共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 学校から広がる世界―8.4「一緒に行こうよ!小中学校、そして高校も」@坂戸 からのメッセージ(下)

<<   作成日時 : 2013/08/09 10:16   >>

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前回にひきつづき、8.4 就学・進学集会「一緒に行こうよ!小中学校、そして高校も」@坂戸市福祉センター の後半。

休憩をはさんで、参加者からさまざまな発言を受けた。

初めに、先日開催した「全国一斉 共に学ぶための就学・進学ホットライン」の際の、電話相談がきっかけでこの集会に参加した、障害のある双子のお母さんから。
小学校低学年のときは、他の子どもたちの手助けで共に育ってきた。高学年になり、新任の先生になると、○○ちゃんがめんどう見てくれるからおまかせ、という雰囲気になっていった。それで中学に上がる時に支援学級を希望したが、学校側が忘れていていまは通常学級にいる。ただ支援員が午前中で帰ってしまうからと、午前中しかいられない。支援学級に移ることになっているが、神田さんの話を聞き、支援学級に行くからいいというわけではないんだなと思った。友だちには「これからクラスが変わってもなかよくしてね」と言ってはあるが。
字もひらがながやっと書ける程度なので、中学卒業後は特別支援学校高等部しかないと思っていたが、今日ここへ来て初めていろんなことがあるんだなと知った。これからもいろんな情報を知り学びたいと思う。

これに関して、神田さんから、いろいろな子どもたちの中でもまれることが大事だというコメントがあった。

次に、いま県立高校に通っている鴻巣市の松森彪留くんから。
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私は高校に入学して早3年が経とうとしていますが、現在も変わらずに充実した学校生活を送っています。
クラスは担任の先生が新しくなり、皆が慣れるまでまだ時間がかかりそうです。
友達の関係では、バレンタインにチョコレートをもらった別のクラスの女の子から私の誕生日に
「お誕生日おめでとう!!」
というメールをもらい、とてもうれしかったです。
もちろん返信のメールも送りました。
彼女の誕生日にもバースデーメールを送ろうと思っています。
ほかにも驚いたことがあり、他のクラスの男の子が私に
「秋葉原に一緒に行こうよ!!」と誘って来たのです。
その男の子から誘われるのは、私とはタイプの違うビジュアル系の生徒だったので意外だったけど、こちらもとてもうれしかったです。
お互いに連絡先を交換したので楽しみにしています。
卒業までこれからも友達をたくさん作って楽しい学校生活を送りたいと思います。

高校を卒業し、大学に進み、卒業した、新座市の奥村凌也くん。
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彼と久しぶりに出会って思いだしたのは、2001年11月13日の「僕たち違法人?」行動。当時学校教育法施行令を改正し、通常学級で共に学ぶ子どもたちに対し、市町村が認定したものだけを合法とする路線が出てきたのに対し、県民の日で学校が休みの埼玉から、子どもたちを含めて100人ほどが、国会、文科省、厚労省へ出かけた。その時凌也くんは小学校のクラスメートたちと参加し、議員会館回りでは大仁田厚議員と懇談し、ファイアー!と一緒に叫んでいる。あれからもう12年が経とうとしてるのだ。
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彼が話しているとき、会場を離れていたので、メモしそこなった。が、ほぼ同じ内容が「季刊福祉労働 138」(現代書館;2013.3)に載っているので、一部だけ紹介する(特集:政権交代とインクルーシブ教育の行方 「座談会・共に学び育つ子ども集団の経験をどう伝えるか」奥村凌也、高橋幸宏、坂口智 司会:木村俊彦)。
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「大学受験のときも、指定校の推薦受けようとしたら、こちらは何もできませんからあなたは指定校断らせて下さい、みたいなことを志望校から言われた。『友達を大学側がつくってあげることもできないし、勉強のサポートもできないし、何もできないけれどいいのですか』って言うから、『ああ、いいですよ。こっちが何とかしますから』というふうに言って入ったという経過があります。それで別の方面で知り合いがいるので、その人にオリエンテーションキャンプに付いて行ってもらったりして、大学内でも関係ができていった。大学側は、僕が六法全書もめくれないし、何もできない、単位取れないんじゃないかと思っていたようだけど、1年間で4単位しか落とさなかった。

 そうしたら翌年には車いすの子がもう一人入ってきて、現在、車いすの学生は、僕含めて3人います。おかげでバスの本数も増えました。僕が入学した当時、バスは8時半と4時しかなかったので、4限の授業をとると間に合わず、「4限の授業取るのだったら、ヘルパーにお願いして下さい」と言われて、「じゃ、ヘルパーにお願いしますから、4限の授業取らせて下さい」と言って、取ったのです。それで学生課の人と仲良くなっちゃって、「不便なんですよねえ」とずーっと言ってたら、「バス増やすから」と言われて、次の年から増えた。スロープバスは好きな時間に乗れるので、今ではすごくいい大学生活が送れています。
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大学2年のとき、サークルの代表も務めましたし、1年から4年までオーバーナイトウォークというイベントにも参加しました。そのイベントは、池袋駅を夜中の12時にスタートして、大学に2時ごろ着くという。「何やってんだ?お前」というような企画に、車いすで4年間参加したという、たぶん最初で最後でしょう、という学生です。大学について話を聞きたいと言われて会ったのがきっかけで、後輩の彼女もできました。このあいだは他の大学で、どんな学生生活を送っているかについて高橋君と話したりしました。今、就活中だけれども、決まってないんですが、でも諦めたら終わりなので、最後まで諦めないでやっていこうと思ってます。」 

