共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS カッコ悪さが素晴らしかった わらじの会の祖霊 野沢代表の記憶 T

<<   作成日時 : 2013/10/21 00:51   >>

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当会代表・野沢啓祐、本年9月23日逝く。享年72才。越谷市大林の農家に生まれ育ち、地元の小・中学校通常学級を卒業。職はなかったが、会発足前から写真の手こぎ三輪車いすで街を闊歩。当時の市職員組合の若手職員たちと出会い、川口で障害者の生きる場をつくる会として運動していた八木下浩一らとも出会っていた。1978年、わらじの会結成と同時に代表となり、現在に至る。
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写真は1983年2月、越谷市役所正面玄関前で行った、自立に向かってはばたく家準備会の署名活動で。「介護者の派遣、寝泊まりできる小さな家、市の建物内の出店のスペース」が要望だった。
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同準備会は、当会の在宅重度障害者たちが平日の昼間に春日部市武里団地に集まり、露店や昼食づくり、電動車いす練習、介助者募集などを自主的に行っていた。野沢本人は親から小さな家をもらって一人暮らししていたが、家の奥で毎日を過ごしている他の障害者たちが街に出てゆく活動に力を尽くした。

 小・中学校の同級・同窓には、かっての市長はじめ役所、事業所、地域に多数の人々が。寡黙な本人は何も語りかけないが、代表・野沢の存在が会の根っこを意味した。
 月刊わらじ5号(1978年)に、野沢は電動かなタイプでつぎのように、生い立ちをつづっている。
 
 ぼくは いまから 22年まえに ふつうがっこう ちゅうがくを そつぎょう しました しょうがっこうのころは ならんで いったから たのしかった ちゅうがっこうに なったら おともだちは じてんしゃにのって とうこうしました ぼくは のれないから くやしかった がっこうに いくのが おもしろくなっかた たまには じてんしゃの うしろに のせてくれたひともいた だけど あるいたほうが おおかった いまから おもえば なつかしいです いえから がっこうまで 2きろぐらいある じぎょうは みんなといっしょに べんきょうした たいそうのじかんは みていました ぼくのくらすは 36めいです しょうがいしゃは ぼくだけ ひとりじへいしょうしゃいて このひとは あんまり とうこうしませんでした しくだいは いちども やっていった ことはありません だから いつも のこされてたんです このときが いちばん こまりました えんそくや しゃかいけんがくなど いったけど しゅうがくりょこうも いくきで りょこうつみたてちょうきんを しました そしたら たんにんの せんせいが ぼくのいえにきて つれていくのが たいへんだから いくのを やめるように いいにきた ぼくは くやしかった くらしの おともだちは おみやげに しおり かってきてくれた

 
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月刊わらじ17号(1979年)では、わらじの会の活動の中での悩みが率直に語られる。
                         おれのがっしくのできごと
 このおれは がっしくに いくまえは とうろんかいで しゃべることが できるかどうか しんぱいで いつも なやんで いった そして しままつくんと あうたび しょぼくれて いると おれに ありのままのことを あんまり かんがえこまないように しゃべれば いいんじゃないと あどばいすを してくれた だけど きになって かんがえれば かんがえるほど がっしくに さんかをするのが いやになって いくのが おっくうになったこともあり こうしてがっしくにいったら だい1日めのよるは きゃんぷふぁいやーに いくきでいったら このとき きゅうに とうろんかいの うちあわせがあるからと いわれたので いかれず がっかりした こんどは はんせいかいで あす かいすいよくをするには かんしたいせいを きちんと とらなければ なみがあらいから じこがおきると いわれて そこで いろいろと おせきょを うけて だれかに どうだと いろんなことを いわれないと きがつかないのです そして かなしくなって めじめになる だい2日めは おれは かんしを していたけれど なにも なかった ことはいいけど もしなにか おきたら いろいろと いわれるだろう これで やくに たったか たたないか わからないまま おわり そして よるの とうろんかいは けっきょく ひとくちしか しゃべんなかった おれは こんかいの がっしくは きゃんぷふぁいやーは できず かんしのことで いろいろといわれて とうろんかいのことで なやんで こうして いろんな ことが あって それで くるまいすは だれかに こわされて くやしくて しょうがないです だから あんまり いんしょうなく おもしろくなかった (のざわ けいすけ)  

