんなことを考えるきっかけを与えられました。

 野沢は、小・中とも普通学級で過ごし、たくさんの知り合いが地元にいました。初めてのバザーの時も、北越谷のK時計店やT鉄琴さんから物品のご協力をいただいたものです。

 しがらみの中で生き抜いてきた野沢は、晴れがましいことが嫌いで、全国・全県の運動の場にも出ず、自宅近くでなければ会の行事にもめったに姿を現しませんでした。

 そんな野沢がまだバリアだらけだった時代に、車いすで駅に行き、電車に一人で乗って、ある人にプロポーズに行ったことがありました。

 そして断られ、朝霞の知人宅で長いこと傷心の日々を過ごしました。生涯ただ一度のひとり旅でした。

渋滞の元凶につきあってくれた中村さん
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 野沢とは逆の行動派ながら、思い姫を胸に街へ出た障害者が、橋本克己画伯(月刊わらじ連載「克己絵日記」著者)。

 下肢マヒで聾唖・弱視のため、自宅のある荻島から北越谷駅や越谷駅へ向かう道路で後ろが大渋滞になっても気づかず、にこにこ。
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 そして、電車であちこちへ出かけては酷使する車いすがよく故障。

 そんな時SOSに応えて、各地へ軽トラで出張してくれた自転車屋さんが、北越谷駅東口の中村輪業さんでした。
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近年ほとんど視えなくなり、介助者なしでは外出できなくなった画伯は、車いすの修理を頼むことも減りました。

 今回のバザー準備をきっかけに、中村輪業の店主夫妻と久しぶりの再会を果たしました。
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 当時を振り返って奥さん曰く「知り合いのトラック運転手が、あんな車いす直さなくたっていいんだって言ってたのよ。」そんな声を聞きつつ西に東に救出作戦に出張ってくれた中村さんだったのです。

 なんと、明治期の祖父の代からここで自転車屋を続けてきたとのこと。木の車に鉄板を張った自転車が残っていたとのことでした。

勤倹の先代と放尽の二代目

 わらじの会の初期からの常連でかって越谷市職員組合委員長だった佐々木浩市議の生家も、代々ここ北越谷(大沢)で商売を営んできました。
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 祖父は養子として佐々木家に入り、それまでの銭湯に加えて、新たに醤油・味噌の販売を始めました。早朝起き、つるべ井戸で十時までに風呂水を汲み、二、三時間で帳簿を整理し、御用聞きに回り、配達。

 夕方には何があっても帰って風呂に火をつけ水を汲み足し、十二時まで客を迎えた後、水を流し、寝るのは一時過ぎ。一人も使用人なしで、醤油・味噌・焼酎の販売を成功させ、銭湯の赤字も埋めました。

 祖父が一九二〇年に逝った時、野田醤油の重役らしき人が後継ぎの父に、期待を込めて渡した手紙を佐々木さんは持っています。祖父の「アカギレ」が信用のもとであり、そのために莫大な借金をかなり「ご勘弁金」として割り引いてもらえたのだと記されています。
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 しかし佐々木さんによれば、父は後に銭湯のあがりをくすねては遊郭に通い、他の客と美女を争って新聞に載るといった遊び人で、祖父の築いた事業を傾けてしまったのだと…。

 その後、かろうじて父の弟が佐々木酒店を継ぎ、戦後廃業します。(上の写真は、九番目の子である佐々木さんが生まれる前の佐々木酒店で、両親と子供達。)

ここは哀愁の町ではなく愛執のまち

 帰らぬ風景を思うとき、「哀愁」という言葉が浮かびます。

 しかし、北越谷でアイシュウと言うと、むしろ「愛執」がふさわしい。愛にとらわれ、煩悩にさいなまれつつ生き抜いてきた人々、まきこまれつつしぶとく生きてきた人々。

 そんな歴史の堆積したところ。

 その愛執のまちに、市が立ちます。まずテント芝居が、そして大バザーが。

 かっての佐々木酒店にほど近い旧日光街道沿いの自宅前で、企業退職後、焼き鳥屋「鳥やす」を営む関根安一さんに昔のお話をうかがいました。ちなみに、後から知ったところでは、佐々木さんの同級生「やっちゃん」だそうです。
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 なんと、すぐ近所に映画館があったというではありませんか。

 越谷市郷土研究会会報「古志賀谷」によれば、東武劇場といい、大正14年(1925年)大沢橋先の大沢1丁目に「越ヶ谷大澤唯一の娯楽殿堂」という触れ込みで落成したそうです。2階建てで200坪を超える建物でした
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 当初は演劇や大沢の芸者衆の踊りなどが行われ、戦後東京からSKDが公演に来たこともありました。
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 昭和12年(1937年)からは、映画も上映するようになったそうで、劇場の周りには映画の看板がたくさん貼られていたとのことです。戦後、劇場からそう遠くない大沢小学校から、校外活動の一環で生徒たちが列をつくって映画を見に来たりもしました。
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 昭和32年(1957年)残念ながら火事で焼け落ちてしまいました。

 「市」とは、モノを介して、ふだんは離れている生活と生活が、世界と世界が、文化と文化がせめぎあう場です。
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 わらじの会大バザーは、三十数年前から、毎年東武沿線のあちこちに会場を変え、なるべく野外で開いてきました。
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 ただの活動費かせぎだけでなく、障害や年齢や性や国籍をこえた「市」をめざして。
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 そしてかってここにあった宿場町や娯楽殿堂の歴史をたどりながら、テント芝居と大バザー開幕です。
 
 11月1日、2日とテント劇団マタヒバチの公演があり、同じ場所で3日(日)大バザーを開催します。
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 今年もご来場をお待ちしています。お手伝いも大歓迎です。
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