共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS 異交通・ボランタリー・しがらみ ―外なる境界 内なる境界(ボランティア学会北浦和大会を終えて)

<<   作成日時 : 2012/07/07 16:16   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
6月30日、日本ボランティア学会北浦和大会で、「境界対談 : 境界を生き抜く―自立するでも、管理するでもなく、せめぎあう 」に、橋本画伯、田口由利子さんと組んで登壇してきた。結論的には、「久しぶりに初心に戻った」。その2週間前の越谷らるごの学習会、さらにその前の週の八障連のスペシャルフォーラムという一連のお招ばれ企画を含めて。

画像
初心とは何だったか?衝撃であり、闘いだ。しかも、大事なことは、すべてが思い違いから始まったということだ。つぐみ部屋の住人達が「取り残された悲惨な弱者たち」から「文化の伝承者」に変わり、「取り残された人々を街へ連れ出すボランティア」だった筆者らが「くわの使い方一つ知らない半人前の奴ら」に変わるまでに何年もかかった。

画像

 それに、闘いといっても八つ当たりであったり、自爆だったり、まぐれあたりもあるし、こっけいだったり、悲しかったりもする。「克己絵日記」(橋本克己著 月刊わらじ編集部編 千書房1995)に描かれたそのドンキホーテのような世界を、対談の相手である栗原彬さんは「異交通」と呼んだ。

画像

 「ほとりに立つ」(栗原彬「ほとりに立つこと―『遠人愛』をめぐって」 「3.11を心に刻んで」岩波書店2012所収)、「境界を生き抜く」とは、異交通の中で棒立ちになったり、うろうろし続けることと受け止めた。

画像


 異界との境に立ち、異交通にもみくちゃにされているうちに、その異界によって自らが背にひきずって生きている世界が照らし返されてくる。境界に立っていなかったときには、運命や世間や日常としてやむをえずひきずっていた自らの世界の中にも、実は無数の内なる境界がひしめいていることが現れてくる。その内なる境界を生きることもまた、よそから見たら面白いことなのかもしれないと、つぐみ部屋の住人たちや橋本画伯やユリ語を駆使する由利子さんは感づいたのだ。

このところを、筆者はかって次のように書いた。「分けられたことによる断絶の深さは限りないものがある。しかし、分けられた地獄の底にも希望はある。その地獄を自らの生の証としてひきうけ、世界に投げかけてゆくならば、世界が変わることはないかもしれないが、困惑、混乱をもたらすことは可能ではないか。」(わらじの会編「地域と障害―しがらみを編み直す」 現代書館2010)

画像

自分にとって災難だったり、不当なことだったり、でたらめだったり、つまらなかったりすることが、他から見たら面白かったり、悲しかったり、驚きだったりするらしいという発見こそ、新しい交通でありアートの源になる。

画像
 境界対談の後に行われたグループトークに登場したアサダワタルさんの「日常編集家」としての仕事は、この「内なる境界」ツーリズムの提案といえようか。

画像
 「外なる境界」に立ったことをきっかけに、総合養護学校をつくる会は地域の学校から排除されようとする子どもたちという「内なる境界」と対面し、筆者と連れ合いは耳鼻科診療所兼住居をつくるときにアサダさんの言う「住みびらき」により黄色い部屋をつくり、その後の地域=区域(しがらみ)を編み直す一歩を踏み出した。

 
画像
栗原さんが語られる「新しい親密圏からの公共圏の直立」とは、格子のない座敷牢とすら見えた恩間新田の人々の関係が、灰色の巣箱と見えた武里団地の人々の関係とぶつかりあい、せめぎあう中で恩間新田の中に分家や相続代わりという形で共同住宅や活動拠点ができ、ムラの人たちとも新たな関係を紡ぎ始めた過程にも該当すると思う。

画像

 と同時につぎのことは強調しておきたい。初心について述べた中にある思い違いの重要性である。それは他者に対しての思い違いだけでなく、自分に対しての思い違いでもある。これまで自己決定の下でボランタリーに行動したと思っていることが、実は阿部謹也氏のいう「世間」(過去のブログ参照 http://yellow-room.at.webry.info/201010/article_4.htm )lによってあらかじめ決定されているのかもしれないという認識を、いやおうなしにつきつけられてきた。だからだめだというのではなく、ボランタリーとはこうした思い違いの結果をつきつけられ、挫折や驚きをくりかえしてゆく過程であると腹をくくる必要があろう。そして、その足場は生活であり、日常であり、地域なのだということ。わらじの会では、いまはなくなった日本青年奉仕協会(JYVA)から20年間にわたり1年間ボランティア(V365)を受け入れてきた。ボランティアと受け入れる側が、思い違いしながら、それゆえに新しい関係を編みだす過程が毎年繰り返された(矢野陽子「まいにち生活です」はる書房1991)。

