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zoom RSS 「高校ってなんだ?!」 ― 日高高校校長とのやりとりから

<<   作成日時 : 2011/03/02 16:51   >>

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 前回に引き続き、24日の埼玉県公立高校前期募集の合否発表の日の報告。前回は、6年目の吉井英樹くんの受験した日高高校へ、みんなで出かけたという話。そして、応接室で、自己紹介をしあいながら、校長を待った。やがて……倉沢校長が入ってきた。教頭、事務長も一緒。
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吉井さんから、どうして不合格になったのかと質問。
校長は、「選抜の基本方針と本校の選抜基準にのっとって選考を行った。第1次選抜、第2次選抜、第3次選抜のどの選抜でも、合格には至らなかった。」
と答える。

  次に吉井さんから、受験のしかたに関して障害による不利益があったことについて質問。
校長は、「県のほうからの指導に従って、障害による不利益がないように配慮を行った。配慮の措置願いを調査書の『その他の項目』のところで点数化し、評価した。受験に関して代読・代筆を要望されたので、県の指導主事が代読・代筆をした。1時間目が終わった時点で、吉井さんのお父さんから4つの選択項目全部に○を付けているという話があったが、これは3年前に介助者として付かれた沼尾さんから本人が表現したことについて全部書くべきだと、当時の指導主事に対して要望があったので、その通りにしたもの。しかし、吉井さんのお父さんからの話を受けて、私の方は本人が1つ選ぶというのを理解しているかどうかは別にして、しぼれるのであればしぼってほしいと指導主事にお願いした。」と答えた。

  吉井さんからは、配慮の願いを出したが、全部聞きいれられたわけではない、そのぶん不利益が残ったことについてどう対応するのかと質問。
  校長は、「問題すべてを選択式にというのは、県のほうでできないということで、県に従った。」と答える。

  また吉井さんから、何点くらい取れたのかと質問。
  校長は、「点数の開示については、情報公開の手続きを踏まないとできない。」と答えた。
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  今度は校長から、「2時間目の数学で不正行為が行われた」と発言。「試験監督と代筆していた人から報告があった。答えが√5だったのだが、介助者で付いていた神田さんがそれを教えた」と言う。
  神田さんは「私には英樹くんがそう言ってるように聞えたのに、代筆の人が書かないからですよ。」と言っていた。

  「不正行為」だって?!神田さんと林さんは、ファミレスで「茶番劇よね」と言い合っていたっけ。たしかに「茶番劇」だ。
 これは、東京都などの、知的障害のある生徒に本人の指定する代筆、代読者を認めるという受験での配慮措置を、埼玉でも実施するよう私たちから求められた県教育局が、苦し紛れにひねり出したシナリオに基づくもの。その起源は、1993年、県立草加南高校全日制を受験した故・原 有(はら みち)さんへの措置にさかのぼる。

  故・原 有さんは、東大病院小児科を受診している点頭てんかんの子どもと親で作る「てんとうむしの会」の会員だった。ほとんどが重度重複障害といわれる子どもたちは、全身性障害でバギーやリクライニングの車椅子を使用。通常の音声言語での応答は難しい。ひんぱんな発作により、常にたんの吸引が必要で、しばしば誤嚥性肺炎になり、生死の境に追いやられた。そのたびに母が付き添って、東大病院に緊急入院した。会員の多くは、肢体不自由の養護学校に通学することもできず、訪問教育を受けていた。養護学校の送迎バスの中で亡くなる子もいたからである。

 
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有さんの両親は教員として働いていた。両親は、自宅のすぐ近くにある教会がやっていた小さな幼稚園に働きかけ、有さんを入れてもらった。たんの吸引等のために、有さんの祖父が付き添った。筆者は、幼稚園の子どもたちが有さんと一緒に近所の公園に出かけたところに、偶然遭遇した。筆者には聞えない有さんの言葉を、子どもたちは聞きとり会話しているがごとく、にぎやかなおしゃべりの輪が通り過ぎて行った。

