共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS みんな一緒だ!サイタマ 「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会 in SAITMA 報告集が出た

<<   作成日時 : 2013/02/09 21:36   >>

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昨年10月6日〜7日に開催された「みんな一緒だ!サイタマ 第10回「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会 in SAITAMA 」の報告集が完成し、本日全国に発送された。

 その報告集の「はじめに―全国交流集会を終えて」の中につぎのように書かれている。
 
 「『高校ってなんだ?』 『高校生活を楽しもう』 『高校からつながる社会』 『制度と改革―やっぱり高校へ』の4つの分科会では、長年教育や運動に関わってこられた経験豊富なコーディネーターの進行で、夜の交流会も含めて、熱心な議論が行われました。『高校も一緒に』は、排除されることへの拒否であり、地域で共に暮らすことにつなげていきたいという願いからであることを思い起こしながらも、地域で共に暮らし続けることにはまだまだつながっていかない現実があります。

 しかしながら、この歳月の中で試行錯誤して積み重ねてきたことの重み、厚さは確実に在り、この分けられた場から、あらためて『共に』をめざしていくことがこれからも課題ではないでしょうか。そこ(学校、地域、職場、…)への思いを伝えること、入っていくこと、居続けることです。全体会・分科会の記録を読み直しながら、そのように考えます。できるものなら、4つのどの分科会にも参加できるとよかったのにという気持ちです。くわしくは、この報告集にその記録を載せましたので、これからの取り組みの参考としていただければ幸いです。」

 そうだよなあとあらためて思う。筆者は第3分科会「高校からつながる社会」のコーディネーターを務めたので、ほかの分科会についてはこの報告集をこれからじっくり読ませてもらおうと思う。…というよりも、第3分科会の内容自体、まだまだこれから咀嚼して味わっていきたいと思っている。
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 そういう意味で、この「みんな一緒だ!サイタマ 第10回「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会 in SAITAMA 」の第2幕が、それぞれの地域の現場で始まることになろう。

 そんなことを考えていたら、あの第3分科会の当日、分科会参加者だけに配った 「第3分科会『高校からつながる社会』に向けて  コーディネーター 山下 浩志」という文章があったことに思い至った。今日になって思い出したので、報告集には採録されてない。のみならず、当日も、配布はしたが、参加した人々の語りをつなげてゆくことに集中していて、この文章についてはコメントもせずに終わってしまった。

 でもそれでよかったとも思う。そして、とりあえずは、筆者自身…とこのブログの読者有志による全国交流集会の反芻作業に際してなんらかの参考にできればいい。

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 第3分科会「高校からつながる社会」に向けて
                                   コーディネーター 山下 浩志

1.「高校からつながる社会」とは

 報告者二人の体験に引き寄せて「卒業後の生活・活動」というテーマは、ひとつある。それはおさえながらも、そこにとどまらず「高校」を切り口にしながら社会を考えていきたい。

 実態として高校が準義務化されている状態があり、こうした状態は新制高校を発足させた時点では文部省を含めて「想定外」であったとされている。文部省サイドでも1980年代からこのように準義務化された高校とは何なのか、どう位置付け直してゆくべきかといったことを議論し、そこから単位制などさまざまな動きが試みられてきたといわれる。

 いっぽう養護学校義務化の前後に別の教育の場に行けと強いられながら近所の友達と一緒に就学した子どもたちが中学を卒業する時期を迎え、1980年代後半から準義務化された高校へもみんなと一緒に行きたいと門を叩きはじめる。

 戦後新制高校発足後間もない頃に語られた「希望者全員入学」は「高校三原則」(男女共学・総合制・小学区)とともに、高校進学率が40%といった時代のこと。また1960年代に全国に広がった「希望者全員入学」運動は高校進学率がうなぎのぼりに上がり60%を超えながら受け皿が用意されていないとの父母の危機感を背景に、全国各地での高校増設につながり、今日の準義務化状態の端緒となった。

 かくていま第3の「希望者全入」をめざす運動が登場しているといえるが、その内実は過去の「希望者全入」とはややちがっている。そのこともおさえておきたい。



2.高校準義務化とは

 教育の問題は基本的に若年労働力創出策としてながめてゆく必要がある。

 高度成長をもたらした重化学工業化は、太平洋沿岸の3大工業地帯をはじめとする各地の工業地帯及びその周辺に位置する町工場や商店などの零細企業に大量の労働力を必要とした。その主力となったのは「金の卵」とされた中卒者であり、それは集団就職列車(下の写真)に象徴される農村からの根こそぎ移動によって創りだされた。1950年代半ばから60年代半ばのことである。

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 企業が高卒者をあまり採用したがらなかった理由としては、「物ごとに対して批判的になっていて中学卒より扱いにくく、大半が事務系統の手足の濡れない職種を望んでいる」からとされた。高卒の求人倍率が中卒を上回るのは60年代後半から70年代にかけてである。

