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zoom RSS 「全員が親学級に在籍を」と主張するXさんへの返信

<<   作成日時 : 2011/11/16 23:56   >>

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TOKOのホームページを見て、メールを送ってくれたXさんは、小学校の教員。交流教育に疑問を感じておられる。「違う場所に環境があり、それぞれが、何かの機会で交わる」形の交流教育は、けっきょく分離教育だと断じ、「全員が親学級に在籍することを基本とする。そこで、例えば、子ども個々の学力にに応じて、特別支援学級で習熟度別に学習する。」と自説を述べ、筆者に意見を求めてこられた。以下は、筆者がXさんに送った返信メール。(なお冒頭写真は、月刊わらじ2004年6月号表紙より転載)

Xさんへの返信

「全員が親学級に在籍」ということの意味は

 「考えを聞かせてください」との件に関してですが、「全員が親学級に在籍することを基本にする」ということについては賛成です。ただ、その後のことについては、その基本を大前提にして、現在の分けられた教育の場をどう変えて行くのか、Xさんの言われる「学力の問題」だけでなく、総合的な検証、議論が必要だと考えています。

 「全員が親学級に在籍することを基本にする」ということは、障害や学習上の困難のあるなしに関わらず、みんなが地域の子どもなんだという前提から出発することだと思います。

「障害」を際立たせる社会、地域、家庭

 私はいま越谷市の障害者就労支援センターの所長をしていますが、最近増えている軽度の知的障害や軽度発達障害、さらには軽症うつや行動障害、統合失調症などと判定、診断されている若者の中には、親が失業して借金を抱えたり、離婚したり、そしてギャンブルや薬に依存したりして、家族内での対話がなかったりDVを受けたり、そして孤立して不登校になったり、いじめを受けたり、万引きを繰り返したりといった、社会、地域、家庭の厳しい状況をひきずっている者がかなり多く見られます。
 いっぽう、そのようにドロップアウトせず、なんとか持ちこたえている家庭の状況も、外見はきれいな家に住み、両親もそろっていても、家族はバラバラで対話もなく、近所づきあいもないという状況が多く見られます。

 子どもたちの障害や困難といわれるもののかなりの部分は、声のかけあいがない、手を出しあうことがない、顔と顔がつながらない、このような地域、家庭の状況から生じていると考えざるをえせん。
 もちろん疾病とか生得的な機能障害がある子もいますが、それが社会的困難として際立ってくる背景には、地域社会の激変の波に翻弄される家族のありようが大きくあると思います。

 少し前まではひらがなかカタガナしか書けない大人がけっこういましたが、みな仕事を持ち、家庭をもち、村での役割を担って、次の世代を育てていました。こだわりの強い職人や他の人とめったに口をきかない変わり者も、一緒に暮らしていました。そういうおじいさん、おばあさんに、たくさん会いました。障害者と呼ばれる人々も、そんな風に共に暮らしてゆける地域になればと思います。

 いまの地域社会では、一戸建てにしろ、マンションにしろ、構造上も隣は何をする人ぞという感じになっていて、他者と暮らしや思いを分かち合う関係は稀で、たまに境界をこえると誤解が生じたり、プライバシーを第三者にばらまかれて被害を受けたり、けっきょく当たり障りのないつきあい以上には接近しないようにというブレーキが働いてしまいます。子どもたちも同様で、親友だと思って悩みを打ち明けても、打ち明けられた方は困惑してしまい、他の子に話し、裏切りだとかいじめだとか、制御しきれない展開になりかねず、またそうなりかねないからとマジなつきあいは
避ける習慣が身についています。

 それぞれの場で、その場のしくみにあった目立たない行動をいかに守れるかということがこれまでになく重視され、可もなく不可もなくドラマもなく与えられた場の役割がこなされるようにという雰囲気になっています。だからこそ、そこにはまりきれない子どもが軽度知的障害とか軽度発達障害として、新たに問題化されてきたのだと思います。また、無理してくぐりぬけてきた子どもが、後に軽症うつ等の状態に追い込まれることもかなりあるのではと推察します。

通常学級・地域社会のありかたこそ

 だから、私は「特別支援学級のありかた」というのは「通常学級のありかた」、「地域社会のありかた」の反映であると考えています。「全員が親学級に在籍することを基本にする」が、その後のことはそれからだというのは、そういう意味です。

 ただ、私は、人はさまざまな他者を前提にしてしか生きられない存在だと思っています。いま大人も子どももできる限り他者との関わりをほどほどにして生き、働き、学ぶことを強いられており、また自らそう心がけていますが、だからこそその奥底ではなおさら他者との付き合いに飢えているのではないでしょうか。

 今回の大震災の中で被災地の人々が示したつながりも、全国からの支援の輪も、そのことを示唆しています。被災地の人々の示すつながりは、これまでの生活や職場の日常が崩壊した中からあふれ出てきたエネルギーであり、全国からの支援の輪は被災地の崩壊を自分達の日常の崩壊の予感と受け止めての結集であったと思います。

 「全員が親学級に在籍することを基本にする」ことは、文科省の教育施策の根幹にふれるものであり、極めて困難な課題であると思いますが、それが実行されたら、これまで障害のある子、学習困難な子を別の場に分けた上で成り立ってきた通常学級のありかたが問われるでしょう。また、子どもたちの孤立を生みだしている家族、地域のありよう、職場のありようも問われざるをえません。

 そのプロセスはたんに行政や政府が主導できるものではなく、これまで別々のところにいて直接向き合うことのなかった子どもたち同士が日常を一緒に過ごすという衝撃と困惑、発見からスタートするのだと思います。TOKOには、就学支援委員会で別の教育の場が適切と勧められたけれど、みんなと一緒にと通常学級に学んでいる子が昔も今もおり、そういう衝撃と困惑、発見がたくさん報告されています。
 TOKOで報告される子どもたちや、親たちや、担任や学校関係者のささやかな変化が、一斉にあちこちで生じたら、ほんとうに地域が変わるきっかけになるとも思います。

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