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zoom RSS 出会ってしまった 向かい合う 震災後東北と私たち −T

<<   作成日時 : 2013/03/23 22:26   >>

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原発事故による放射能汚染により全村が避難している福島県飯舘村に行ってきた。写真は村内に野積みされた放射能汚染土の袋。

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飯舘村小宮の安齋さんの自宅に連れて行ってもらったのだ。安齋さんはいま伊達市東グランド仮設住宅で暮らしている。まずここで話を聴かせてもらった。



安齋さんと出会ったのは去年の夏。見沼福祉農園の若者たちによるサバイバルキャンプの夜だった。
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安齋さんは東電、国、県そして情報を隠ぺいした村長への怒りと怨念をあえぎながら高速で峠道を登るトラックのように語り続けた。

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そんな安齋さんに出会ってしまい、今度わらじの会に来て話して下さいと言ってしまい、いいよと即答を得てしまったのだが、その後間があいてしまった。



けっきょくその怒りと怨念の根源にある喪われた生活、破壊された地域の歴史と出会わない限り、受け止めきれないと感じていたからだ。この出会いは一人では無理だ。こちらもできる限り生活と地域を引っ提げてでなければ。

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だから今回、連れ合い、共に働く場・ぶあくの津崎さん、そして越谷で有機農業を営む倉川さんと4人で出かけた。

 ちなみに安齋さんに来てもらう日は4月14日(日)。NPO法人共に生きる情報センターかがし座設立記念イベントの一環としての市民福祉講座。下記のような企画。
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13日(土)安齋さんは見沼福祉農園の手伝いで汗を流し、夕方迎えに行きわらじ周辺で泊ってもらうつもり。


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安齋さんに生い立ちを語ってもらった。4キロかけて通った小学校にも案内してもらった。校舎は建て替えられている。


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 そして山を背負った自宅へ向かう。「ボロ家だよ」とくりかえす安齋さん。長男である安齋さんは上の学校に上がったり完全に家を離れて就職することはできず、親たちや弟妹の生活を仕送りで支えた。安齋さんのみならず山林が多い飯舘では、たくさんの人が出稼ぎとして半生を送り、家へ帰るのは盆暮れという暮らしをしてきた。

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お父さんの代、ここへ開拓で入ったので、よそもんとしていじわるされた体験もいっぱいある。


だけども、まただからこそ、この故郷の家と山をこよなく愛してきた。

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出稼ぎ暮らしを終えて間もなく、自然農法のトマトで表彰されたんだとうれしそうに語る。

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その時の花飾りを胸に付けて、賞品の目録を手に持つ安齋さんのとても穏やかな表情…

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松茸はあそこで出るんだ、これはおやじが作ったあけびの棚だ、これは山グミでこんな大きな木は珍しいよ…と自宅の庭で話は尽きない。

安齋さんの家の雨樋の下はやはり高線量。この時は17.26μ㏜。緊急雇用対策で村民たちが3交代でパトロールをしている(5枚目の写真)。国は4月から毎日4千数百人の作業員を投入して1年間で除染をするというが、その準備が行われている様子はなかった。だいいち、75%が山林で除染は住居の周辺だけなのだからすぐ再汚染されてしまうだろう。

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