共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS ゆらぎ ・ システム ・ 医原病  三吉 譲さん(精神科医)のお話 ネットワーク合宿速報(中)

<<   作成日時 : 2013/06/28 00:13   >>

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 夕食後の第4部は、「つながって、共に立つ」と題して、三吉 譲さんの講演。
 精神科医として43年働いてきた。前半は主に精神科病院で(部分的に総合病院でも)、後半はクリニックで。その中で治療者として関わった12のケースを紹介しながら、障害観、自立観など、もろもろについて語る。その話と三吉さんの文章から、おおすじをまとめてみる。もちろん筆者の主観をあれこれまじえながら…

職場・学校・家族… システムがつくる二次障害(病気)

 障害観については、「人はどうして精神疾患になるか」と問い、「人生に不可避な二次障害」について述べた。
 
二次障害は、人間対人間の関係、人間対システムの関係で起こるとし、ドメスティック・バイオレンスや職場のパワハラ、長時間労働や競争をあおる学校教育などが病気を生みだすことについて、具体例を示す。

 そして「二次障害をのりこえ、人生の財産とすることは可能か」と問い、「自分のできないことは他人に助けを求め、自分のできることは自分でして、かつ人を助けること」、「助けられるだけでは自立はない。なんで人を助けるかはさまざまで、ただいること、笑顔だけでも人を助けられる。」と語る。

精神科医療がつくる三次障害(医原病)
 
 

さらに、三次障害があるのが、日本独自の状況だと言う。三次障害とは、医原性精神疾患だ。

 三吉さんの問いかけ――「人は不幸なので精神科に行くのか、精神科に行くので不幸になるのか」

 1918年、東京大学医科大学教授・呉秀三(精神医学講座)は「十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」」と述べて、座敷牢に閉じ込められた精神障害者たちを家の奥の闇から解放し、近代的な精神病院に収容した。

 しかし、それが新たな不幸の始まりの序曲につながってゆく。
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「棺箱病院」という隠語

 宇都宮病院事件により国際的な批判を浴びたにもかかわらず、日本では依然として長期大量入院が改善されていない。20歳代に収容されると50年間の精神科病院生活を送り、70歳代になって精神科病院系列の特別養護老人ホームに運ばれて行く。

 こうした精神科病院では主治医が頻繁に交代し、誰かにすがって希望を持とうにも持てない。さらに多剤大量薬物療法で終日ボーツとなり、時折爆発するだけで保護室に収容され、集中して電気ショックを受けさせられつつ人生を送る。

 しかし、そうした中でも、長い期間を経てかなりの人たちは自然に治癒してゆくのだが、すでに親は年老い、兄弟姉妹は余裕がなく、そのまま精神科病棟で過ごすしかない。

 「棺箱病院とは、生きては退院できず、死んで初めて退院できるという日本独自の患者間の隠語である。」

「副作用が少なくなった薬」の多剤大量投与による病気

 
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最近、うつ病が未治療のままで転院してくる患者さんが増えている。なんでこんなに出すのだというくらい、薬がてんこ盛りになっている人がいる。

 抗うつ剤が効果を発揮するのは、うつ病の経過の中で特定の時期なのだが、それがわからず、薬を沢山出せば治ると思いこんでいる医師が、Aが効かなければA+B、それでもだめならA+B+Cという風につぎつぎ増やしていくので、何が効いて何が効かないかもわからなくなる。

 Aが効かなくて急にAを止めてBに切り替えると、Aの禁断症状が出やすい。Aをゆっくり減らしながら、Bをゆっくり増やしてゆく…といった具合に試しながら合う薬をみつけてゆく。

長期大量服用が生む攻撃性

 ドーパミン過感受性精神病(DSP)は、向精神薬を長期大量に服用した結果、情動脳(扁桃体)にある神経受容体の量が増え、さらに大量の向精神薬が必要になり、増えた受容体が過敏性を増し、ストレスやわずかな減量で一挙に大量のドーパミンが産出され、極度の精神興奮状態になり、容易に再発してしまうといわれる。