参考→http://doraku.asahi.com/earth/showashi/111122.html

 1963年に埼玉県越谷市のH中学では中3の5クラスを、進学組2、就職組2、家事組1と分けた。中2の2学期に希望を聞いて分けたとはいえ、就職組、家事組の生徒は「どうせ俺たちは百姓やりゃいいから勉強もしなくていいんだ」と言って激しく荒れたという。ちなみに家事とは家で農業の手伝いという意味。この中学では高校進学率40%ということになる。進学組の半数近くは市内唯一の県立高校に進んだ。
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 就職組はほとんどが都内から市南部に進出してきた工場に吸収された。企業だけでなく東京で働く人々が住いを求めてなだれ込んで来た。農地を売り払って工場や日雇いで生計を立てる者が増える。60年に44%だった農業人口が65年には23%、70年には11%に減ってしまう。保育所、病院他の環境整備が必要となり、1966年越谷市は初めて200人の新規職員を募集し、地元や周辺から高校新卒者を雇い入れる。64年隣市に工業高校、69年市内2つ目の普通高校がそれぞれ県立で開校する。

 このように農村が崩壊し、都市が膨張することにより、高校進学率が急上昇し、かって中卒者がやっていた仕事も高卒者がやるようになる。

 埼玉県全体の高校進学率は63年に64%だったが、すでに第1次オイルショックの73年には92%に達する。かってH中学で起きた事態が、高校ピラミッド全体の中で再生産される。
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 最後の集団就職列車を見送ったある教員が、「現代の人買いだ」という人の言葉を想い起しながら、「私はこの様子を見るのが耐えられないのだ」と書いたことが紹介されているが、高校準義務化は「人買い」の新たなかたちといえるのではないか。

 参考→http://doraku.asahi.com/earth/showashi/120730_02.html

3.いま希望者全入とは

 1978年に埼玉でわらじの会を始めた当時、20歳前後〜30代の就学免除にされて家の奥の一室で生きてきた人たちと、15歳〜20歳前後の就学猶予を受けて精神薄弱児通園施設に通園したり、卒園して間もない人たちと、私たち新住民が出会い一緒に街で生きる道を探った。
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 当初は「切り捨てられた人々」としか見えなかったが、一緒に街に出る中で、急激な都市化へと人を追いやる教育の光にさらされなかったことや途方もない日月を一室で過ごしてきたがゆえの、祖父母の文化の継承や驚くべき辛抱強さを知ることになる。翌79年の養護学校義務化は、こうした差別とせめぎあってきた人々の切り拓いてきた地平まで消し去ろうとしていた。

 高校準義務化の下での養護学校義務化は、主として特殊学級及び普通学級からの高等部への進学、そして開校すぐには通園施設や訪問教育の子どもたちの吸収も含むという逆ピラミッド型で進みながら、徐々に中学部、そして小学部へと子どもたちを囲い込んで行った。やはり若年労働力創出策の底辺をかたちづくっていった。

 こうした過程を経て、「どの子も地域の公立高校へ」の運動が取り組まれるようになった。

 私自身当初は「たった3年間の高校生活を得るためにたいへんな労力を費やすより、その先の労働や介助や生活をつくるための活動にその力を注いだ方がいいんじゃない」と言っていた。

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 しかし、障害のある生徒たちの自主登校を契機に校内に入り、中学時代に不登校や問題行動や家庭内の困難で「ここしか行くところがない」と吹き寄せられてきた生徒たちや彼らを受け止める教員たちと出会ったことが転機となり、いまに至っている。
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 高校準義務化をもたらした農村の崩壊は越谷市の場合、農業人口がすでに1%を割るところまで来ている。それはすなわち、人々をつなぐ歴史や文化の核となってきた関係の崩壊を意味する。いまや越谷市では第3次産業が7割をこえる。

 内閣府の発表では高卒就職者で3年以上継続勤務は3割しかいない。

 学校、職場、近隣、家庭それぞれが切り離され、しかもその内部でも互いに小さな世界に閉ざされたまま漂っている。

 準義務化された高校はもちろん大学も含め「バリアフリーと共生」を推進する社会。そこへ「0点でも」入学しようと向かう「障害児」たちは、かって就学免除にされた後、家の奥から出て電車やバスに乗ろうとして拒否され警察に通報された障害者たちに重なる。

 泣きながら帰り、また出直す。階段を上げてくれた乗客たちが駅員につめよる。公平・公正な社会の像にゆがみが生じる。
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 くりかえしの中で障害者たちの行動につながる暮らしが見えてくる。それが乗客や駅員たちの暮らしを照らし返す。

 そんな風にして互いの小さな世界がひらかれ、学校、職場、地域がひらかれることをめざしたい。


ここで述べられていることは、今日の希望者全入が特別に権利を保障せよといった問題ではなく、いまここに生きている限り避けて通れない、朝起きてトイレに行き水道をひねるのと同じことなんだということ。と、同時に、いまこの瞬間を、関係を避けずに生きぬくということ。
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 その「いまこの瞬間」には、社会の発展を描くおおやけの歴史から切り捨てられてきた、高校とは無縁の人々、就学猶予・免除にされ家の奥で生かされてきた人々や、不登校というかたちで高校を見限った人々、貧しさゆえに学校でも学ぶ条件がなく高校へ行くどころではなkった、さまざまな人々の「瞬間」が凝縮されているんだよということである。

 そうしたことを考えろよというお説教ではなく、希望者全員入学をめざせば、いやおうなしに向かい合わざるを得なくなるだろうということだ。いますぐにではなく、ずっとあとになってからかもしれないけど。

 それが第3分科会「高校からつながる社会」のコーディネーターからのメッセージ。

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