共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 埼玉流こだわりはいまもなお ― 15年前の共同連埼玉大会の風景

<<   作成日時 : 2012/09/09 21:49   >>

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 諸状況が筆者を久しぶりに共同連東京大会へいざなったため、前回このブログに書いたようなてんまつとなった。それで帰ってきてから、1997年の共同連埼玉大会のことを思い出し、毎日欠かさず書いている活動日誌を棚から引っ張り出して読んでみたら、実に面白かったので、ここに紹介する。15年前のことだが、現在にも通じると思う。冒頭の写真は、共同連埼玉大会で埼玉障害者市民ネットワークが担当したお化け屋敷。お化け屋敷のアルバムしか見つけられなかったので。以下、1997年9月6日(土)と7日(日)当日の活動日誌より。

 1997年9月6日の日誌より

 共同連の「総会」って? 
 17回も実行委員会をやったという共同連大会も今日が本番。午前中は共同連の年次総会だが、「私は共同連メンバー」と思っている人は、おそらく3分の1にも満たないのではないか。その中で決算、総括、方針、予算の報告が続く。まばらな拍手に斎藤懸三さんもがっくりのようす。

 「うろうろしている人」のことをめぐって
 午後のパネルディスカッションでは、雄太、良太やわっぱのメンバーその他「前でうろうろしている人」のことが話題になった。わっぱの斎藤さんは「こういう討論が好きでない人のために、オプションでレクリエーション(観光)をつくってくれと実行委員会に申し入れたが、そんなのダメ、埼玉流のゴチャゴチャでやるんだと拒否された」と発言。
 育成会の松友さんも、「もしかしたら、その人に応じた援助なしに形だけ一緒にする『ダンピング』なのかもしれない。話されていることをわかりやすく『翻訳』するなどの援助も必要だったのでは…」と評する。
 会場のアンケート用紙には、「主催者はどう考えてるのか?私の学習権が侵害されている」と憤りの言葉も。
 C IL立川の高橋さんは、「別に気にならない。地域でも付き合ってるし。」と言い、糸賀さんからの「J ILの集会にはこのように知的障害の人が全然いず、整然と行われていることこそ問題では?」というツッコミに「来ちゃダメと言ってない。自分達が知的障害者を連れてくればいいのに、そうしないじゃないか。」と切り返した。
 終了後、国立職業リハビリテーションセンターの沖山さんに会ったら、「あのアンケート書いたの、私なんです。面白そうな情報がたくさんありそうなので、じっくり聴こうと思っていたら、いきなり横で奇声あげられてびっくりしちゃって、あれ書きました。でも、だんだん慣れちゃって気にならなくなりました。前で話している人たちは、いつもこんな状況で慣れてるんでしょうね。」とニコニコして、「明日も来ます」と言っていた。
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 ちなみにこの沖山さんには今春の定年退職と同時に、越谷市障害者就労支援センターの所長を務めて頂いている。不思議な縁である。

  お化け屋敷 
 お化け屋敷は150人が参加するという盛況。入口すぐのノッペラボー風のお化けは哀切さが滲み、なかなかよいと思ったが、杉山さんだったと後で知り驚く。
その次のお化けは田中くんで、これも人懐こくてよいと思った。田中くんはV365の自己紹介カードにお化けの格好の写真を付けてきたからなんの違和感もない。
 人形を持って、「涙を拭いておくれよ」と言っているのは新座の車イスの若者だとすぐわかった。ロマンチックな線を狙ったらしい。

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 くまのベイカーズの柘植くんの「弟分」のお化けは、ドリフターズっぽく、隣の棺桶の幽霊に「指示」したりしているところもユーモラス。
 布の上に音のない映画が流れているのは、「日常」の一部だけがすっぽり欠けた風景で、「なにかがちがう」という効果を狙ったものらしい。
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1997年9月7日の日誌より

北村さんたちと呑む
 昨夜は交流会で北村小夜さん、なまずの家、大田I KJメンバーといっしょに呑んだ。北村さんは、ぼくがパネルディスカッションで会場から発言したことにからんで「スウェーデンの親たちに『特殊学級に行くとか決めるのは誰?』と訊くと、『コミュニティが決めてくれる』と答える。将来にわたってコミュニティの中で生きていくことを考えるとそれがいちばんいいと思うんだろうね。」と言っていた。
 なまずの家の倉林さんは、「八木下さんは元気ですか?」と訊き、あいまいに答えていると、「昔、小学校に行くと聞いたときにはほんとに驚きました。あれで就学運動が始まったようなもんですものねえ。」と言う。そして「でもそんなに闘ってる人が登校拒否になったと聞いた時にはまた驚きました。あれも登校拒否のはしりですよねえ。」と続ける。
 北村さんが「中学に行かないのも、なんかへんな理由をあれこれ言ってねえ…」と言ったので、ぼくは「つっぱっているけれども、意外に弱いところが出てしまうというのが、彼のいいところかもしれないねえ」と話す。
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  「人格」と「関係」

 午前中の分科会は、人権保障のところに参加する。滋賀の佐野さんという障害者が「オンブスパーソン」を名乗って、「サングループ」の事件で企業、行政等の責任を追及している。日弁連の児玉弁護士は、権利法、差別禁止法への取り組みを提案する。ぼくは、「つぐみ部屋」の例を示しながら、地域で一緒に生活しつつ迷い合う関係が一番大事であり、そこを離れたところで「これは人権侵害だからやめろ」とか、「これが人権保障だ」といった風に判断を下されかねない今の行政の「権利擁護機関設置」の動きには危機感を感じていると話した。
 東京の養護学校の教員も「ただでさえ消極的な教員たちの職場開拓・一般就労への動きがもっと弱くなるのでは」と懸念を表明する。また、狭山のペンギン村の若い障害者二人の話もなかなか聞かせた。
 佐野さんはそれでも「いまが差別禁止の流れを作るチャンス。行政の意図は違っても参加して変えてゆけば…」と楽天的。ぼくが首をひねっていると、「えーがっくりしちゃったよ」、「なんでよ」と言う。
 斎藤さんと似て、盛り上がらない雰囲気には非常に傷つくらしい。
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わらじの会発足時に参加した「障害者奴隷工場・大久保製壜闘争」 。わらじの会会計をずっと務めている平野さんが自立に向かってはばたく家準備会初代代表・押田さんを介助して参加。こうした組織的な大工場による差別と小さな町工場の差別と共生のしがらみとは区別されるべき。


 良太、和くん
 午後のセミナーはNPO法案のところで猪瀬夫妻と一緒になる。良太が出たり入ったりしているが、「今日は門のところで有山さんが見張っているから大丈夫」と佳子さん。「あいつ、出てゆく時は背筋をぴんと伸ばして、まるで障害がないみたいなふりして歩いてゆくんだよな」と良一さん。
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 そういえば分科会の部屋は違ったがやはり以前よく新幹線に乗って行っちゃったりした後藤和くんとお母さんを見かけた。所沢の問い直す会の会報によれば、お母さんと一緒にいまライブハウスを「経営」しているという。お母さんがコンビニに一人でお使いを頼む。頼んだ物はまだ買えず、いつも「ゼリー」だが、必ず帰ってきているという。 
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15年前の共同連埼玉大会の報告は、当時の「ネットワーク情報」(埼玉障害者市民ネットワーク)にも詳しく書かれていて、これも面白いのだが、長くなるので今回は割愛。ちなみに今回の共同連東京大会にも二日目の分科会の時間帯に、「社会的観光『東京タワーから東京スカイツリーを見てみよう!』」というプログラムが盛り込まれていた。

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