共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS プレ集会速報  どの子も公立高校へ!埼玉の歴史を拓いてきた人々が集まった

<<   作成日時 : 2011/10/31 23:31   >>

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さる9月19日、「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会・プレ集会が、浦和で開催された。来年、嵐山町の国立女性教育会館で行われる予定の全国集会に向けたイベント。今回は、二つの会報からの転載により、この集会の結果をお知らせする。まずは、「どの子も地域の公立高校へ ニュース」より転載。

 「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会・プレ集会(2011.9.19 浦和コミセン)
語ろう高校〜希望するどの子も人れる高校をめざして〜 (報告)

 埼玉県内の地域で活動している人やこれまでに高校入学運動に関わってきた人、北村小夜さんや東京・千葉・茨城からの参加もあり、70名近くが集まって集会室がいっぱいになりました。“どの子も”の高校入学運動が始まって最初の受験者である猪瀬良太さんの開会のあいさつ「集会をはじめます。はじめよ!」から始まりました。


 【24年間をふり返って】

@ 猪瀬佳子代表のころ
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<猪瀬>大西赤人さん(身体に障害、浦和高校を受験し落とされる)や浅井一美さん(全盲で、点字受験し入学)たちと違って、知的障害ということで、願書も受け付けず受験も出来ないかもしれないということで運動が始まった。中村さんとかが知的障害でも受験できると確認して、受験する!と強く思った。高校へとドアを開くということでたいへんだったが、創成期というか楽しい時期をすごした。今のほうがたいへんだろう。

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<小沢>お久しぶりです。吉川高校に勤めていて、猪瀬さんとか中村さんとか、高校に入る最初の時に関わっていた。 10年くらい前に異動して遠ざかってしまった。

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<後藤>養護学校高等部3年まで行ってたが、2学期でやめて、豊岡高校を受験した。まいち頑張りが足りなかったなという‥‥・孫が中3で悩んでいる状態です。

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<高橋>吉川高校の生徒をやっていた。自分も分けられているんじゃないかとか、自分のこととして把えられていたので、運動に巻き込まれていった。(署名など行った。)

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<増田>(成人した障害者たちも応援しようと)浦和高校の定時制を受験したが、(出身の越谷養護学校長が書いた文書の)情報公開をしたら、学校側にとっていいことばかり書いていて、本人の僕には不利なことばかり書かれていて、裁判をやった。


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<池>高校に行ったのも1O年以上も前で、桶川西高校を一応3年間で卒業できて、その後、お仕事とかいろんなことを経験しました。

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<藤崎>幸手商業の定時制を受験した。代読は県の人がやって、代筆を山下さんがやったけども、聞こえないようにさせられて、それで落っこちた。うひゃひゃひゃ。

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<野島>与野高校を受験した。武内創源(もとみ)さんと受験し二人ともだめということで、次の年もう一度受けた。養護学校を卒業したので商業科しか受験できなくて、社会人特別選考で面接だけをした。セーラー服が着たくて高校に入った。

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<木暮>春日部高校を15年前に受験した。ワープロで受験した。40分かけて受験したのも今ではいい思い出。なかなか友人もできなかった。書道部だった。

A門坂代表のころ
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<門坂>教育局の中では受験することに対する拒否感は薄くなり、理念も話し合えばわかる感じだった。息子の受験では推薦で落とされ、私立で落とされ、最後の最後の一般受験で狭山高校の全日制に受かった。2000年1月の「可能な限りその全員を人学許可候補者とする」や、2001年3月のr定員内不合格はあってはならない、受け人れられい学校に責任がある」など教育局が認めたのは大きかった。

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<佐久間>受験の時期も猪瀬さんから門坂さんにまたがってしまった。(朝霞定時制に8年目に入学)入ったら急にいい高校になった。最初の1年はたいへんだったが、学校に行くのが好きで、ずいぶん本人ががんばって先生にも認めさせた。男の子はからかいながら仲間として認めてくれて意外とやさしい。皆勧賞をいただいた。成人式、卒業式には着物を着て出た。卒業後も文化祭に行っている。


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<門坂豊>狭山高校を卒業した。はつかり麺の株式会社で働いていたが、不景気のためアルバイトになってしまった。今は就職活動をしている。

<門坂>補足すると、実質倒産で解雇、新しい経営者に相談したら、アルバイトとして継続できることに。仕事はなくなったが、チャンスももらい、あたたかい人間関係がある。高校時代けんかをし停学をくらい、一人前の経験もした。中学の時のボスが守ってくれて、強いいじめにはあうことがなかった。(それを知ったのは卒業式の日)

B斉藤代表のころ

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<斉藤>田舎の母が急死、父を引き取る、娘の脳腫瘍があり、目黒さんや山田さんが手伝ってくれた。目黒くんは2年間一緒に受験。山田さんも一緒に受験、浦和一女へ。上尾沼南高校全日の受験の時、クラスの友だち6人が待っていてくれた、先生が頼んだわけでもなく。その後は定時制を受験(蕨、大宮商業)し、5年目に入学。入ることも大事だが、出ることも大事、卒業に関してのいきさつが資料集に書いてあるので参考に。

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<吉井真須美>もう21才になった。深く考えずに地域の小学校に入れたが、子どもたちに救われ、ここを出て行ったら息子にあたりまえの生活を与えられないと思った。たいへんな思いをした分、地域の人に覚えてもらえた。あたりまえのように延長線上で高校を受験する気持ちになり、皆さんの力を借りて頑張ればなんとかなるだろうと思って
いたが、甘い考えだった。息子が本当に高校に行きたいかどうか、はっきり言ってわからないが、こうなったら、高校に対する嫌がらせかなというように受験し続けている。


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<吉井敏>周りの人たちが自然に理解する状況を作ることが重要。現在は教育局が相当学び、吉井英樹を入れたら全て受け入れなければならない、ガードがなくなったらたいへんとハードルが高くなっている。教育局の人は古い頭で経験がない。いかに理解してもらうか。親の心情や社会の必要性を教えていく仕組みを考えなくては。今年春の受験は代読代筆といっても形式的な受験。そのおかしさを教えていかなければならない。


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〈六澤>5年前に不動ヶ岡誠和高校に入学した。福祉科の授業がはやくてたいへんだった。友だちにノートをみせてもらったりした。喘息もあり休みが多く、点数が取れなかった。知的の手帳を取り、先生がめんどうみてくれてよかった。友だちもけっこういて、遠足も楽しく行けて、電車とかも付き添ってくれた。卒業後はくらしセンターベしみに。


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タイムキーパー吉井英樹くんが音声の出る機器で「はじまりです」「おわりです」と鳴らして、みんなの笑いをとっていましたが、それでも話を終われない親たちの思いがあふれていました。続きの【来年の全校集会に向けて】北村小夜さんのお話など次号で。(どの子も地域の公立高校へ ニュース NO.63より)


9月19日 プレ集会
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猪瀬佳子

来年 埼玉で 高校の全国交流集会が開催される。そのプレ集会として、19曰、24年間の埼玉での高校入学運動を振り返る集会がおこなわれた。

 24年前 草加と浦和で みんなと一緒に高校へ行きたいと3人の知的障害児が声をあげた。それ以前にも 浦和高校へ点数は合格圈内なのに 体有ができないため点数にならず、不合格となった身体に障害のある生徒の支援運動、全盲の生徒の点字受験による 普通高校合格など、「身体に障害のある」生徒の高校人学については 門が開がれてきていた。そう、有名な「身体に障害のある生徒の受験について」の通達もそのためにできた。
 だが いざ点数のとれない知的障害者が 同級生と一緒に高校へ行きたいと高校の門を叩いてみると・・・定員に満たないにもかかわらず、足切り(差別用語?)。受験にすら難色を示された,

 集会でも言ったのだが 道を切り開くのは 大変だが、創意工夫、なんでもありで、ある意味おもしろかった。(当時はそんなこと思いもしなかったが)。

 プレ集会で 当時の関係者が一言近況を合めて語る時問があったが、そのとき教師や他の生徒が話したのは、初期だけだった。また、同じころ当事者を支援するために 高校ヘ行けなかった、行かなかった成人障害者が 高校を大挙して受験し、そのなかで内申書の差別的記述があきらがになり、「増田裁判」が開始された。
 そういった意味で あの頃は 当事者だけでなく支援する層が厚く、広がった。

今はどうか,

 「身体」という文言は削除させたが、あいかわらず知的の点数のとれない生徒の入学は 無視されている。
 高校が最後の砦として、守っているものはなんなのが。
 創成後期に確認してしまった、「事務レベル交渉」「3時間以内」。運動する側もこれにしばられていることが多くはないか。
 何もなかった頃、 白紙の状態、に 思いをはせ 当事者のおもいと 支援者の動きと連動した運動にどうしたらなれるのだろうか。
 あの頃と 教育界が、 世間が、 変わってきてしまっているのは事実。それと同時に親も子も変わってきているだろう。「運動」としてなにができるのか、その根本から考えなければいけないのかもしれない。特に高校が 校区が全県になったり、統廃合が進んで定員割れというものがほとんどなくなった今。今こそ みんなが知恵を出し合うときなんだろうけど。他県の情報を知り、学ぶのも大切。

 これから高校へ行こうとしている人たち、歴史の中で 今があり、高校へ行きたくても行けない人、行きたい高校へ行けない人 色んな人がいるってことを知って、そういう人たちとも 手を繋いでいってほしいです。(ぺんぎん村ゆうびん NO.318より転載)


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