共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 特殊学級から半世紀後のリベンジ Oさん定時制高校合格 

<<   作成日時 : 2012/04/06 01:01   >>

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後半で紹介するのは、「誰もが共に生きる地域をめざす ぺんぎん村」(さいたま市)発行の「ぺんぎん村ゆうびん」3月号の記事。文中の「デイケアわくわく」とは、ぺんぎん村関連の通所施設。通所メンバーは、定時制高校出身者が多い。

 下記のOさん(冒頭の写真で合格祝の花束をもらっている男性)は、地元浦和に戦後設置されたばかりの特殊学級に組み込まれた、いわば埼玉県の特殊学級草分けの生徒といえる。

 「特殊教育百年記念誌・さくら草」(特殊教育百年記念埼玉県心身障害児教育振興会)によれば、この特殊学級の教育は当時全国的にはやっていた「青鳥中学校方式」といい、「一般教育の通念とする教科学習を子どもの生活の中に昇華させるという形で、それを生活教育と呼び、また精神薄弱児の社会的自立という具体的目標に関連させて職業的生活教育と称えていた。」とある。

 何やら高尚な教育理念があるように錯覚するが、Oさんが中学校で「植木屋でのみずやり、竹細工、長靴の加工、などなど毎日作業ばかりだった」というのは、まさにこの「職業的生活教育」だったわけである。「愛される障害者づくり」という言葉もあった。

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 ついでに言えば、元青鳥養護学校校長だった宮崎英憲氏が委員長を務めた埼玉県特別支援教育振興協議会(上の写真。2003年の特振協でマイクを持って「共に学ぶ」を訴える社団法人埼玉障害者自立生活協会の武井英子さん。しかし、委員の圧倒的多数が教育局関係者だった。)で強引にGOサインを出して設置した高等特別支援学校の位置づけは、上の「職業的生活教育」のリバイバル版といえる。以下は、県議会での教育長答弁。

 「県といたしましては、さいたま桜等の高等特別支援学校に入学した生徒を、確実に就労に結びつけられるよう取り組んでいるところでございます。
 具体的に申し上げますと、まず社会で自立した生活ができるよう、礼儀や明るいあいさつなど社会人として基本的な習慣を身につけることに力を入れております。
 その上で、ビル清掃やパン作りなど実社会ですぐに役立つ実践的技術を実習で習得させるとともに、生徒の実態に応じた就労先を積極的に開拓しております。
 今後とも、こうした高等特別支援学校の教育を充実してまいります。」

 幸か不幸か、時代状況が大きく変わり、この高等特別支援学校は、県立高校全日制よりも合格が難しいといわれるほど、学力の一定以上の軽度知的障害や発達障害といわれる生徒が入学しているところが、Oさんの時代の特殊学級とは異なる。しかし、教育長の答弁を見れば、やはり昔と同じだ。

 Oさんの時代は、普通学級でも高校へ行かず、中学を出てすぐ就職する子がおおぜいいた。しかし、いまの高校は準義務化といわれるほどほとんどの者が行き、青春の試行錯誤や迷い・悩みを通した人生の峠のような位置にある。100%に近い人々が通過する世界から遠ざけられるという意味では、やはりかってのOさんと同じ運命を背負わされて社会に送り出されてゆく。

 そして、下記の文中、Oさんが特殊学級出身者であることがわかったとたんに、教頭の態度が一変したことに示されるように、目の前の本人がどうあれ、障害者は特別な世界で生きるべき存在という先入観は、「ノーマライゼーションの理念に基づく教育」(埼玉県教育局)の下、前にもまして強まっている。 

 まさに半世紀を経て、復活した「愛される障害者づくり」。そして、「就労100%」を売り物とした高等特別支援学校を頂点として、特別な教育の場に分けてゆく教育が、急速に肥大化させられている。

 Oさんは50年たって、ようやくリベンジを果たしたが、いま肥大化した別学コースを通って続々と社会に送り出されてゆくOさんの後輩たちは、いつかリベンジの瞬間を得るのだろうか?

