共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS GO GO モンスター ひと昔(10余年)前の「共に学ぶ」をふりかえる

<<   作成日時 : 2013/01/12 23:44   >>

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松本大洋のマンガ「GOGOモンスター 」。2000年に出た本。http://www.shogakukan.co.jp/comics/detail/_isbn_409179341X 2001年に筆者が書いた活動日誌にこう書いてある。松本大洋の新作マンガ「GOGOモンスター」の主人公は立花雪という小学3年生の男の子。彼が4年生になるまでの1年間のストーリー。雪は学校の中に存在するらしい「あっちの世界」を感じる。「あっち」には忘れ物を届けてくれたりするトムテ的な存在や邪悪なトロール的な何かがいるらしい。「あっち」が侵入してくる危機を感じているのは彼だけなので、クラスでも変人扱いされている。雪自身の中でもその鋭い感覚が次第に薄れ「大人になって腐っていく」という予感がある。雪と付き合おうというのは学校の中でも3人だけ。いつも箱をかぶっていて、「自閉」を砦に「来るべき秋」をうかがっているIQと呼ばれる上級生。雪がいつも花の手入れを手伝いに行く用務員のおじさん。そして、雪に畏怖を覚えながらも魅かれながらつきあい続ける同級生のマコト。絵の中には学校の日常が延々と描かれ、怪物も超能力も登場しない。モンスターはどこにいたのか?どこにもいなかったのか?―値がはったが傑作だ。

 こうした感性をひきずりながら、いまから一昔前の当時、「共に学ぶ」をどう考えていたのか?その時といまはちがっているのか?ちがわないか?その日誌をさらに読んでみる。

 今日のTOKOはいくつかの事件報告。まずRさんの県立H高に入った次男が通学途中で中学の1学年上で私立高校に行っている先輩に電車から降ろされ、金を奪われた上わいせつ行為をされたという。もちろん両親が相手の家に怒鳴りこんで本人から調書を取り、金を返させあやまらせた、とはいうものの。相手の家の町内の自治会長も来て、この子はこれまでもいろいろあって、退学になりかけたのを、自治会長が坊主刈りにしてともども高校にあやまり、何とか首がつながっているんだと話していたという。

 I さんは前回来た後、これまで親と二人で登校していたのをやめて、通学班で通わせるようにしたところ、この前急にひどいパニックを起こしどうしても泣きやまなくなったという。ついにお母さんが泣いてしまったら、びっくりしたのかパニックが収まったので、これからは泣きを入れるようにしようかなと話していた。

 Mさんからは、今朝N君が駅の階段ですれ違った女子大生の香水をぷんぷんと嗅ぎ続けてつきまとうので交番に連行され、1時間半絞られたという話。家にいたお母さんも交番に呼び出されたついでにTOKOへ。


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上の写真は、当時のTOKOおしゃべり会。越谷市役所の地下で。

 松本大洋の漫画で言えば、あっちの世界にモンスターがいるのか、それともあっちの世界もモンスターも、実はなんということのない学校の日常世界自体が、実はさまざまに異なる存在でひしめきあっているというひとりひとりの発見が生み出す白昼夢なのか。あるいは人と人の距離がどんどん離れてゆく実感の中で、すぐ身近な友達、家族、同僚、ご近所がとつぜんモンスターに変貌する不安な予感をみんながふくらませているということなのか。

 ちなみに「GOGOモンスター」というタイトルは、たぶん藤子不二雄Aの「怪物くん」のアニメに挿入されていた歌からとったのだろう。

 さらに当時の日誌。

 地域で共に育ち合い暮らし合おう交流集会in桶川。教組のメンバーが「地域の学校で共に」というのはわかるが、学校化社会から解き放たれることも大事ではといった意見を出した。Oさんが、ある人に障害のあるお子さんを普通学級に入れた方がいいのでは、と話したところ、地域の学校がそんなにいいところかしらと反論され、たしかにどこの学校に行くかは重要じゃないのかもと思ったと語った。

 Nさんは「学校よりも卒業してからどう生きていくかが大変な問題」と話した。最後に僕の番が回って来て、「地域の学校はいいところじゃないからこそ、あえて入って行くしかない。一人一人違うのだから、本人がそこにいない限り本人にとっていいところはできない」と話した。