 現在入院中の「治療抵抗性・経験過敏入院者」といわれる9万名の半数4万5千人がDSPだと推定されている。このような状態になると、攻撃的になり、入退院を何度もくりかえす。

 なお、誤診、誤処方の詳細な事例が満載の本が出版されている。三吉さんも書いている。その名も「精神科セカンドオピニオン2」。
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休息と栄養 世話する人 そして 他を助けることも

 このような三次障害をのりこえ、かつ安全な場所(休息と栄養)と世話をする人を確保して2次障害をのりこえてゆく必要がある。

 しかし、先にもふれたように、「助けられるばかりでは病者の立場より抜け出せない」と三吉さんは強調する。
 
 助けられる側から助ける側に回る体験を通すことで、それまで下がっていた自己評価が回復する。三吉さんのクリニックでは、そのひとつとして、ホームヘルパーやガイドヘルパーになることを勧めている。

 ただ、次のようにも語る。「治るのになくてはならないつながる先は、なんでもありうる。外にはなくとも、自分の内的イメージにつながって育みながら、自らを育てて行った人もいる。」
 
このような自立観を「つながって共に立つ」と、三吉さんは表現している。

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 ちなみに、今回は、一次障害についての説明の時間はほとんどなかったが、三吉さんのレジュメの中に「一次障害とハンディキャップ」と題して、二つのグラフが紹介されている。

発達障害は{おくれ」 精神障害は「ゆらぎ」 ―正常との連続性がポイント

 その一つは、「正常発達と発達障害の連続性」と題する滝川一廣さんのグラフである。

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 このグラフは滝川さんの著書「『こころ』の本質とは何か―統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ」(ちくま新書)に載っている。ただし、このグラフの中心に「身体障害(幼いころから分けられて育った場合)」と書きこんだのは、筆者である。
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 後で述べるように、人における認識と関係を発達させるやり方は、あくまでも周りの社会との関わりを通してであるから、分けられて育った場合、身体障害児でも、さらにはほかの原因で隔離されて育った子どもすべてが、発達の遅れを生じる。

 滝川さんは、「発達障害」の代表的なものとして、「精神遅滞」と「自閉症」を挙げる。そして、ここでいう「障害」とは通常にはあり得ない特殊な病理(異常)ではなく、端的にいえば標準からの「おくれ」であるとする。ちなみに、後でふれるが、統合失調症については人間の本来的な精神活動の「ゆらぎ」として、やはり「正常」からの連続性において、滝川さんはとらえる。

 滝川さんはまず、精神発達とはなにかと問い、@まわりの世界をより深くより広く知ってゆくこと(認識の発達) Aまわりの世界とより深くより広くかかわってゆくこと(関係の発達)であると述べる。

 この「世界」とは、単なる物質的な世界ではなく、社会的・文化的な共同世界という構造を持つ。すなわち、認識の発達も関係の発達も、人との社会的かかわりを通して、はじめて可能になる。

自閉症=脳障害説のアポリア 

今日流布している自閉症=脳障害説(言語の障害、感情認知障害、心の理論障害)は、こうした発達論が欠如していると、滝川さんは言う。

 そして、知的発達にも大きな遅れを持つ重い自閉症から、その遅れは少ない高機能自閉症、知的な意味では遅れのないアスペルガー症候群まで、広義の自閉症群(広汎性発達障害)を貫くものは、何かと問う。

 自閉症を初めて報告したカナーが記述した「自閉的孤立」こそ、本質的な特徴ではないかと。故・小澤勳さんの名著「自閉症とは何か」と同じ立場だ。

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 滝川さんは、認識の発達のおくれが前面に出たものが精神遅滞であると同じように、関係の発達の遅れが前面に出たものが自閉症(広汎性発達障害)なのだと述べる。さまざまな脳障害説がこれこれの能力欠如が本態だとしてきたことは、実はさかさまで、発達のごく早期から対人交流が乏しいままに育ってきた結果なのだと。

