共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 世一緒、黄色い部屋に GO WEST、釜ヶ崎、福祉農園ご一行が舞い込む

<<   作成日時 : 2011/02/21 01:07   >>

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「障害者制度改革」埼玉セミナーPart U の翌日、14日(月)は、急に舞い込んだ特ダネのような、あるいはぽっかり空いてしまったページの埋め草としてひねり出されたコラムのような不思議な一日だった。

 月曜日はいつも午前・午後、職場参加ビューロー・世一緒につめている。この日は、午前がポスティングだった。
世一緒を運営するNPO法人障害者の職場参加をすすめる会(筆者はこの会の事務局長)は、はす向かいのハローワーク越谷のひとつ上の階で、越谷市から障害者就労支援センターを受託して運営している。ハローワークだけでは「就職困難」とみなされた障害者等が1階上のセンターに紹介されてくることが多い。センターでは、ジョブコーチ等の支援を提供して就職や継続就労を支えたり、家族や事業主の相談にも応じる。しかし、「働かざる者食うべからず」という社会常識の下で、「就労」をめざしながらも、そうした流れに乗せられてゆくからだ自体がそこから降りたいと無言の主張をしている人も少なくない。以前は結構長く働いていたが、会社がつぶれた後、本人が前に従事していたような仕事が社会から姿を消し、どうしても職がみつからない人もいる。周りが寄ってたかって連れてきたが、本人はすでに「就労」しないで生きる自分流のライフスタイルを作っている場合もある。

そうした人の多くは、ハローワークに何度か行ったとしても、けっきょくは福祉施設に行き、そこで何十年も過ごすというパターンが多い。「障害者」というお墨付きがなければ、ニート、フリーター、ひきこもり、時には野宿者にもなり、よくも悪くも社会問題化するところを、手帳を交付されたとたんにハローワークでは、法定雇用率アップのための素材として位置付けられる。また、雇用の見込みが立たない場合、親も就労支援機関も福祉行政も、早期に福祉施設を探して送り込む。こうして、近年、福祉施設がどんどん増え、それは社会に必要だという前提で消費税を増やせといった大合唱にもつながっている。

そんな中で、障害のあるなしに限らず、いまの社会でもいろんな働き方・暮らし方があるんじゃない?ちょっと工夫すれば考えられるよといった思いに発して、福祉か障害者雇用枠と仕分けされている障害者が他の人々と一緒に、いろんな手練手管を用いながら地域の職場に出かけていってみようよというのが、「職場参加」の意味だ。
世一緒は通所の場ではなく、制度に乗ってもいないので、常勤職員もいず、センター経由の就労支援登録者や福祉施設利用者などの障害者と関係者がよってたかって運営を担っている。この日は、会の監事を務める市議からもらったポスティングのアルバイトが入ったので、数日前に日替わり当番の障害者が、「小さな仕事エントリー票」に登録している障害者宅に電話で連絡を入れ、希望者が集まって、配布地区を分担して出かけた。この全体が、ひとつの働き方実験であり、街のあり方研究でもある。

筆者は、聾唖・弱視(ほぼ全盲)・車椅子のおなじみ橋本克己画伯のポスティングを手伝った。画伯は就学免除で19歳まで家の奥で暮らした。わらじの会で街へ出始めてからは、家の奥で人知れず育んできた内面世界が開花し、さまざまなトラブル、迷惑を巻き起こしながら、それを絵日記で世に問い、無名の有名人になった。ほとんど視えない今は、独自の触手話を交わせる相手がいないと、無反応の人のように見える。

だが、実は手伝いさえあれば、きわめてきめ細かくパワフルな労働者たりうる。きめ細かさは、家の奥で大人になったことと関係があるだろう。一室が全世界だから、飾ってあるミニカーに猫が微かな傷をつけたのも、夕飯が1分遅れるのも、世界秩序の大変動なのだから。視えなくなってからしばらくは、わらじの会の通所授産施設・くらしセンターべしみに通い、陶芸やパンづくりをしていた。作業では家の奥で培った職人の技が発揮される。しかし、あいまの休憩、食事、トイレへの移動等の時間、少し動いて人とかすったりするようなイレギュラーな関わりが、当然ある。視えていたころ、一人で外へ出て、ホームから落ちたり、人に接触して相手が怪我したのがわからず、呼び止められても気が付かないからなぐられたり、いろいろあった。街ではいろんな人が出てきて、交番に突き出されたり、仲裁してもらったり、ドラマがあった。べしみでは職員やボランティアがいるから、大事にはならない。だが大事にならないからこそ、気分が晴れない。けっきょく行かなくなってしまった。