 母・故明子さんはろう学校幼稚部の教員、父・和久さんは別のろう学校の高等部の職業指導の教員だった。二人とも、他の子どもたちから分けられて障害のある子だけが集まった場での教育の限界を熟知していた。地域の他の子どもや大人が、障害のある人々とつきあう体験を奪われるため、特別な場でたとえ力を付けたとしても地域で孤立してしまう。明子さんはできる限り、保育所や通常学級で学ぶことを支援していたし、和久さんは一般就労を支えるため地域の事業所回りに必死だった。

 有さんは、市教育委員会から養護学校に行くように言われたが、両親の強い意志で通常学級に就学した。盲ろう養護学校の現実をよく知っている両親は、生命に危険があったとき、家の近所の学校でなければ駈けつけられないと言った。たしかにそうだった。そして、近所の子どもたちのおしゃべりの輪の中で、有さんは小・中学校時代を過ごした。
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 先に述べたように、有さんは通常の音声言語を発しない。音声や表情、からだの緊張等から意思を読み取るしかないが、そうであればこそ、対する者の「聞きたい」、「語り合いたい」と思って語りかけ、働きかけ、聞きとろうとする姿勢の有無がコミュニケーションの成立・不成立を決める。一般的には、共有した体験の多さ、時間の長さが、双方の緊張をゆったりとほぐし、より深い伝えあいに導く。が、時には、それまでのすべての人生が衝突しあったような、濃密で激しい出会いもある。障害があろうがなかろうが、コミュニケーションとは、出会いとはそういうもの。
両親は、中学3年生になった有さんを、迷わず近所の高校にチャレンジさせることにした。クラスメートたちも一緒に受ける、そして歩いて行ける高校だったから。1993年の春だった。

 このときの県教育局交渉の結果、本県で初めての代読・代筆受験が実施された。代読は県教育局から派遣され、代筆者は本人の指定する者とされた。問題を選択肢に変えることは、「時間がないので事務的に間に合わない」とされた。
 そもそもお隣の東京都で、問題を選択肢式に変え、代読・代筆を認めたのは、これまで重い障害のある生徒を排除してきた公立高校が、入試という手法そのものが不利益になる知的な障害者を、なんとか入試という土俵に乗せてかつ受け止めてゆくための独自の配慮としてである。その結果、さまざまな障害のある生徒たちが、都立高校で学ぶようになる。しかし、埼玉県では、その趣旨を咀嚼せぬまま、形式だけを部分的にとりいれた。だから、ありえない状況がくりひろげられた。

 幼稚園の頃から知っている筆者は代筆者の一人となった。このとき、筆者は耳栓をされ、問題を読み上げる声が聞えない状態にされた。だから、何の問題かもわからない。そして、発声も禁じられた状態で、有さんの表情から答えを読み取れという。そんな超能力を持つ者がどこにいる?クイズ番組としても成り立ちっこない。まさに、「配慮」という名の茶番劇だ。これは「配慮」どころか、「排除」ではないか。
 その後も、毎年、似た状況が続いた。プラスにならないなら、むしろ配慮などないほうがましだ。その後、「どの子も」の連絡会として、受験上の配慮よりも選抜で受け入れることをストレートに求めてゆこうという時期が続いた。
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 あれからもう18年がたった。有さん、明子さんは世を去った。有さんと障害の状況が近い英樹くんに対し、教育局はやはり選択式に変えるのは拒否したまま、代読者か代筆者のどちらかは本人の指定する者でよいとし、もう片方は県の指導主事が行うとしている。両親は、英語の代読のみ中学のクラスメートだった大学生に頼み、他の代読は県に任せるとした。その結果、まさに県の「配慮」の本質が露わになった。

