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zoom RSS 障害者運動「専従猫」の死 

<<   作成日時 : 2012/03/11 14:50   >>

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わらじの会と埼玉障害者市民ネットワークの活動拠点、さらに一時期は(社)埼玉障害者自立生活協会の事務所も置かれた「黄色い部屋」の専従職員猫・マエが、3月9日、県立高校入試合否発表の日に、その生涯をとじた(写真)。
マエはどのようにして専従職員猫となったのか?黄色い部屋の活動日誌NO.35に、90年代後半の猫をめぐる状況が、筆者によって以下のように書かれている。

 「家猫・野良猫・差別をめぐって」

 数日前から捨て猫らしき子猫(少年少女といった年かっこう)が2匹、耳鼻科の庭に来て、さかんにニャアニャアと食物を求めている。シマとロンの外猫2匹に朝夕給食サービスをしているぼくだが、この新顔2匹には一切食物をやらず、どちらかといえば追い払っている。
 
 差別待遇をしているわけだが、シマもロンも最初から食事を出していたわけではなく、水をかけたり、脅したりして、追い払ってきたのだ。それでもこっそり、あるいは猛々しくやってくる、それをまた追い払う……といったことや、内猫3匹とのけんかやすみ分けetc.の過程がこもごもあって、現在の関係に至っている。

 いま、新顔2匹は、シマやロンが後で食べようと残しておいた食物を横取りしているようだ。1匹はほかの家にも出かけている気配があるが、1匹は庭に放ってある空き家の猫小屋によく入り込んでいる。こっちはメスらしいので、このままいつくようなら避妊を考えなくてはならない。たとえ外猫であっても。

 生活ホームオエヴィスでも3匹子猫が寄りつき、入所者の新井さんあたりが餌をやったりしていたのを、「やっぱり捨てるべき」という話になり、新井さんとMさんでどこかに捨てに行ったという。その話がオエヴィスの入居者会議で出たのか、個人的なレベルかわからないが、「共同の場なのだから」というのなら、やはり「共同」で責任を取ってほしいものだ。

 「捨てる」といったって、いずれ捨てた先の近くにある家の人が同じ立場に立たされるのだ。追い払うか、他にもらい手を探すか、飼うか……。

 もちろん「共同」というのは一人一人から始まるのであり、みんなが同じ考えを持てというのではさらさらない。出会ってしまったことについては、なかったことにはできないというだけ。


 ここに書かれている「少女」と思われた子猫が、実は「少年」マエだった。きょうだいのボイが後に2年間異郷へ出かけた後帰還したほどの冒険家であったのに比し、マエは縁の下の力持ち的な性格で、その後の長い年月、黄色い部屋の歴史と共に生きることになる。
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上の写真は、この日誌が書かれてからしばらく後の「青年」マエ。

 同じ活動日誌NO.36の後のほうには、やはり筆者が次のように書いている。

 「元旦の11時ごろ、外猫に朝メシを配給していると、本田さん(当時くらしセンターべしみ施設長)が立ち寄り、「いまお七に食べさせてきたところなんだ」と言う(お七とはこの頃べしみに迷い込んできた七面鳥)。
 
 「休み中はメシを一回に減らし、かごから出すのも30分にしたんだけど、むくれている。」と言った後、「という風に見えるんだけどな。」と付け加えた。

 「ずいぶん猫が増えたな。みんな餌やってるのかい。」と訊くから、「みんな叩いたり、水かけたり、蹴ったりして追い払おうとしたんだけど、それでもうちの猫の餌を盗んだりして入ってくるから、やむをえず厳しい階級支配を布いて、食事を出しているんだよ。」と話す。

 「ここがグループホームで、こっちが一人暮らしの借家で、あれは巡回型で……」と説明すると、本田さんは猫につつまれた…いや狐につつまれたような顔をして去って行った。


 
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 上の写真は2000年秋、黄色い部屋でマエと至福の時を過ごす故・糸賀さん。糸賀さんはJILの事務局員としても活躍していたが、当時耳鼻科の駐車場内にあったケアシステムわら細工の専従職員という重責を担い、よく泣いていた。トイレを使うために黄色い部屋へ来て息抜きをしていた。彼女はせんげん台のアパートで独り暮らしをしていたが、越谷の生家は猫がたくさんいて、ずっと猫たちと暮らしていた。この写真の翌年、彼女は帰らぬ人となった。

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 この上の写真も同じ年。やはり耳鼻科の駐車場の一角で営業していた重度障害者職業自立協会の店・ぶあくの前で。店員の山本さんにねぎらわれるマエ。山本さんはこの年、お父さんを亡くしていた。

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 上は2006年のマエ。黄色い部屋で存在感を増した。

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 とはいえ、表舞台には後輩のテン(机の上)を立て、自分は縁の下ならぬ机の下のポジションを保ったマエ(上の写真)。2007年。黄色い部屋。

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 上は月刊わらじPRにも一役買うマルチタレントのマエ。2010年春。

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 上はもともと耳が聴こえず近年は目も見えなくなった橋本克己画伯のポスティング用チラシ折り作業を見守り。201年秋。

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 上はがんの手術をして昨日退院したばかりの同僚テンのケアをするマエ。2010年秋。

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 上は、2011年3月13日。大震災を経て、福島第一原発で水素爆発が起こる中、かめの水をゆっくり飲むマエ。11日の震災当日は筆者らが旅行から帰る途中で、マエ1匹で黄色い部屋の当直をしていた。

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 上は、こわごわと、でもかわいがりたい綾音さんに、緊張しつつもおとなしく撫でさせるマエ。2011年秋。

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 上は食事を摂れなくなり、水もほとんど飲めなくなって、体を起こすこともやっとになりながら、黄色い部屋周辺の巡回業務を行うマエ。亡くなる前日。

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 上はマエ最後の仕事。午前中はこういう態勢で黄色い部屋につめる。筆者も昔、黄色い部屋にギャッジベッドを置いて点滴を受けながら、自立に向かってはばたく家準備会の活動に関わったことを思い出す。昼休み、昼食を準備したり買いに行った人々が帰ってきて、呼吸をしなくなったマエを見た。

 ありがとう、マエ。多くの生と死が織りなす時代を、淡々と一緒に生き抜いてくれたマエ。

マエが逝って5日目。かって黄色い部屋で知的障害などさまざまな障害者が日替わりで電話番をしていた時代に、その電話番のサポート等をマエら猫たちと共に担っていたSさんが何年振りかで顔を見せた。彼女のおなかには新しい命が宿っているという。

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