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ポスティングは画伯の得意の仕事だ。町名を聞いただけで、画伯の中に、かって街を闊歩していた頃のイメージが湧く。筆者が各戸の郵便受けの真下まで車椅子を押してゆくと、画伯が手探りで投入する。届かない場合は、画伯から筆者が受け取って、代わりに投入する。時折り、筆者が画伯に、表札の名前を手話で伝えると、そこから自分なりのイメージを描く。その家の人が外にいれば、車椅子を近づけ、画伯の手から手へ渡す。御苦労さまという声は聞えないが、満面の笑みの画伯。やがて、手提げのチラシが全部なくなった時の「終わり」という画伯の大きな手話と笑顔。1枚当たり4円くらいの工賃だが、街の仕事を果たしている実感がもてるのかもしれない。

そんなことを考えながら世一緒のほうに帰ってきたら、おおぜいの若者らしき人影が世一緒に中に入っていくではないか。
戻ってみたら、10数人のお客さんが来ていた。ガイド役は、こっぺこと猪瀬浩平くん。そういえばわらじ方面に来るとか行ってたっけ。

たしか、昨日はわらじの会から吉田弘一くんと藤崎稔くんが、こっぺがかかわる何かの集まりに参加するため、東京へ行っていた。そこに釜ヶ崎から誰かが来ていて、今日わらじに来て交流会をやるとか…。
その程度の認識でしかなかったので、今日出会って、初めていろいろ聞いた。
まず、今日来た顔ぶれは、明治学院の授業の一環である GO WEST参加者、そしてGO WESTというボランティア体験学習の旅の目的地の一つである大阪・釜ヶ崎のココルームの関係者、それに見沼福祉農園関係者だそうだ。ちなみに、GO WESTの旅は、釜ヶ崎のほかに、見沼福祉農園、郡上八幡、奈良たんぽぽの家などが目的地になっているらしい。また、どこかで見た顔がけっこういると思ったら、7月にわらじの連中と一緒に招かれて参加した日本ボランティア学会・白金原っぱ大会も、GO WESTが重要な縦糸になっていたのかなと、おぼろげながら感じた。 →http://blogs.dion.ne.jp/coppe/

何しろ、30数年前に埼玉に来て以来、よほどのことがない限り、東京にすら出て行かず埼玉ごもりに徹してきたのだから、しかたがないのだ。

ぎっしりと人が詰まった世一緒で昼飯を食いながら出会った釜ヶ崎の井上登さんと、偶然にも共通の友人がいたことで、話がはずんだ。筆者の70年前後からの知り合いで、古くから釜ヶ崎の日雇い労働者の運動にかかわり、山谷など全国ともつながって運動してきたNさんのことだ。筆者は何年か前に、大阪の野宿者村の中にあるNさんの「労働相談所」テントや大阪のあちこちの野宿者村やNPO法人の支援機構や行政が作った自立支援施設などを案内してもらったことがある。井上さんは、かって社会の中での自分達の位置にめざめて運動に関わり始めたころ、Nさんにいろいろ教えてもらったり、自宅に案内されて飯を食わせてもらったりしたことがあるという。

奇遇だけれど、これも長年生きてきたからだよねと言い合った。筆者のことを言えば、根っこが切れたように、全国を渡り歩いた若き日があり、30代半ばから埼玉に根っこをはやした今に至る日々がなければ、』奇遇もなかった。井上さん、そしてNさんにおいても、またそうであろう。GO WESTの若者たちもそうなるのだろうか。

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「エエカマ」というミニコミをもらった。そこに井上さんが書いていた。「釜凹バンド」を代表して。「ライブ後、『今まで一番よかった』とか『今日もまた呑んでるんかと思うた』とか言われて、今まではなんでも酒に頼ってしてきよったけど、これからはもうほんまに、酒なしでも人と普通に接したり、ややこしいいろんなことを乗り越えていけると自信を持った。」と。そばにいたココlルーム・スタッフの原田麻以さんが話していた、井上さんが断酒したのは、暮れに酔っぱらってココルームで決定的なことをしでかしたことがきっかけとか。

