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zoom RSS 大山−雨岳文庫と出会い 未完の文化革命を考える

<<   作成日時 : 2013/01/22 20:16   >>

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大山に登り雨岳文庫に立ち寄る

 落語の大山詣で有名な丹沢の玄関口である大山に登り、帰りがけ麓の伊勢原市上粕谷にある雨岳(うがく…大山のこと)文庫・山口家住宅にお邪魔してきた。かねてここに所蔵されている神奈川の自由民権資料を拝見したいと思い心に留めていたが、冬は休館だしもう夕方になっていたので前で記念写真を撮って帰ろうかとウロウロしていたら家の方が声をかけて下さり、ご当主の山口匡一さんともお会いすることができた。

 ご先祖である山口左七郎は自由民権運動の結社「湘南社」をつくりその社長となり、第1回衆議院議員選挙に当選し議員を務めた。ちなみにこのとき議員になった顔ぶれには中江兆民や植木枝盛、さらには田中正造もいる。
 ここの特徴は膨大な資料だけではない。今日は建物の外側を見ただけだが、現に山口さんが住んでおられる家自体が湘南社の講学会の会場として使われ、その前は代官所であり、国の登録有形文化財になっていることを初めて知った。

 また山口匡一さんとの立ち話やあとからHPを見て知ったのだが、この雨岳文庫を会場にそば打ちや収穫祭や豆腐作りからお茶の作法体験、大山道ウォーク、さらには古文書講読会など、さまざまな世代が参加しやすい企画を進めながら、地域の暮らしや産業、文化の現在とこれまでを検証する活動が行われている。
 いわば自由民権運動を現代に再生する試み。梅の咲く頃にいらっしゃいと言われたので行ければいいなと思っている。

 その後facebookで 時々山口さんとやりとりしている。ただし、ほかの人も混じった断片的なコメントなので、必ずしも会話として成り立っているとはいえないので、そこはご承知おきで…。ただし、それによる、微妙なすれちがいの味わいがかえって面白いかも。

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自由民権と大山みち

 筆者 :自由民権運動が起こった明治の初めの頃はいまの東京都町田市も神奈川県で、人の往き来もさかんで横浜から丹沢、富士の裾野、町田…さらに多摩にいたるまで運動が互いに交わりつつ拡がったそうです。交通、流通が発達した現代のほうがある意味昔より地域格差、地域の孤立が深まっているともいえるでしょう。

 山口さん :現代は、世界中?都会中心の社会になっている。昔は農村があって、出会いの場所として都会があった。勿論都会の専従者(専住民)もあったが、大体の仕組みはそうなっていた。江戸と伊勢原や相模原などの関係もそうなっていたと思います。だから、都会の人たちは時々田舎に行って見たくなる。と、云うようなことではないでしょうか。

 筆者 :たしかに戦後の高度成長以前の都会は農村との太い関係を保ち景気の波や農業のサイクルにより農村に戻ったりまた出てきたりしていましたね。大山詣の場合は農村からもさかんに来てたんですよね。

 山口さん :確かに儀式として、おおやま参りの人がいました。お客さんの中にもいました。

 筆者 :少なくとも戦後の高度成長の前までは越谷のはずれの恩間新田という村では無尽をやっていて毎年大山への代参の男たちが選ばれ帰りの精進落としをみな楽しみにしていたと古老に聞きました。またこのへんの村の中には昔も棉屋とか鵜の調教師とかだるま造りとか、副業というよりそちらが主業の家もあり、彼らは仕事柄かなり広域の人間関係を持っていたようです。そんなベースが江戸期から各地にあり自由民権思想の流布にもつながったといえないでしょうか。
 

 山口さん :いろいろな情報を頂きまして有り難うございます。そちらからおおやまにくるにはどこを通ってくるのでしょうか?調布?八王子?それとも???? それと精進落としはどちらで?
 自由民権については、二つのタイプがあると思います。@武相困民党、秩父事件など、どちらかと言えば政局系と深谷・岡部や、神奈川西部の湘南社などのような政策派。戦後中国の郭茉惹(かくまつじゃく.字が怪しげですが)が政府の要人として来日した時、湘南社の福井準三の消息を調べたそうです。わけは『われ等は、周恩来なども、皆、福井の教科書で社会主義を勉強した』と、云う事であったそうです。つまり湘南社の人たちの考えたことは、『われ等、新しい農村をつくる』と、云う事であったようです。

 筆者 :こちらからですと新宿経由になります。精進落としはたしか江ノ島と聞いた気がするのですが…。戦後まもなくの時代です。
 鉄道のない時代の当地の大山道は調布経由のようです。ちなみに当地はあちこちに富士塚が残っており不二道が盛んだったようですが、不二講と大山講の関係はどうだったのかなと思いました。

 山口さん :大山講の話。大山野先導師達は、関東一円(群馬や埼玉にも)講の領地があり、昔は、2月頃は、講中に挨拶に廻っていました。
 富士みちは、大体昔の官道で足柄峠を越える昔の東海道だと思っています。江戸末頃の大山道の一つ、青山道として使われていて、私のところからは富士道と呼んでいました。
 
