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zoom RSS 3月11〜12日の帰宅難民体験 そして八戸現地Oさんからのメール

<<   作成日時 : 2011/03/15 21:03   >>

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地震があった11日深夜、東京駅近くの丸ノ内オフィスビルのロビーで、一夜を明かすたくさんの人々。
 この夜、筆者を含むわらじの会関係者5名は、名古屋からやっと動いた新幹線に乗って東京駅までたどり着いたが、山手線も京浜東北線もすべて止まっていた。その先の東武伊勢崎線等も全線ストップ。わずかに、大手町から地下鉄丸ノ内線に乗れば、後楽園で地下鉄南北線に乗り換え、埼玉高速鉄道に乗り入れて、浦和美園駅までは電車で行けそうだと知った。埼玉スタジアムのある浦和美園まで行ければ、あとは歩いてもいいし、誰かに車で迎えに来てと泣きつくこともできそう。そう判断して、大手町に向かって歩き始めた時、通りすがりに目にしたのがこの光景だった。
 地震が発生した時奈良にいた筆者らは、ネットのニュースで知っただけで、激しい揺れも経験しなかったし、ましてや被災の甚大さや広がりなどに思いをいたすことなどまったくできなかった。毎年のわらじの会の夏合宿の気分で、歩き始めたのだった。
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地下鉄大手町駅の迷路のような回廊をへめぐって…。

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丸ノ内線のホームにやっと到着したが、すでに0時42分、案内表示には 終了しました とのメッセージが。しかし、アナウンスがあり、表示はまちがいで、電車はまだ動いているというので、ひと安心。ちなみに、このホームに転落防止のホームドアが設けられたのを初めて見た。

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丸ノ内線に乗って後楽園駅に降りてみると、乗り換え口は閉鎖され、南北線の改札から屋外の道路に長蛇の列ができている。案内のアナウンスは、列に並んでも電車に乗れる保障はないとくりかえし叫んでいる。それでも、列は長くなるいっぽう。かなり迷ったが、ままよと、日光街道方面に向かって歩くことにした。ここ文京区や台東区、そして足立区あたりは、いろいろ縁があり、土地勘があったせいもある。気がつくと、ずいぶんたくさんの人たちが歩いて帰ろうとしていた。

 おおぜいの人が同じように歩いていて、コンビニなどでトイレに寄ったり、飲物を買ったりしながら、休んで、また歩き出す感じは、ふだんとはちがう連帯感もまじっていた。「ここはどこですか」と交番でたずねている会社員。「上野駅へ行くにはどう行けばいいんですか。」とわれわれにたずねる人。山歩きの雰囲気に似ている。でも、山ならこのくらいの距離は平気なのだが、舗装された道を、普通の革靴で歩き続けるのはかなり辛いものがあったことはたしか。

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4号国道(日光街道)をずっと歩き続けた。車道は大渋滞で、歩いているわれわれのほうが速いほど。そのうちに車が少し動き始めた頃、荒川にかかる千住大橋までたどり着いた。この数日間、生活ホームで、呼吸が止まったり、水が飲めない状態が続いている新坂きみ子さんの亡くなったお父さんが、昔、リヤカーに野菜を載せて自転車でひっぱって新宿の市場に夜運んで行った時、千住大橋のところまで行くと、橋番がいてリヤカーを後押しして料金を払ったという話を思い出した。そんな時代から、まだ半世紀くらいしかたっていないのだ。災害がなければ、よみがえることもなかった記憶。

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千住大橋の上で、記念写真を撮った。この直後、同行の平野さんが足の筋をちがえて歩くのが難しくなり、本人は「私一人でもここで野宿しよう」とひそかに心に決めたという。しかし、ほんとに運がいいことに、群馬へ帰るというタクシーがわれわれを乗せて、春日部まで運んでくれた。家に帰り着くと、6時。明るくなり始めた。地震の巨大さを、TVで初めて知った。家の中を点検したら、診療所の棚が折れて、倒れていた。

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そんな中、八戸の聴覚障害者 Oさんより被災状況を伝えるメールが携帯に届いた。情報が得られない中、逆に情報を発信されているパワーに感服。携帯に入ったOさんのメールでは、情報がまったく入らず、一人で部屋にいるが、携帯で情報を発信中とのこと。ともかく自分は大丈夫だが、他の人が心配だと。また、余震がかなりあるとのこと。

 Oさんのメール本文。

 「こちら津波で浜は壊滅的…… 会社ではPCは倒れ、鉢植えは壊れ、戸棚も同様…。本日は新幹線でS市に行く予定でしたが、駅は封鎖されていました。今も停電中で、パソコンが使えず、情報が入りません。道は信号がない状態です。マイナスの寒さの中、病人は大変でしょうね。心配です。こちら津波で船がぶつかりあいながら凄い勢いで沖合に流されて行きましたよ。昔あったチリ津波より酷いのでは…。津波にあった車や家も酷い。コンデジで撮りました。家の中は本が散乱し、その上に墨絵の掛け軸が…・聞こえなくて、情報が全く入らず、一人で部屋にいますが、こちらの情報を携帯で発信中です。ともかくこちらは大丈夫!他の人が心配です。余震がかなりあるんですよ。私はしぶとくサバイバルしますので!山の道具とか日ごろのストーブがない暮らしが役立っています。山下さんもお気をつけて!」 

 災害情報は、両刃の剣で、マスコミや行政の発表は正確に全体をつかめる点で大変重要なのだが、大本営発表のように、大切な真実がぬけ落ちてしまうおそれもある。一人一人の身近な暮らしの中での被災体験の交換、共有もとても大事だと思う。とくに障害があるということで「要援護者」として、もっぱら対象者にされてゆく流れには、要注意と思う。
 筆者は、メールでOさんからの情報を知人に発信しながら、小さいことでも、自分でなく家族や知人のことでも、情報を伝え合いませんかと、呼びかけた。被災現地からのOさんの発信に、ひとりひとりの体験の発信をもって応えないかと。その結果、いろいろな人たちからのメールが寄せられた。次回から、順次お伝えしてゆく。
 

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