 いろんな思いを温めながら、でもそれらをつきあわせながら行動し合う土俵を共有すること、一緒にそこにいることからしか、いつだって始まりようがない。その原点は今も変わらない。

 やはり当時の日誌。

 文科省の内部資料をSさんからKさんがもらってきた。就学指導が自治事務になり、就学指導委員会の法的根拠がなくなったため、それにかわる間接的な法の縛りをかけようとあせっている。

 就学基準を示すことは依然国としての責任なので、その中に無理やり縛り的な要素を入れ込む予定。すなわち従来の悪名高い基準を少し緩めつつ、「特別措置」というものをくっつけて、たとえばエレベーター等が学校にあれば車椅子でも地域の学校に入れてよいといったことを盛り込む。

 結果として、それ以外のケースはダメということ。従来はなかった学校・市町村の実情を盛り込むことで、結果としてそれらを判断し指導する就学指導委員会のようなものを自治体が置かざるをえないようにしようというくさい手法なのだ。
 

 いわゆる「認定就学者」の制度を盛り込もうとしていた時の情報。自治、自己決定を一定程度受け入れ、そのための条件を付けていく。条件付きであれ認められたことは一歩前進だと受け止めざるを得ない状況をつくってゆく。ただ当時も今も、一方では分けられた場へ振り分けてゆく対象がどんどん広げられており、とうぜんその指導を受け入れずに地域の学校へ行きたいと抵抗する親子も減りようがない状況があるため、例外的に環境が整った学校ならば認めるというこの制度は普及せず、なし崩されてゆく。下の写真は、埼玉県民の日で学校が休みになった日に、「(認定就学の制度を通らずに通常学級で学んでいる)僕たち違法人?」と題して国会、文科省、厚労省へ出かけた埼玉の親子たち。
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 どの子も事務局会議。文科省の学校教育法施行令改正の中身を分析。条文そのものを逐一読み合わせ新しい発見をした。学校生活上の安全と対人トラブルに問題のない子しか学校には入れないという施行規則の新条文案と、重複障害は無条件に養護学校という施行令での新たな強調が、大きな問題として浮かび上がった。

 また「特例」で地域の学校に入れる子を振り分けることにより、そのために市町村が振り分け機能を強化しなければいけないという「分権」を逆手に取った国家支配も。


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上の写真は当時の市教委との話し合い風景。

 Aさんから、明日明後日と子どもの権利条約に関する全国イベントのお知らせをいただいた。明後日は各省庁が出席する話し合いの場が開かれるので、学校教育法施行令改定問題もそういう場で提起すればいいんじゃないかと考えて、案内してくれているようだ。

 だが、世界は統合教育に向かっているのだから遅れるなという論理は、どうも危ういような気がする。

 世界という単一のものがあるわけでなく、互いに異なる歴史と文化を引きずる人々がいて、しかもそれらが国家という形をそれぞれとって、互いに結び付いたり排斥しあったりすることによって、結果的に世界が構成されている。

 国連レベルのこうした条約の多くは、大国の国益を代表する内容でありがちだし、その国益のベースにはそれぞれの国の社会が抱えている矛盾を外に転嫁しようとする意図がはらまれている。アメリカ式統合教育のメインストリーミングとかADAの背景には、「強いアメリカ」を復活させるためには「能力ある障害児者」はとことん国家のために働き税金を払う立場に引き上げようという戦略が見えている。

 施策・制度が成り立つ過程には常にそうした要素が伴うものなのだが、だからといって一面的に正しい、悪いと評価すべきというわけではなく、そこに織りこまれている人と人の関係を見据えて行くことが大事だと思うのだ。


 こんなことを10数年前に考えていたのだが、いまも基本線は同じだし、自治、自己決定を容認しながら、自治、自己決定を与えられた側のとまどいにつけこんで分けるシステムを拡大してゆく流れは前にもまして強まっていると思う。
 与えられた自由は人を不安にする。不安が不安を呼び起こす。人を人たらしめていた関係を奪われる。そんな状況の下にある学校的日常がGO GO モンスターなのかもしれない。

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