共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 障害者雇用継続のための事業所の配慮・そして「終了支援」をめぐって ―沖山稚子さんべんきょう会

<<   作成日時 : 2011/11/17 01:06   >>

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 前々回のブログにご案内を載せた「共に働く街を拓くべんきょう会」が行われ、沖山稚子さんのお話をきっかけに、参加したみんなが近況を語り、感想や意見を出し合った。以下は、筆者が後日沖山さんにお礼を兼ねて送ったメール。
 なお、参加した方からのレポートとしては、ブログ「のらぺんのぺーじにようこそ」 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/norapen07 が面白いので、そちらもご一読を。

 沖山さんへのメール

 先夜はいろいろな立場からの反響が出され、それらも面白く感じました。日吉さん(職場参加をすすめる会運営委員・電動車いす使用・企業就労の経験長い)がいまの年齢になって、ようやく得られた、苦さ、辛さも含めて味わい深い人生だったなという思い★は、おそらく沖山さんも共有されているのではないですか。だからこそ、そのことも含めて、就労困難な人たちを応援しようとされてきたのだと推測します。
 
たしかに事業主の中には、西陰さん(職場参加をすすめる会運営委員・避難所一泊体験実行委員会事務局長)が例に挙げた「解雇ができないのでやめざるをえないように仕向ける」人もいるかもしれません。★★でも、それが奏功しなかったら、しかたないと腹をくくって、少しでも役に立つ働き方をしてもらおうと必死になるかもしれません。

 都内の中小企業の労組の元幹部の話では、その業界では強い組合といわれてきた組合が、いま会社そのものが危機に立つ中で、組合のネットワークをフル活用して、大口の仕事を取ってくる営業活動も併せてやっているとか。
 闘ったり、化かし合ったりする関係と、助け合い、一緒に生き抜こうとする関係とは、併存できるのですよね。

 先夜、山倉さん(越谷市障害者就労支援センター職員)が話すと思って、ふれなかったのですが、先ごろ八潮の町工場で働く発達障害の青年が直属の上司にずっとパシリを強いられ、その関係は日常化して、周囲も本人もその日常に慣れていたのが、ある事件をきっかけに本人が辞意を表明し、その事件は会社の迅速な対応により解決したと思われたのに、本人の辞意が固かったので、さらに調べた結果、日常に埋もれていた関係があらためて問題として浮上したということがあります。
 こうして、第2幕が上がり、これまで面倒見がいいとみなされていた上司を会社が降格処分することで、ようやく本人は職場復帰を了承しました。本人はその上司が自宅謹慎処分を受けると聞いた時、「○○さんがいないと製品が仕上がらない」と素直に心配していたと言います。
 新米を先輩が厳しく鍛えて仕事や作法を学ばせるといった町工場の伝統も、時代の変化とともに、また人それぞれの意識の多様性の中で、たえず重心が移動して行かざるを得ず、この事例はその一端だったのだと思います。

 私が「プロセスを知りたい」とべんきょう会で口にしたのも、「事業所が行った配慮」は、本人やその周りとの間の一連の「葛藤」の産物と思われ、その「葛藤」を具体的に明らかにし、状況の全体像を描き出すことが大切だと考え
たからです。
 産物としての「配慮」はたしかに「えっ!そんな事業所もあるんだ」、「そういうやりかたも意味があるのか」と、他の事業所等が参考にできるナマナマしさをはらんでいますが、そこに関係のダイナミズムが加われば、事業所だけでなく、本人を含むさまざまな立場の人々の役割が見えてくるのではないかという期待があります。

 ともあれ、いい刺激を与えていただいて、感謝します。


 ★ 日吉さんの発言要旨:
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 長年働きつつ、「地域で自立を」と運動しながら、でも自分は職場が変わるとその土地へ流れてゆくという生活で、実は地域に根ざしてというのがいちばん苦手で、やっといま越谷に10年暮らし地域ができたという実感。
 その前に群馬で8年間働いていた間に事業所の縮小や異動で、前はPCだけでよかったのがいろんな仕事をやらなくてはいけなくなり、まずいことになるなと思っていたが、やはり1年で首の骨がずれ手足がしびれてきて車イスになってしまった。重度化していく中でも、前の上司がいれば相談ができたろうが、相談相手もなく、手足がしびれ自力移動もできなくなった。子どもが手を離れたこともあり、少しここらで休息をとって北海道旅行でもと思って辞めたとたんに車椅子生活になった。

 若いころから、働くのは当然という気持ちがあり、働いていてつらいことも楽しいこともいろいろあり、体も壊れたが、いろいろやったなあと、ここまで来て、後悔はないという気持ちになった。車イスになった時はいろいろ恨みつらみもあったが、いまは苦い味、辛い味もあってこそ、味わい深い人生だと思う。オブラートにくるまれてぬくぬく生きるより、まるごと味わって、それが人生かなと。この年になり、体が動かなくなってきたからこそ、実感として思える。
 沖山さんの言うように、「下山」としての離職支援、終了支援もいろいろしていただきたいし、大事だけれど、「気の毒だったよね」と言われるより、しょうがないじゃないということで終わらせていただくのも、また大切だと思う。

 人間、年をとって、こういうことがわかるっていうのが、すばらしいと思う。沖山さんの話をお聞きしながら、一人の労働者としての障害者がリタイアしてゆく過程では、いろいろなマルチな支援が必要になるんだなということでは、気持ちの中ですとんと落ちるところがあった。

★★西陰さん発言要旨
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 解雇という形をとりたくない会社が、これまで自力で来ていた障害のある社員に、「誰かをつけろ」と言うことで、やめざるをえなくさせた例もある。越谷は小さな企業が多く、経営も厳しいし、地域ぐるみで考えてゆかないと障害者の就労もその継続も難しいと思う。その点は、特例子会社では手が届かないのではないか。地域という点から見て、特例子会社をどう考えたらいいのか。社会的観点から考えた時、とくに障害者の理解ということを考えた時の、メリット・デメリットを教えてほしい。
 
☆☆西陰さんの発言に対する沖山さんの答え

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 たしかに言われる通りの例はあると思う。昔、女性社員にボディコンの制服を着せ、若い人でないとやってゆけない雰囲気を作っていた会社もあった。また、何年働いても賃金も労働条件も変わらない、それがいやならお辞め下さいと辞めさせて、回転させている特例子会社もある。

 今回とり上げた特例子会社は20年以上の歴史を持っていて、主に製造業。全国あちこちからやってきた人たちが、そこで生活して働いている。地域に根差しているとはいえない。

 いっぽうここ5〜6年、わーっと広がってきた特例子会社は、サービス業、情報処理、介護事業などで、主にその会社のある地域と周辺の知的障害あるいは精神障害の人々を雇用している。かといって、それが地域に根差していると言えるかどうかはわからない。実際、越谷、草加にはまだないし。ただ、障害のない人も、働く場を探そうとすれば、すぐ近くの地域というわけにはゆかない。地域から離れたところで多くの人が働いている。でも、移動に制約がある場合は、やはり身近な地域が望ましいだろう。

 特例子会社の経営は、楽ではない。障害のあるかなりの数の人々が、長期間働き続け、高齢化して能力低下した、施設で作業している障害者よりもさらに重度化した人を、最低賃金で働かせている例もある。

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