おめでとう!定時制高校合格です

 中学校の特殊学級を卒業して、50年近く一般の会社で働いて、定年を過ぎて体を壊して 退社。毎日家に一人でいるのも、と市の紹介で デイケアわくわくに通い始めました。

年の離れたデイケアメンバーの中で、みんなより率先して なんでもやってくれ、メンバーの話を聞いてくれ(聞きすぎて ご本人が混乱してしまうこともありましたが)職員顔負けの動き。にご本人も 自分の立ち位置に戸惑っている様子がうかがえました。

 埼玉市民ネットワークの合宿に参加し、「学校」の分科会に 偶然参加したことが きっかけでした。

 小学校3年の2学期に、普通学級に戻れるよと言われて特殊学級にうつったこと、いつ戻れるかと期待してたけど戻れなかったこと、先生が変わったら全く勉強を教えてくれなかったこと、中学校では、植木屋でのみずやり、竹細工、長靴の加工、などなど毎日作業ばかりだったこと、九九も途中までしか教わっていない、英語は全然やっていない、など、私たちの前では 問わず語りで 話してくれていたことを、ネットワークのみんなの前で話したのです。

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(写真中央がOさん。昨年のネットワーク合宿で。)

学校で全然勉強をしてこなかったから、勉強したい、とも話し始めました。

 定時制高校の卒業を巡って いろいろあったメンバーがいたこともあり、学校への関心は 深まるようでした。定時制に行けば、給食があるからOさん一人で寂しい夕食じやなくていいよねなどと周りは呑気に話していたのですが・・・

ヨシっと、去年の4月浦和高校へ今から入学できないか問い合わせたところ、年度途中は転学者しかダメと言われ、秋。Oさんに 定時制高校のこと、Oさんは20歳をすぎているから、教科の試験はなくて、面接と作文の試験
だけあること、定時制は 若い人ばかりが行っているわけではないことなど話して、受験してみる気はないか確かめたのです。

やってみますよ、と Oさん、まずは 定時制高校を見学に行ってみたのが12月。
 対応した定時制の教頭は はじめは 年上の人が入学すると、若い生徒にもいい影響がある、若い子と一緒の体育は大変だから配慮する、修学旅行もあるし、定員にならないから(入学できる)、などと前向きの発言。

最後に 何か質問ありますかと聞かれて Oさん、 特殊学級をでたので、勉強らしい勉強をしていないと話し始めた途端、教頭の態度が変わりました。入ってから大変、年配の人で卒業したひとの話を聞いたことがあるが、家庭教師をつけていた、二度留年すると卒業できない、通信へ行っては?などと。
             
帰る途中Oさんは 家庭教師はいくらかかるのか?と聞いてきました。しばらく、Oさんも迷っていたようです。

本人が行きたいのなら、応援するわけで、落ちることもあるかもしれないけど、受験するか確認したところ、だめでもやってみますよと。

 まず、英語が全くわからないわけだから、最低アルフアベットを知らないと、とかんたんな英語のテキストを買ってきて、Aから ひとつずつ勉強し始めました。今年に入ってからは、「実戦」にむけて、作文の書き方の練習。そして願書に添える 「志願理由書」の内容。

そして最後は面接の練習。

試験というものを受けたことのないOさん。練習した作文のコピーをもっていっていいの?と聞く。だめですよ カンニングになって。落ちちゃいます!といったコントのようなやりとりもありました。

 とっても緊張して受験を済ませてきたOさん練習してたような作文を書いて、さいごに浦和高校定時制と書いてきました、と。ここまで勉強したいという意欲を無視できないはず。


 Oさんも高等特別支援学校卒業後就職してゆく生徒たちも、就労という形で社会に参加しながら、職場でも地域でも、その孤独ははかりしれない。Oさんは半世紀たって、就労からある意味排除されたことをきっかけに、他の人々の生き方と出会い、さまざまな人生があることを知った。

 生きづらい世の中、疲れ果てた者が緊急避難し特別な支援を受ける場を否定はしない。 しかし、その支援は多かれ少なかれやはり生きづらい状況を抱えている他の人々と、あたりまえに一緒に生きるための支援であるべき。「普通学級に戻れるよ」と言われた約束を、Oさんはいまも忘れない。分けられた場で支援を受け続けることにより、人生そのものが分けられてきたOさん。支援のありかたが根底から問われている。

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