 英樹くんの意思を読み取ろうとするのではなく、声を発したか発しないかを、当日初めて会った代筆者が判定して解答として書きこむという、まさに検察の調書でっちあげどころではない行為を、おおやけに行った。
 その結果、1時間目は選択肢のすべてを解答として書いて無効となり、抗議を受けた2時間目は1つだけを選択したとして書くという、でたらめをやってのけた。

 神田さんは、その2時間目に代読でも、代筆でもなく、英樹くんの介助者として室内で待機していたが、粛々と進行してゆく排除の儀式の場に居合わせ、その排除の中で英樹くんが「√5」と言っているように聞え、注意を喚起したという。もとより代筆者は神田さんの発言を無視した。そうなるのはわかっていても、あえて神田さんは言った。そう言ったのかどうか、代筆をする指導主事にくりかえし確かめてほしかったから。
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 一事が万事。鬼の首を取ったような校長発言は、「配慮」が儀式でしかなかったことを示していた。

 「今日ここに来たメンバーは、多かれ少なかれ、街でいろんな不利益にあっているんですよ。」と、筆者は校長に語りかけてみた。
 「分けられて育って来たからお互いにどう伝えたらいいかわからない。だから、ホカ弁屋さんに行くんだけれど、相手はなんで障害者が来たのかわからないから買えずに帰ることが何日も続いたりするんです。そうやって1ヶ月もたってから、ある日、障害者の視線がメニューをみつめているのかもと店員が気づき、問いかけてみると、オ―と応答が返ってくるという形で、ホカ弁が買える。そうなれば、毎日買えるわけです。」

 「初めホカ弁を買えなかったのは、障害による不利益ですよね。でも1ヶ月後には、店員が声をかけ、応答するという形でほしいホカ弁が買えて、不利益は解消される。みんなそういうことを繰り返して、街で生きてるんです。今日来た中には、そうやって一人暮らししている者も何人かいます。高校でも、ホカ弁屋さんのようにやってほしいというのが、私たちの思いなんです。」

 
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この話は実話である。今武里団地で泊まり介助を入れて一人暮らししており、この日ぼくらが数時間後県教育局に回った時に合流することになる藤崎が、若き日に初めて電動車いすをたどたどしく足で操作して街に出始めた頃の体験。当時彼の介助にかかわった筆者には、かっての藤崎と入試での英樹くんとが、ぴったり重なって感じられた。

 校長は、ホカ弁屋と高校を一緒にしてもらっては困ると思ったらしい。「われわれのできる範囲の力では、吉井くんを教育できないということなんです。」と言う。校長としては、入学してからの高校生活でも可能と思えるぎりぎりの範囲で受験上の配慮を行った、だからそうやって配慮した試験をクリヤーできないのなら、本校では教育不能と判断せざるを得ないのだと言う。

 
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しかし、そこに論理のすりかえがある。もし、校長の言う通りだとしたら、街の至る所にあるバリアが取り除かれることもありえなかったろう。駅の階段の下で待ち続けた障害者たち、彼らの唸り声と様子から状況を読み取った通行人たちによって、彼らは電車に乗り、それがやがて駅員の業務となり、駅員の腰痛の訴えに困った鉄道会社がエスカレーターを設置し、さらにエレベーターに変わってゆくという過程に、現在の街があるのだ。
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 まして、ここは「15の春を泣かせない」を合言葉に、中学校卒業予定者全員を、私立と合わせて受け止めるという基準で定員を設定している公立高校である。その大目的の下で行われる入試だからこそ、「障害による不利益がないように」という基本方針を定めているのだ。受験上の配慮のための措置には限界があることは当然だ。駅をすぐ改修できなかったのと同じだ。しかし、配慮があまりできないから乗車拒否してもよいということにはならない。民間の鉄道会社だって、社会的責任として受け止めてきたのだ。

 「でもホカ弁屋さんも、最初のうちはずっと何でここへ来てるのか、わからなかったんですよ。そして、1ヶ月たった後は、毎日買えるようになったんです。だから、試験の1日や2日できめつけないでもらいたいんです。」と筆者。