 社会を生き抜く方法としての障害・病気

 ではそれらの「おくれ」はどうして生ずるのか?歩みには個体差があるからだ。発達は進んだものからおくれた者まで、幅広い連続的なひろがりをもっている。

多くは平均的な水準のところに集まり、そこから離れるほど数が大きく減る正規分布をなすだろう。このことを示したグラフが、三吉さんのレジュメに紹介されているのだ。

 正常発達と発達障害は連続的で境目はなく、どちらともとれるケースが必ずある。と同時に、かって町工場や農林水産業がさかんだったころには目立たなかった個性が、第3次産業が比重を大きくした現代になって、「障害」として析出されてきた。

おくれを容認せず、適応を強いられる状況下で、その適応の努力そのものが「問題行動」とされやすい事態も生じている。

 このことは、認知症についても同じである。故小澤勲さんは、「認知症とは何か」(岩波新書)でこう書いている。「私達が目の前にしている、認知症を生きる人の症状や行動は、脳障害から直接的に生みだされたものではなく、つくられたものである。『つくられた』と言うと語弊があるかもしれない。認知症によって生じる不自由に、一人ひとりが独自の方法で必死に対処しようとした結果である、と言えばよいだろうか。」

 問われているのは、私たちの社会の共同性、関係性なのだ。その問い直しを避ける役割を果たす言説として、脳科学がもてはやされ、薬漬け社会を支えている。

 念のために書いておくが、このことは「脳は関係ない」とか「薬は効かない」とか言ってるわけではもちろんない。「病気」をモノとして見るのでなく、「病気」を介して世界を自分流に生きぬこうとしている人間として向かい合う、そういう意味での精神療法が極端に省略されていることを訴えたいのだ。近年の精神医療は、「脳の病気」を治す姿勢に偏り、安易な多剤大量処方が広がり、一時は自粛傾向にあった電気ショックも最近増えていることが、三吉さんの事例報告ではっきりした。

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 意味と関係の枠組みのゆらぎ 統合失調症

 ここまで、滝川さんの自閉症論を筆者流にまとめた。三吉さんが滝川さんの「正常発達と発達障害」のグラフを紹介した意図は、おそらく「精神的健康と精神障害」の連続性につながるものとしてではないか。

 滝川さんは、精神発達について、認識の発達と関係の発達の両軸から考えた。その同じ本の中で、「人間の心のはたらき」について、「意味」と「関係」(因果)という枠組みを用いることで、外界と内界とをはじめて統合的に秩序づけてとらえ、それによって社会的に生きていると述べている。

私たちの外界や内界を社会的に共有された意味(概念)を通して秩序づけ、それによって体験世界を「図(意味・必然)」と「地(無意味・偶然)」に分けて安定した構造へと統合するはたらきが「認識」と呼ばれる。統合失調症の「失調」とはこうした統合のゆらぎと考えればわかりやすい。

また、人間の関係世界は、ある人とある人のパーソナルな関係世界とそうした生身を離れた社会的役割を通したかかわりの世界、社会的共同性という位相のちがう二つの世界からなっている。

これを心のはたらきという面からみれば、かおの見えない大きな共同性から排されることへのおそれと、逆に共同性に支配され呑みこまれることへのおそれを同時に抱くことにもなる。そして、こうした共同性へのおそれが鋭い形で現れたのが、統合失調症における「被害妄想」にほかならないと、滝川さんは述べる。

精神障害 心のはたらきが鋭く現れて

 滝川さんのスタンスは、精神障害を必ずしも異常性とはとらえず、人間のこころのはたらきが本来的にはらんでいるなんらかの要素や側面が、ある条件の下で鋭い現れ方をするのが「こころの病」なのだというところにある。 三吉さんが、1次障害と呼ぶのは、まさにこの人間だれしも共有している心のはたらきの鋭いかたちでの現れのことなのだ。