ついでながら、この「エエカマ」、近隣の店のアルミ缶買い取り価格一覧表が載っている。生活感じわーっと滲んで、切実で、ほんわかして、いい感じだ。

ともあれ、井上さんを介して、ボランティア学会の時にはすれちがっただけの原田さんとも、話を交わした。彼女は2008年に明治学院大学を卒業して、特例子会社で障害者従業員のサポートをしていたらしい。その過程でココルームに勉強に行き、けっきょく2009年からはココルームスタッフとなる。ちょうどココルームでは、道をはさんで向かい側によりいっそう開かれた場としての「カマン!メディアセンター」を立ち上げるさなかであり、その過程に参画することになった、という。特例子会社から釜ヶ崎へという、そのプロセスが興味深い。 →http://www.cocoroom.org/about/index.html

GO WESTメンバーの中に、障害者が共に働くお菓子屋さんの草分けである「ぱれっと」が、このほど立ち上げたコレクティブハウスに関わっている黒沢くんという青年がいた。GO WESTのメンバーらしい。障害のある人とない人が暮らす集合住宅。障害のない人といっても、とりあえずは、ボランティアして関わってきた青年達らしいが。でも、グループホーム、ケアホームといった障害者だけの住まいが全盛の時代、新たな地平を探る試みだと思う。 →http://ikotto.npo-palette.or.jp/interview/interview1.html

午後、画伯を家に送って、黄色い部屋に戻ると、またこの御一行に会った。かがし座からべしみへ向かう途中、雨が降ってきたので、途中で雨宿りという状況だったらしい。ちょうど黄色い部屋の真ん中に、水谷が注文した食器棚がデーンと梱包されたまま居座っており、青年たち頼むと、梱包を開いて手際よく、2階にかついで上げてくれた。わいわいと、むしろ楽しそう。やっぱり、いろんな人がいる地域はいいと、実感。水谷と二人ではとても無理。

荷物がなくなって、御一行の居場所ができた。画伯の母ミツエさんからもらってきた揚げもちをつまみつつ、お茶に。
黄色い部屋は改装を間近に控えている。1983年当時、ここは障害者たちの自立生活体験室をめざして設計された。その3年前に訪問したスウェーデンを参考にした。


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わらじの会の技術者が製作した、上下可動の流しを設置した。車椅子でも、ぺったり座っても、調理ができる。いまは、下に物が置かれ下げることもないが、当時はその人に合わせて動かした。手動だが、おもりが入っていた軽く上下できる。その流しも、間もなく撤去される。この日、御一行と同行した大道芸の「こまどり社」仮屋崎くんは、かってわらじの会に1年間ボランティアとして滞在し、その後もこの黄色い部屋での月刊わらじ編集作業に参加していたが、この可動流しの存在を知らなかった。

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みんながてんでんに、黄色い部屋の棚にあった「わらじの会活動日誌」を手にとって読んでいた。1987年1月から、一日も欠かさず付けてきた記録だ。わらじの会の活動の場が、あちこちに分散する過程で、それぞれの場に誰が今日いたか、トータルに眺めておきたいと、日誌を付けるようにした。一人ではもちろんカバーできないので、誰でも読める・書き込めるものとした。筆者は必ず書きこむ。自分としては、人の名前とともに、言葉やしぐさを書きとめたいと思った。どうしても概念的な思考が先走って、生きている人間たちの姿を再現するのが苦手の筆者に、自ら課したハードルでもある。いま、あらためて読むと、自分ながら面白い。

やはり釜ヶ崎の住人で、障害者年金をもらっている石川くんという男性と話す。親と暮らしていたがその親が亡くなり、自分名義の家が遺ったところへ、姉夫婦が同居。姉の夫はギャンブル好きで、借金まみれ。ココルームで縁ができたGO WESTの学生などは、一人暮らしを勧めるが、本人は自分が出たら、ごみ出しを誰がやるのかとか、借金取りの追及が厳しくなるのではとか言って、踏ん切りがつかない。そんなところは、恩間新田で一年中風呂も入れず、食事も満足にもらえなかったが、それでも家を出るとは言わなかった、わらじの会の障害者たちを想起させ、不思議な親近感を抱いた。

家主でつれあいの水谷が顔を見せ、食器棚を二階に運んでくれたことに、感謝のことばを発していた。また、最近着付けを覚えた彼女は、原田麻以さんの着物に、大いに触発されたようす。

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