 植田が校長に向かって言った。「私36歳なので、高校入試のことなど忘れてしまったんですが、最近福祉の国家資格の試験を受けたとき、時間延長があったんですよ。そういうことはされなかったんですか。」
「全県一斉にやっていますので、時間がずれると、他校の生徒に問題が流れたりすることもありうるので、県は時間延長できないという指導をしています。」と校長。だが、これは校長のまちがい。1.5倍までの時間延長は、受験上の配慮として27年前から行われている。
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 吉井さんが説明した。「時間延長はできるんだけど、時間延長したって、選択問題が2割しかないんじゃ、どんなにがんばったってむだだから、時間延長は希望しなかったんです。」
「じゃあ、そもそもそれもペナルティーになっているということは、障害にプラスペナルティーが加わっているということで、公平じゃないですよね。」と植田。
 校長は、「問題を作ったのは県なので」といいわけしていた。

 今井が口を開いた。「さっき『受験上の配慮は、高校に入学した時に学校としてできる範囲で行う』と言われましたよね。ただ、実際高校に入ってきた生徒に対し、先生方は生徒とコミュニケーションをどうにかでもとっていくという姿勢がなければ、何も始まらないと思うんです。吉井くんとどういう風にコミュニケーションをとろうとするか、基本はそこだと思います。受験上の配慮というのも、そのコミュニケーションが成り立った上での代読や代筆でなければ意味がないですよね。代筆の人は、吉井くんに2回くりかえして答えを訊いたということですが、吉井くんのほうは訊かれたと考えていたのかどうか。現場の先生方としては、さきざきどんな生徒ともコミュニケーションを取っていくというのが大事だと思いますが。不利益をこうむらないようにするということなんだから、彼がやったと思えるような形でないと、やったことにならないんじゃないですか。」
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 校長が答える。「テストという形式の中で行うものなので、コミュニケーションというのはおのずと限られたものがあると思いますが、代読、代筆にあたった指導主事も極力努力してやっています。試験監督の話では、2回答えを訊いて、それでもまだ時間が残っている時、もう一度やりますか、もうやめますかと訊くと、と、やめるという時はニコニコして「はい」と言うので、試験を受けるのが本人に負担になっているのかなと思いました。」

 これには、参加したメンバーから口々に、試験を受けるのは誰だって負担だよねとか、コミュニケーションの条件を奪われた状態から解放されるだけでもほっとするよねと、反論が出されていた。

 校長は、「普通は時間いっぱい使って問題を解こうとするんじゃないですか」といった意味のことを、つぶやいていた。コミュニケーションが取れない状況に放置したことは棚上げにしたままで。校長は、吉井くんが意思に反して受験させられているというイメージに固執するあまり、重要なことを見ていない。

 受け止める姿勢どころか、受験という時間限定の配慮すら割り引かれ、まったく苦行としか思えない状況を、吉井くんがよく我慢してきたなあと、筆者は素朴に思うのだ。そこには、義務教育段階での共に育ち・学んだ記憶が刻まれていることももちろんだと思うが、それだけではないようにも感じられる。
 この無視と苦難をはらんだ状況そのものが、現実世界なんだということを吉井くんは認識し、静かな闘いに心躍らせてもいたんじゃないだろうか。けんか相手とはけんかを通して仲良くもなりたいもので、相手か自分が降りることでは心が満たされない。バリアいっぱいの街を、バリアとぶつかり、迷惑をかけながら行く楽しさを、この最悪の入試においてすら、吉井くんは感じていたんじゃないかとさえ、筆者には思える。
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 けっきょく40分くらいで、校長はまた出かけて行った。田邉は顔を真っ赤にして、「泣き出しそうだった」とつぶやいた。私たちも日高高校を後にして、県庁へ向かうことにした。
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(つづく)

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