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  また、原発に関わる一連のやりとり。

原発のない暮らし
 

 山口さん :原発については、私はこのままではやっていけないに決まっていると、主張します。理由は、どんなに制御をうまくやってもゴミの捨て場は限られていて、放射農が減衰してゼロになるまでには、捨てる地面がなくなってしまうからです。そもそも、原発はなぜこんなに使用が拡大したかと言うと、地球の面積に対して、人類が異常に増えすぎたせいです。私が子供の頃には地球上に20億の人口はいませんでした。それが今は60億を超える人口で、、このようなわけで科学技術も異常に発達して、原発のようなものを生み出してしまいました。今は原発反対は叫んでいるが、一方では経済の事情からか、少子化を止めるべく、もっと云えば人口を増やすべく運動をしている有様です。こんな事では、原発は止めても化石燃料をどんどん燃やして地球の陸地をどんどんへらし、オゾン層を破壊して、宇宙からの放射線をどんどん増やす事になります。勿論循環型の生活も考えていただかなくてはなりませんが、少しでも人口を減らす努力をしなければなりません。大体人口が増えなくてはやっていけない近代経済とは何者でしょう?われ等が進めてきた近代経済とは何だったのでしょうか。われ等が昔を懐かしむのは、昔の惨めな生活を懐かしむのではなく。昔のもう少ししぜんに、地球に優しかった生活・文化ウをなつっかし苦思うのではないでしょうか。長くしゃべったので、あとは別便にて・・・・・

 山口さん :前便の続き:昔戦後の頃広島の人たちで被爆の事を種に、差別された人たちがかなりいたようです。われ等は、仲間に優しくない、福島の放射能を含んだ廃棄物、含んでいなくても、これらに対して、冷淡です。みんなが廃棄物を嫌がります。福島から出たのだから、福島の人に押し付ければよいと言う事でしょうか。少し筒でも自分のところで引き受けてやろうと言う期などないのです。家内は、あなたが先に死んでよい順番の人だから、それで良いでしょうけれど、人口も減るし。などと言います。でも、一掴みずつでも鉛の神に包んで、我が家の庭にもいけてあげたいと思っています。ちなみに、私はそんなに他人に優しい人ではありませんが。

 筆者 :化石燃料から原発へと莫大なエネルギーを消費してきた近代産業社会の生活、また少子化という人口論としての社会観の問題については、山口さんの書かれている通りだと思います。また福島だけが当事者でなく私たちも当事者なのだということもそのとおりでしょう。ただ「私たち」の中にはお連れ合いがおっしゃる通り、まだ人生を始めて間もない子供たちもいます。福島から避難してきている家族もいます。さらに、除染→復興という路線を進めながら原発再稼働へ突き進もうとする動きも問題です。悩みながら迷いながら一緒に考えつつ動いてゆくしかないと思っています。

 山口さん :ま、私としても、現実論としては、山下さんのおっしゃるような線で、振舞っております。

 山口さん :上の続き: どんなに振舞うか。私は上記のように地球に対し後ろめたい気持ちが、多少は、あるので、また、宮沢憲治やグスコーブドリのように自分の身を捨てるほどの度胸もありませんので、地球に申し訳のないくらい増えてしまった人類としては、これ以上増えないように努力する一方、お互いに仲良く譲り合って生きてゆく。そちらのおやりになっているような心持で、強者が他を蹴落として生きるのでなく、互いに仲良くやっていく道を、われ等人類はその行き方(文化)として選択してきたと思っております。また、お釈迦様もおっしゃるように、他の生物の生命を奪って食べるのは、本当に食べるためだけにして、生命を奪った以上は、よーく食べてやる。雑草を取るのも必要最小限にする。消費期間が過ぎたものもむやみに捨てない。等は心がけるようにしています。  それに、終夜営業のコンビになども夜中には我慢する(店長は人件費を考えれば閉めたいと思っている)。など消費の節約をする。  勿論遊びで狩猟はしない等、出来ることには気を使っております。


…といった具合で、山口さんとのやりとりの世界は広大無辺、縦横無尽で興味が尽きない。

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ゴチャゴチャと民権結社

 ここ数年秩父の城峯山などに登った帰りに石間交流学習館・秩父事件資料館に何度か立ち寄ったり、加波山に登って旗立石を見たり、かっての自由民権の地元に行き、イメージを湧かせながら本を読んだりしてきた。しかし、こんなふうに自由民権に縁のある人と直接話すのは初めてだ。

 あらためていま、自分がなぜ自由民権に興味があるのか考えてみた。そして、たぶんゴチャゴチャと生きるというところに親近感を覚えているんだろうなと思い当たる。

 それともうひとつは、恩間新田の故・新坂姉妹の亡くなったお父さんやおばあさんの話は、現在からしばしば明治のはじめまでつながってしまう面白さがあったからかも。
 たとえば、「自分が子供の頃、チョーヘーサンと呼ばれている大人がいた」とお父さんの話。徴兵令はそれまでの暮らしを根底から破壊しかねない命令だったから、逃げてずっと身を隠していた人がいたのだそうだ。
 おばあさんはきょうだいが多く長女だたtので、ずっと「守っ子」をしながら学校へ行ったので、読み書きもほとんど覚えなかった。学校という平均的な知識や身振りを注入する場ではなく、一人ひとりが暮らしの中で学ぶ寺子屋だったらちがったかもしれない。

 そんなことを考えながら、色川大吉著「自由民権」(岩波新書;1981)を読む。
 「在地型の民権結社は…(1)学習運動 (2)相互扶助 (3)勧業・勧農 (4)政治活動 (5)愉楽・享受 (6)交流懇親 の6つのはたらきを内在しているものと整理できる。…民権結社は一般的には未分化のまま存在することによってダイナミズムを生み出していた点に特徴がある。」
 「これを簡略に表現すれば、『学ぶ』 『助ける』 『稼ぐ』 『戦う』 『楽しむ』 『開く』ことによって、人間の全体性の実現をめざす新しい結社だということになる。」

 著者は「未完の文化革命」とまとめている。だとするならば、その課題はいまも生きているのだ。

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