 ところで、三吉さんは、一次障害に関して、もうひとつのグラフを紹介している。2002年度の厚生労働省人口動態統計より、年齢別自殺率(10万人当たりの自殺数)と全死因に対する自殺の割合を示すグラフで、出典は中村祐さん(香川大学精神神経医学教授)の「高齢者うつの病態と治療」(「臨床精神薬理」2013年6月号)。ただ、資料集のこの部分の印刷がよくないので、ここではネットからとった同し内容のグラフを載せておく。

これを見ると、人口10万人当たりの自殺数は、加齢に伴って増えてゆき、55〜59歳と85〜90歳にピークがある。

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人間と社会を問う 発症と自殺

 中村祐さんはうつ病・躁うつ病の患者について、別の論文で、男性では40歳代にピークを迎えるのに対し、女性では30〜70歳代にかけて大きなピークがあると述べている。また、高齢者のうつ病では、悲哀を訴える代わりに、心気症や身体主訴が増える。本人や周囲の人が「年のせいだからしょうがない」と思いこみ、重症化するまで放置されるケースも見受けられるという。

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 さらに、治療薬の副作用により、活動性の低下や認知機能障害を引き起こしている場合もあるため、見極めが難しい。また、認知症と誤診されているケースも見受けられると中村さんは書いている。

 特に、高齢者がうつ病に罹患すると、健康面や環境の問題から自殺に傾きやすく、高齢者の自殺者数も増加していると述べている。このようなうつ病の存在が、上記二つのピークの背景にあるとみられる。

 いっぽう、全死因に対する自殺の割合では、20代〜30代の死因のトップは自殺である。
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 滝川さんの前掲書では、統合失調症の特徴の一つとして、好発する時期が青年期に集中していることを挙げ、青年期について考察している。進学、就職、恋愛など自分の将来にかかわる岐路、選択にぶつかる時期。

それは単に人生設計にとどまらず、ときとして自分なる存在をどうあらしめるかという存在論的なテーマともなって迫ってくる。こうした中で空回りしたり、周りが見えなくなったりしながら苦闘している。こうした誰にもある状況が、無理をつづけたり、体調が崩れたりすることで、発病に至ることもあると滝川さんは書いている。

前にこのブログに登場した精神科医・小原基郎さんの著書にも、次のように書かれている。
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 「思春期には、統合失調症でなくともセルフアイデンティティが未確立で他者に左右されやすく、自我防衛のために引きこもることはよくあることである。いわば『さなぎ』のようで、みののなかでゆっくり成虫に成熟するまで出てこない。無理に引っ張り出してはならない。」

 
 「もはや自分というものを確立している成人した統合失調症の患者さんでも、自閉が身についてしまっていることが多い。自分が弱く、うっかりさらけ出すと他者に壊されてしまうという懼れを抱いているためだ。安心できるごく少数の人にだけ心を開く。」

 「統合失調症の患者さんも自閉によって、ゆっくりと自分というものをはぐくんでいるのであり、外からちょっと自閉のなかをのぞき、そのはぐくみを手助けしたいというのが愛すべき統合失調症の患者さんへの私の思いである。」(「うつは移して治す―ある精神科医の『野生の思考』」(小原基郎著 :幻冬舎 ルネッサンス 2012)

こうして、三吉さんが一次障害について、あらためて詳述しなかったのは、それが人間の生老病死の旅の途上の「おくれ」や「ゆらぎ」や「くずれ」のかたちであり、往々にして誰にでも起こりうる状況だからなのだと納得できる。

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病気はつながり回復のチャンス―三吉さんのスタンス

 三吉さんは書いている。「この病気そのものは不幸とは言えない。つながりを回復し、再生する、天が与えたチャンスなのである。周りが反省し、再度本人とつながりを持つチャンスなのである。」

人が自殺するのは、一次障害によってではない。社会的な二次障害さらには医原性の三次障害が重なることで、社会によって自殺させられてゆくのだ。

 闘い続けることと、つながりを編み直すこと。荒々しく、そしてやわらかい。

 三吉さんは、筆者にとっては、学生時代に交わり、40年余りを隔てて、昨夏にはわらじの会夏の交流合宿で再会した友。今回、詳しく話を聴けてよかった。これからもよろしく。
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