画像

 グループトークの最後に会場から質問があった。脱原発の運動が全国的盛り上がりを迎え、自分もその輪の中にいるが、同時にわらじの会のような地を這う営みがそこに飲みこまれていってしまうのではないかとの危惧を表明された。いい質問だと思い、終了後質問者とすこし意見交換した。筆者はこの質問の中に、外なる境界と内なる境界の関係が示されていると感じた。

 原子力ムラがつくってきたアメニティと安全・安心神話の社会が、震災と原発事故をきっかけに問い直されている。とはいえ、神話は単に原子力ムラだけでなく、私たち一人一人がそう思い込むことによって形作られている。だから神話は解体されても常に生活の底から再生され続ける。運動はたとえ勝利しても裏切られる。運動が盛り上がれば上がるほど、敗北のダメージも大きい。その廃墟の中から、人は常に初心に、すなわち生活に、日常に回帰してゆく。かって埼玉に来ざるを得なかった自分もそうだった。そういうことを伝えられただろうか。
画像


 ボランタリーとは思い違いの繰り返しの中で「ほとりに立つ」ことであるとすれば、自己決定、意識的行動といわれる過程も、阿部謹也氏の「世間」、筆者のいう地域=区域の「しがらみ」によって決定され、無意識的に行動する過程の一部であると見極めるしかないのではないか。だから、体制に流されたり、よく考えずに行動することとボランタリーな行動の間に越えられない谷間を築いてしまうのではなく、行ったり来たりしながらせめぎあえる、いいかげんな「間」(ま…栗原さんの言葉では「目地」)がほしい。この前の筆者のブログ(「しょうがないじゃん。そこからしか始まらないんだから―「障害児」の高校進学全国交流集会へ」 http://yellow-room.at.webry.info/201207/article_1.html ) はそのことを念頭におき、ボランティア学会の「東京の果て、東北の始まり」をもじって「自立生活の果て 共に学ぶの始まり」として書いた。併せてお読みいただければうれしい。

画像

 30年前にスウェーデンのノーマライゼーションを切り開いてきた障害者たちに「私たちのような回り道をしないでほしい」と言われた。そのメッセージを受けたことと猪瀬良太くんらの「どの子も地域の公立高校へ」の活動に巻き込まれながら、「分けずに一緒に」にこだわってきた。
画像


スウェーデンのノーマライゼーションは、小さいころからの施設収容を基本とした隔離社会から徐々に地域に統合してゆく形での「あたりまえに」だった。それに対し、猪瀬良一さんの「あたりまえに差別を受ける」という名言は、まさに「解剖台上のミシンとこうもり傘の出会い のように美し」かったのだ。

画像

 いま日本社会はいっぽうではアメリカをお手本にして「分ける」ことをさらに進めつつ、もう片方ではヨーロッパをお手本にして「分けられたところから一緒に」の道を進んでいる。障害者総合支援法しかり、特別支援教育しかりだ。「分けられたところから一緒に」自体はまちがいではないが、それが「回り道」であること、そして徹底して取り組もうとすれば、「ほとりに立つ」「境界を生き抜く」覚悟が必要なのに、そうした開き直りがないため、現実にはさらにきめ細かく分けることを支えてしまっている。

 ほかにも感じたことはたくさんあったが、今回はここまで。そして、以下出会った人たちの一部だけ。

画像
 初めての方々との出会い。「アートでまちを再発見」といった活動を評価され、ぜひ保育の現場を担う予定の卵たちにそれを伝えてと言われ、福祉系大学で教えるようになったが、実際には資格取得のために必要な知識を教え込むだけで、本来伝えたいことを教える時間もとれないという教員の話。反原発経産省前テントの主の椎名千恵子さんがデモの代わりに踊りで警官隊をしりぞけた話。グループトークではほんの一端しか語る時間がなかったが、経産省テントにたどりつく以前の宮城県丸森町の「山里刻」や福島県梁川町の広瀬座保存運動の頃の椎名さんのことも知りたかった。
画像

 浦和北ロータリーの方々の、子どもの頃障害のある友達を縛って木から吊るしたのを忘れて家に帰ってしまい、あとから気がついておろしに行ったら泣いていたという思い出や、中学生のころ家の近くの精神病院の患者が木に縄をかけて首つりするのを遠くから見て110番したが手遅れだったという思い出は、差別が特化されずよく見えていた時代の証言として聞いた。こうした日常世界の語り部がどんなに貴重なことか。

 ボランティア学会北浦和大会に関わった方々、参加されたみなさん、どうもありがとうございました。

 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
異交通・ボランタリー・しがらみ ―外なる境界 内なる境界(ボランティア学会北浦和大会を終えて) 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる