共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 卯之吉さんの通夜で「職場参加」を考える

<<   作成日時 : 2010/12/03 22:38   >>

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一昨日(12月2日)、鈴木卯之吉さん(左上の写真)のお通夜に行ってきた。享年95歳。大往生だ。
  ㋒;株式会社鈴木商店のホームページには、次のように書かれている。
 「創業者の卯之吉は、当時の自作農の次男として生まれました。自ら商売を始めようと昭和15年、若冠25歳で独立し、青物商をスタート。昭和22年9月、カスリーン台風による大きな被害を受けた埼葛地区の農家から使用不能となった米穀を大量に買い取り、飼料として養鶏・養豚・酪農家に販売したのが、飼料商をスタートした大きなきっかけとなりました。以来、養鶏・一般農家のみなさまと長いお付き合いが始まった次第です。」

 冒頭の集合写真は、1952年(昭和27年)に㋒;合名会社鈴木商店」」をスタートさせた頃らしい。37歳前後の卯之吉さんは、左から3番目の前掛けの人。そして、前列の子ども5人の真ん中にいる坊ちゃん刈りの子どもが、㋒株式会社鈴木商店の現会長で、私が事務局長を務めるNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の代表理事・鈴木操さんだ。筆者は生前の卯之吉さんとは、残念ながらお会いしていない。操さんの縁で、通夜に参列したのだ。

 
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操さん(写真)との出会いは、「地域と障害―しがらみを編み直す」に書いた。1995年、克己絵日記出版に際して、橋本画伯の個展開催への協力を、越谷ロータリークラブにお願いした時、社会福祉部長として対してくれたのが操さんだった。その時、なぜか筆者と天皇制論争をする流れとなり、意見は互いに異なったが、こういう話をできる関係はなかなかいいということで、その後親しくおつきあいすることになる。

 不思議な縁である。操さんが県立春日部高校の生徒だった1967年(昭和42年)、国体が埼玉で行われ、天皇が国道を通るので、生徒全員で日の丸を振ってお迎えをしようと、校長が言った。それに疑問を抱いた生徒会が立ち上がり、数日間にわたる討論を行ったという。結果はどうだったか忘れてしまった。ただ、操さんは、お迎えしようという意見だった。しかし、授業をつぶしてまで、こうした社会問題を議論したことはすごい!と、操さんは生徒会を評価した。同級生だった生徒会長とは、いまでも仲がよいという。

 不思議な縁はそれだけではない。当時春日部高校で生徒会の顧問をしていたのは、荒井さんという教員だった。その荒井さんが1988年に行われたある座談会で、その国体の翌年(操さんがおそらく3年生の年)のことをこうふりかえっている。
 「43年ごろでしたか、ちょうど私の勤務していた高校が、いわゆる県内の伝統校の一つでして生徒の活動も激しく、1年間、必死の思いだったのです。…夜寝る時もトレパンをはいておりまして、すぐ飛び出せるような状態で寝たものでした。たまたま学校の近くに住んでいたものですから、学校待機の一員として封鎖を防ぐため、ひどい時には教員20人くらいと学校に泊まり込んだこともありました。…卒業式もまともにできず、20年間の教員生活で、最も緊張したいやな時代でした。」

 
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荒井さんがこう語った1988年暮、彼は埼玉県教育長という要職にあった。その半年ほど前、私たちは3人の知的障害の生徒(猪瀬良太さん、熊谷富美子さん、本間亜貴代さん)の県立高校入学を求めて、県知事応接室に泊まり込んだ。3日目の夜になり、4日目に入った時に、とうとう彼、荒井修二教育長が私達との対話集会に現れ、みんなの声に耳を傾けた(写真は対話集会に出席した荒井さん。後ろは小学生だった現・見沼福祉農園協議会事務局長のこっぺこと猪瀬浩平さん)。それから20数年続いている教育局交渉は、この時の確認に基づいて行われている。

 筆者は、その後、荒井さんが退職されてしばらくたってから、東京駅のホームで再会し、立ち話をしている。お孫さんたちと伊豆へ出かけるところだった。障害児の高校入学の問題で知事応接室でお会いした…と名のると、思い出してくれたようだ。名前は出さなかったが操さんから聞いた埼玉国体の話をすると、当時の生徒会長をはじめ、生徒たちとは今もつきあっていて、家の修理なんかもしに来てくれるんだと、とても懐かしそうな表情になった。教育者たちの座談会で、「いやな時代でした」と語ったときとは、気持ちが変わってきているようだった。筆者自身も、荒井さんを、よき戦友のように感じたひとときだった。 

 ところで、操さんは、高校卒業後、「株がやりたくて」、1969年、同志社大学に入学する。バリケード封鎖まっただ中、授業がないのを幸い、操さんは株に集中できた。そうした環境を与えてくれた全共闘に、株のもうけの一部をカンパした。おかげで、バリケードを顔パスで通り、株式研究会の部室と外を行き来していた。そのため、警察に、大物活動家と思われて、尾行がついたこともあるという。筆者の知っている当時の学生活動家たちの何人かと、その後も顔を合わせたことがあるそうだ。

 1973年、大学を卒業した操さんは、越谷に戻り、株式会社鈴木商店に入社する。もともと鈴木商店は、「米の生産に従事される一般農家のみなさまから飼料となり得る穀物を買い取り、その飼料を養鶏を営む農家のみなさまに供給する」という事業を基本としてきた。
 1960年代の越谷は、全国有数の養鶏産地となり、越谷市の農産物生産額のうち、50%を養鶏が占めたという。また、養鶏業に関連のある飼料業者や食鳥肉業者、動物薬品業者、ヒナ供給の孵化業者などが各地方から集まっていたそうだ。鈴木さんは、当時の越谷養鶏の日常の中で、さまざまな障害のある人々が共に働いていた情景を覚えている。

 しかし、1970年をピークに、越谷の地に根づいた産業「養鶏」が少しずつ、衰退の一途をたどり始める。小規模な養鶏家は次第に脱落を余儀なくされ、企業的経営を推進してきた大型の養鶏家は経営の合理化や設備の改善・充実、そして公害問題の深刻化に伴って、より養鶏に適した環境を求めて栃木県・茨城県へと進出するようになってゆく。操さんが入社した時期に、状況は大きく変わっていったのだ。

 操さんが手がけたのは、埼玉県からさらに郊外へ移動した養鶏家と飼料や肥料の取引を通じてお付き合しつつ、さらに彼ら養鶏家からの要望にこたえて、「生産した鶏卵の販路の新規開拓」に着手することだった。それまでの鈴木商店にとって、鶏卵の販売は未知の事業領域だった。操さんたちは、自分の足で、新しい取引先を探す努力を日々続けた。従来は多くの中間業者を通すことによってコスト高にならざるを得なかった流通ルートの革新を目指し、品質のよい鶏卵を新鮮なうちに、しかも低価格で供給できる仕組みづくりに力を注いだという。

 
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筆者が東京から武里団地に移り住み、団地自治会が作った生協の非常勤職員として働き始めたのは、1976年。生協の車で越谷の養鶏場に卵を仕入れに行き、そこで働いていたMさん(写真の女性。少年はいま杉戸の合鴨の処理場で働いているわらじの会の山崎君。当時中学生。)と知り合う。脳性まひと知的障害のある娘さんで、早朝に液卵(割れた卵の身で、ケーキ等の材料になる)を集めるのが彼女の仕事。わらじの会発足の2年前だった。仕入れのほかにも、養鶏場の中にあったMさんと両親、お兄さん一家が住むお宅にも、ときどきお邪魔するようになった。Mさん以下と公私ともにさまざまなつきあいがあっただろう操さんと筆者が出会うのは、それから20年後のことである。すでにMさんは逝き、M家の養鶏場は茨城県に引っ越して、自動制御の巨大な工場に変わっていた。

 地域で生きる―関係のからまりあいの中に生きる。操さんが代表となり、筆者が事務局長になった障害者の職場参加をすすめる会の「職場参加」とは、労働や生活を個の対象化のプロセスとしてでなく、関係のからまりあいのプロセスとして共有してゆこうという活動だ。

 そんなことを、卯之吉さんの通夜から帰ってきて思い返していた。そして、12月19日(日)に予定している「共に働く街を創るつどい2010」の告知がまだだったのに気がつき、つぶやきのようなメールに添付して送った。
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こんばんは。いかがお過ごしですか。山下です。

 永遠に続くのかと思われた猛暑が終わると、思索の秋、変革の秋は、めぐり来たかと思う間もなく過ぎ去り、ふたたび冬の時代に突入しようとしているかのようです。

 季節も、時代も、花や葉を散らし、ときには地上から姿を消しつつ、地中に張った根っこ同士で、ぶつぶつ、ぶくぶくと、ささやきあい、まさぐりあっているのでしょうか。
 といっても、けっしてそんな冬がしんどいとか、まあしんどいといえばしんどいけれど、それでもきらいではないのです。

 冬だからこそ、根の国の営みや語りを伝えあえる、よい環境が整ったとも思えるのです。冬はみんなが孤立しやすいので、ふだんは会いたくない顔でもつい懐かしくなって、かえって寄りあったりするのです。

 世代や境遇をこえて寄りあうことで、いつもはかくれていた歴史があらわれてきたりもするのです。どう区分けしようとしても区分けしきれない、からまりあい、つみかさなった世界がそこにあって、みんなを眠りにいざなうのです。

 そんな冬にぴったりの恒例のシンポジウム「共に働く街を創るつどい2010」を、12月19日(日)に県立大学で開催します。その案内状、チラシ、要項と職場参加ニュース19号を添付してお送りします。 

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