共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 克己絵日記と写真でつづる見沼福祉農園収穫祭(11.23)

<<   作成日時 : 2010/12/10 00:03   >>

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見沼福祉農園は、県が整備し、市民団体等が参加する同農園推進協議会(猪瀬良一代表)が、運営・管理を担っている。
 見沼田んぼは、乱開発防止の網がかけられて環境が維持されてきた、首都直近では最大規模といわれる農業地帯。しかし、ただ保全というだけでは、田畑を耕す人がいなくなり荒れてゆく。そこで、今に至るまで、見沼田んぼの保全活用をめぐり、県の方向性が問われてきている。
 現在の福祉農園の由来は、80年代後半、埼玉で、「どの子も地域の公立高校へ」と求める運動がおこった頃、その火つけ役ともいえる「ぺんぎん村」が、県に対し、福祉農園の計画を投げかけたのがはじまり。当時、やはり見沼田んぼの一角に、県が障害者交流センターを建設する計画も進んでおり、私たちも一緒になって、交流センターより共に働く福祉農園をと求めた。それからかなりあとになって実現した福祉農園に、わらじの会も畑をもつことになった。当初は、障害者団体・施設が主に参加していたが、現在は若者が中心の風の学校やロータリークラブも参加して、推進協議会が行われている。詳しくはこちら→http://homepage2.nifty.com/minumafarm/ 推進協議会事務局長の猪瀬浩平さんが、見沼福祉農園の実践を踏まえ、さらに広がりと深まりを探るべく企画し、風の学校メンバーが多数裏方で動いていた日本ボランティア学会原っぱ大会についてはこちら→ http://vgakkai10.exblog.jp/13525529/       →http://yellow-room.at.webry.info/201007/article_2.html

 毎年、11月23日に行われている収穫祭に今年も行ってきた。月刊わらじ表紙に写真と短い文を載せる予定だったが、別の記事にしてしまったので、ブログで書くことにする。どうせだから、月刊わらじ12月号の克己絵日記を参照しながら。

 写真は、総持寺(見沼代用水東縁の脇の寺)の駐車場から歩き始めた一行。先頭は橋本画伯。小雨。
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車の通行のはげしい道路を渡り、田圃道にさしかかると、さいたま新都心方面の空が…。にぎやかな音が聞こえてくる。もう始まっているらしい。
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加田屋川沿いの道をゆけば、すぐ農園。
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農園にはもう大勢の人が来ていた。受付を済ませ、新米のご飯と豚汁、それに今年は特にロータリーの皆さんが牛肉を焼いてふるまってくれた。
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月刊わらじ12月号の克己絵日記である。画伯は現場でも周りの情景を目で視ることができない。接触や振動や風や雨から、情景や人の動きを感じとる。絵を描くときも、紙の上のペンが視えない。描かれる線が、年々シンプルになっている。介助がなければ外出もできなくなった画伯は、自らのくらしの暦もまた、シンプルに絞ってきている。その年間の暦に、なぜかこの収穫祭が織り込まれている。下は、10年前、福祉農園が始まって間もないころ、農作業をしていた画伯の描いた絵。大げさにいえば、農園の初期を耕した一人だ。
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からりと晴れてきた。

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地元の農家や県、市の担当課や農機具を提供してくれているホンダや見沼関係の市民団体のみなさんからの挨拶がつぎつぎ。この写真は、たしかロータリーの方。

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農園協議会参加団体の報告のトップにわらじの会からの報告を求められた。そして、このところ農園に来ていない画伯だが、最初にマイクを渡された。そして、「ヴェーヴェーヴェー…」と語りかけた。それが「40人みんなで手話歌をしました。」ということ。就学を免除され、19歳になるまで家の奥に閉じこもって暮らしてきた画伯は、それまで健聴者の文化も聾者の文化も知らぬまま大人になり、わらじの会と出会って一挙に世界の海に乗り出して行った。自分がどんな声を発しているか聴くことができない聾者は、幼いころから健聴者になるべく近づいた音声言語を発するか、それができなければ声を抑えるようしつけられている。画伯のように、内奥から発する声で歌いあげる聾者は、他に知らない。ちなみに画伯は、自分の歌が、何キロも離れている人のところへ響いてゆくと考えている。

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歌い終わった画伯は、他のわらじメンバーにマイクをバトンタッチ。シンプルな道を歩む最近の画伯の人生の暦、そのXデーは、2016年4月28日と自ら決めた結婚式。相手もわからないのに。いにしえの男と女が出会い、語り合い、恋にいたる最大の場が、山や野の歌垣であったように、画伯は歌いかけ、語りかけた。ドンキホーテ克己の思いの何万分の1のかけらであれ、伝わっただろうか。

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歌垣は続く。神人一体の世界、手術台の上でのミシンと雨傘の 偶然の出会いのような。

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神獣が降臨する。生老病死そして再生へと、世界の舞台を回転させ、去って行く。

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画伯の隣に手で話すことのできる女性が。聴覚障害の学生と友達なので教わったという。画伯は他者との初めての出会いでは、名前と住所と年齢を聞き、家族の人数を聞いて、自分の内なるイメージを描く。それで十分。あとは、一緒に歌い、叩き、地面の振動に身をゆだねるだけで。聾唖者仲間の荻野さんは、画伯を「寅さん」と呼ぶ。マドンナが次々と来たってはまた去って行くから。画伯の「結婚」とは、マドンナの永劫回帰なのか、それとも。

寅さんなら、出会いと別れがあり、哀愁の余韻を残してしめくくるところだが、画伯の克己絵日記はこれで終わらない。
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ほんとうは、画伯は福祉農園のトイレに入るんだと予告していたのだが、収穫祭終了後あわてて車に全員乗り込んでしまったので、引き返すのもたいへんだから、さぎ山記念公園まで行ってトイレ休憩をした。画伯は福祉農園の汲み取り式トイレを気に入っている。最近まで自宅が水洗でなかったから、親しみもあるが、黄泉の国との境のような、画伯なりの世界のイメージを掻き立てるようだ。

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そして、買い物。購入する日用雑貨の多くは、しばらく保有された後、けっきょく使われず、知人やバザーに回される。画伯の説明では、未来の結婚相手への贈り物だという。そのかたちは、神への供物に近い。食品はレトルトが多いが、これは画伯が20歳で街に出るようになってから、それまで否応なく毎日食べていた母の味から訣別することに喜びを感じて以来続いている。料理上手の母の手料理をほとんど食べないできた。

 清くも美しくもない画伯のアートは、農園の歌垣を描き上げながら、そこで終わらず、トイレと買い物でまとめる。そこに、ハレからケへと還ってゆく道が描かれている。もちろん、画伯や私たちが帰った後も、風の学校の若者たちを中心に遅くまで片付けがあっただろうが、画伯は、「労働者諸君!今日も一日ご苦労さん」と声を張り上げる代わりに、この絵日記を描いたのだろう。
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