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zoom RSS 伝え合おう!身近な被災体験 メール通信を発行中

<<   作成日時 : 2011/03/31 00:32   >>

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今年筆者が送った年賀メールー「くだくだしい私の…」というタイトルで前にブログで紹介した、そのメールの中に、カランコエというマダガスカル原産の多肉植物の越冬の試みについてふれた。障害者たちと一緒に花壇整備を請け負っている公園で、パンジーを植えるために引き抜いた株を、まだ生き残れるかもしれないと思い、持ち帰り、軒先で冬越しができるかどうか、水をやりながら見ていた。その中の数鉢が、どうやら冬を越したようだ(写真)。

 前回のブログで書いたように、筆者はこの間「身近な被災体験」と名付けたメール通信を、顔を存じ上げているいろんな人たち、80名くらいにずっと出し続けていて、このブログまで手が回らなかった。

 地震と津波による未曾有の死者・行方不明者、そして日常風景に溶け込んでいた原発の破壊と放射能の漏出による町を挙げての避難の開始……つぎつぎと深まる被災状況。下の写真は、防災避難体験・越谷連絡会議の事務担当で、職場参加をすすめる会の運営委員も務める西陰 勲さんが、救援物資を被災地に運んだときの沿道の写真。石巻市内だそうだ。

 
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 マスコミのみならず、ミニコミも含めて、圧倒的な迫力をもって迫る情報を受け取れば受け取るほど、個人の無力・無知を思い知らされる。正しい情報に基づいた、適切な行動をとらねばならないと思わされる。適切かどうかわからない行動は、自粛したほうがいいという気にさせられる。ともすれば、強く正しい権力の発動を期待する気分へ追いやられそうな自分がいる。

 しかし、よく考えてみれば、「拝啓 池田総理大臣殿」と、脳性まひの子をもつ親である作家・水上勉が書いた1963年当時の気分も、おそらくそこに通じるものがあったのだと思う。

 わらじの会のホームランドというべき恩間新田の新坂家の中でも、農薬と化学肥料、機械を導入することにより、これまで障害者や高齢者が担ってきた豆の殻むきや棉くりといった多様な仕事が喪われ、厄介者にされてゆく過程が始まった。全国的にも、各地方の段階でも「農村から都市へ」の大民族移動が行われる中で、新たな産業社会の足をひっぱる「重荷」として、障害者が国家的な問題としてクローズアップされていった。
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 高度成長のブルドーザーに踏み砕かれかねない無力な存在として、水上は障害者をみつめ、国家がその生を保障すべきと直訴した。その声が、障害者の隔離収容を進める福祉施策のスタートにつなげられ、さらには「不幸な子どもを生まない」といった運動にもつながってゆく。

 それに対して、不幸を背負ったかわいそうな存在とみなされた障害者本人たちが、そよかぜのように街に出て生きざまをさらして問いかけることから、共に学び・共に働き・共に生きるさまざまな活動が芽吹いたのではなかったか。
 
 私たちも、新坂家の奥で障害者姉妹やばあちゃんたちが身を寄せ合って暮らしていた部屋で、そこに受け継がれた村の暮らし方やその暮らしから編み出された介助の工夫など、たくさんの文化を学び、活動の共有財産としてきた。それが私たちのパワーの泉だった。
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 また前置きが長くなってしまった。今回の地震の直後に八戸の聴覚障害者Oさんから届いたメールをきっかけに、筆者は、東北、関東、関西を問わず、人それぞれの「被災」体験を伝え合いませんかと呼びかけ、「身近な被災体験」と題するメール通信を発信し始めた。それが、現在までですでに14信を重ねた。
 
 以下、そのメール通信から、ごく一部だけを抜き書き。

 「ひとつだけちょっとうれしいことがありました。いまともにマンションの役員をしている隣の家のご主人が、エレベーターが停止しているからと、何か困ったら声をかけてと言いに来てくれました。」(日吉孝子さん・職場参加をすすめる会事務局員・車イス使用)

 「うちの娘は、地震の最中に、地震止まれ〜とジャンプしていました。大きく揺れたら怖がってましたので、抱きしめてました。昨日は卒業式だったのですが、朝霞高校の壁にヒビが入り、延期になりました。」(田中泰江さん・朝霞市手をつなぐ育成会代表・定時制高校に通う娘さんの母)

 「地震に遭って帰宅困難者になりましたが、見知らぬ人の優しさがとてもうれしかったです。街を歩けば悪いことばかりに目がいってしまいますが、地震が私に小さな幸せを与えてくれました。」(吉田佐保子さん・大学2年生・車イス使用)

 「その日は入浴介助の日だったんですが、1時間過ぎてもヘルパーさんが来なかったので、やっぱり今日は駄目だと思っていたところに来てくれたので、揺れたらどうしようと思いながら、思い切って入りました。夜は同じ棟の最上階(14階)に住んでいる方が、ひとりもん同士一緒にいようねということで、私の部屋に泊ってくれました。」(伝田ひろみさん・さいたま市議・車イス使用)

 「全長20キロ弱、歩いていて感じたことは、初詣のようなにぎやかさで人がいっぱいいたので、あまり心細くはなかったです。ほとんどの人はみんな一人でした。一人で黙々と歩いていました。……変な話ですが、楽しかったです。誰と会話をするわけではなく、ただひたすらに歩いただけですが、気も張っていたのかもしれません。家に着いてもあまり疲れは感じませんでした。やっぱり人の中はいいな〜と感じました。」(松山美幸さん・会社員・聴覚障害)


 つづく

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