座談会に参加している高橋幸宏くんは、小、中学校同じで、高校になって初めて同じクラス、部活になり、大学も同じという友だち。

つぎに学校現場から、和光特別支援学校教員で、埼玉高教組青年部長の武井真人さんの発言。
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障害の程度によって子どもたちを分けることに反対している組合で活動している。高校進学も応援したい。和光特別支援学校は、10年前までさまざまな障害のある子どもたちを分けずに、学年単位でやってきたが、だんだんに類型別に分けることを進める教員が増え、いまは入学式で一緒でもつぎに会うのは卒業式というほど分け隔てられてきている。

川越市の小学校の通常学級の教員の山際敏和さんは埼教労。山際さんは、通常学級の中で「広汎性発達障害」と診断された子どもの強いこだわり、不安を感じ取ったクラスメートが、「僕も合格してないよ」とか「(ファウルは)だめじゃないよ。もう一回できるんだよ。」などと語りかけ、安心させるのを見て、「彼の存在がまわりの子の成長もうながしてくれたことに感謝した」と、事例報告で述べている。
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山際さんの勤務する小学校には支援学級が4クラス。市内の小学校の3分の1に支援学級がある。なぜ支援学級を選んだのかと親に聞くと、少人数で見てもらえるからという答えが返ってくる。自分のいる小学校では交流がさかんに行なわれていることも、大きな要素のようだ。

その交流の事例では、支援学級から交流で来た子が、朝の会で伴奏が始まると耳をふさいで出て行ってしまい、給食が食べられず弁当持参で、姉と一緒の通学班で来られず母親が送ってきて遅刻していたのが、3学期になるとそれぞれなんとかできるようになった。そして、自分がこの1年がんばってきたことを発表するときの学級の代表に選ばれ、手に持った紙を持って読み上げる。それを山際さんはいろいろな出来事を思い出しながら聞いているのだが、「(支援学級の)担任は、おそらくもっと多くの光景を思い浮かべながらこの発表を聞いていたに違いない。」と書いている。そこに「この時期の子どもの変化や成長は早い。」と書かれているように、これは「こうしたらできるようになった」という技法の問題ではない。子どもたちや教員たちが、さまざまにつきあいながら、その過程をめいめいがふりかえったりもする、そういう時空の共有がポイントなのだ。

「本来は自分が住んでいる地域の普通学級にかようのが理想だが、それらを含めてさまざまな選択肢の中から選ぶことができるというのもいいと思っている。」と山際さん。

  つぎに、埼玉県移送サービスネットワーク前代表の笹沼和利さんから。

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  元々東京の目黒で知的障害者の入所施設の職員をしていた。9割以上の入所者が地域で暮らしたいと考えている。地域での暮らしを進めるために、就労問題研究会をもっていた。当時、養護学校を卒業してきた障害者が就職しにくいことを強く感じていた。周りから隔てられたところで育ってきていることが大きい。いろんなところでもまれてくることが大事だと思っている。

 上福岡支援センター21の下重美奈子さんから。
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 7月のホットライン二日間、私の団地の部屋でやり、夜は飲み会をした。合宿状態だった。私の親は私が小学校に上がる前、普通の学校に行って相談をしたようだが、「あなたは養護学校に行きなさい」と言われてすなおに従った。当時はこういう運動がなかったから。養護学校に入っても、その後は社会に出ていかないといけないので、できれば子どもの頃から地域で育つのがいい。

埼玉障害者市民ネットワーク代表の野島久美子さん。
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私は養護学校を卒業してから施設に入り、そこを出て家に帰った後、家出をして一人暮らしを始めた。その後、セーラー服を着たくて、県立高校定時制に入った。先生の方が私より年下だった。

地元坂戸市議会議員の武井誠さん(社会民主党)。
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中学校の教員を28年やっていた。埼玉教組の委員長をしていた。日教組の全国教研を埼玉でやったときの実行委員長で、野島さん達にお世話になった。市議になったときの希望は、全ての人が地域で共に生きられるようにと。市議会の一般質問で権利条約や保護者の選択の自由などについて質問した。建前ではイエスと答えざるを得ない。今日の話の中で印象に残ったのは、養護学校の優等生が社会でもまれていないために、他者の気持がわからないという話。ただそういう人が健常者にもいるなと思う。教育の在り方の問題だと思う。沖縄、原発など、世の中の現実を見据え、闘わなければ。
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最後に、全国の状況、県交渉の報告を竹迫和子さんから、埼玉県内全市町村の学齢児童生徒の就学に関する調査集計結果の分析について山下から、狭山市で全身性障害者介護人派遣事業を高校、大学でも介助に利用した例が2名あることについて門坂美恵さんから、それぞれ報告。
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そして埼玉県障害者施策推進協議会で現在埼玉県障害者支援計画の各施策に関するモニタリングを行なっていることについて、委員の吉井真寿美さんから報告した。
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なお、本日の幕間劇…見沼福祉農園で結ばれたカップルの婚姻届の証人として、なぜか婚姻届も出したことがない筆者と連れ合いが署名をするというエピソードがあった。夫となるこっぺこと猪瀬浩平さんは、かって彼が小学生のときに、兄良太さんらの高校入学を求める県知事応接室泊まり込みで出会っている、そして農園はこの高校入学運動のさなかに県に要望してきたものなのだから、この集会とは浅からぬ縁があるといえる。
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 二人には、いろいろな体験を、できるだけ長く分かち合ってほしい。

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