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→ http://yellow-room.at.webry.info/201008/article_3.html

 その年明けの月刊わらじ20号(1979年)では…
                          おれのはんせいです
 このおれは ことしは いま よくかんがえてみると いろんなことがありました まいつき まいつき よく かいほうのげんこうを たのまれても かくことが あれば いいけど でも ことわることが できないで いつも かんがえながら なやんだりして こうして たいぷと にらめこを している ありさまです おれは ことし だめだったことは 5月ごろの じむしょのことで おふくろに はんたいを されたこと それで おともだちにも むりじゃないかと ゆうひとも いたこと それから8月に がっしゅくをおこなったとき おれは きがつかないで いったら いろんなことを いわれた このようなことが いまでも まだ いんしょうに のこっている おれは だれかに なにかを いわれると すぐに いやに なるのが いちばん わるいことなのです でも いいことも あった あるひとのしょうかいで せいかつほごが もらえるように なったからです らいねんの ほうふは ただ みなさんの はなしを きいたり そして やくにたつように なるしか ないとおもう こうして いいたいことが あれば だれにもいって おれは これからは できるかぎり なやまず くいのないようにして そして みなさんと じっこういいん などをして らいねんは よいとしにして がんばりたい

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そんな悩みの時を経て、これまで家の奥にいた人々が会の中に「自立に向かってはばたく家準備会」をつくって活動を始め、状況も変化してゆく。
 月刊わらじ39号(1981年)の文章。
                       
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  ばざーのしなものあつめ
こんかい ばざーしなものあつめは かくちくごとに おこなうことになりました きたこしがやちくを たんとうになって おもに にちようびに あつまり がいとうに ぽすたーはりと いっけんいっけんに びらいれをして それで すうじつしてから しなものを あつめにいったけど だしてくれるいえ いれないいえ いろいろと あった おれは しっているいえは たのんでおき そして さくねんと おなじくらい あつまりました それから たけさとだんちは はばたくいえのひとたちが たんとうになり かようびと もくようびが かつどうびなので みんなで ぽすたーをいんさつして こっちからは とりにいけないため そこに ひにちと ばしょをかきこんで それを ひとり ひとり くるまいすにのって ぽすたーようしと がびょうとか てーぷをもって しほう はっぽう ちらばって だんちの おくさんたちを つかまえて かくかいだんの いりぐちこくじばんに はりつけてもらい それと かくへやへや6000まいの びらいれは にいざかさんを おくりむかえしている いまなかさんや かたぎりくんたちが ほかのひとも やってくれた こうしてにいざかさんが りやかーを さんだい てはいをして かりた そして ごかしょうの しゅうかいじょを かりて そこに もってくることに なっている いちにちめは さんかしょで かくかしょへ にいざかさん かつみくん おれのと くるまいすに りやかーを しばりつけていき そして さんだいとも やまのように つんで せいきょに はこびこんだ ふつかめは にかしょ おなじように りやかーで よんだいぶんも はこび こんかい はばたくいえのひとたちは いんさつして ぽすたーはりを くろうしたせいか りやかーに ななだいぶんも あつめることが できたから よろこんで だいせいこうした

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 これらの文章でわかるように、野沢のおもしろさは、当時の障害者運動のリーダーたちのようなかっこよさとはまさに対極のところにあった。街で生きながら、周りにひきずられて疲れ果て、どやされて愚痴をこぼし、恥ずかしがり、悔しがり、迷い続ける…そんな野沢だからこそ、その生きざまに寄り添って一緒に道を探りたいという人たちも少なくなかった。

 そのスタンスは、生涯にわたって、しぶとく保持された。

→ http://yellow-room.at.webry.info/201207/article_3.html

今回は、わらじの会初期、野沢が会を背負って、毎号電動カナタイプで書き続けた当時の文章の一端を紹介した。

ここ8年ほどは床に臥すことが多くなり、昨年11月に入院し点滴のみで10ケ月生き抜き、昇天す。葬儀は密葬で。

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http://yellow-room.at.webry.info/201211/article_4.html 

会として偲ぶ会を準備中。照れ屋の本人は、やめろと顔をなでるだろうな。合掌。
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