共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS ホンネ渦巻く地域で 共に学び・働き・暮らし合う日常を切開 12.7研修会へ

<<   作成日時 : 2010/11/23 23:51   >>

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このたび、急遽、以下のような研修会を開催することを決め、案内を送った。日時が迫っているので、当惑している方や、ちょうどいい時にやってくれたという方など、反応はさまざま。でも、まだまだ周知されていないので、このブログでもお知らせする。

分けるな教育!分けるな労働!分けるな暮らし!
共に学び・働き・暮らし合う埼玉をめざす研修会

2010年12月7日(火)午後1時半〜4時半

 与野本町コミュニティセンター・多目的ホール(100人)


プログラム1 埼玉県障害者施策推進協議会この一年の報告

埼玉県障害者支援計画は来年度で期限切れとなり、2011年度の施策推進協議会は、この計画の審議が中心となります。

国レベルでは、障害者制度改革が論議されていますが、私たちの求める分け隔てられることへの反撃、具体的には分離教育から共に学ぶ教育への転換は、文科省・教育関係者の圧力によって阻まれようとしています。
また、障害者制度改革推進会議は、当事者を中心としてがんばっていることはたしかですが、分け隔てられることが差別だという視点、健常者社会を問う視点は、やはり希薄であることは否めません。

 ちなみに、埼玉県障害者施策推進協議会は、委員が大幅に交替し、かって「彩の国障害者プラン21」を策定した2003年当時の活気は失われており、今のままでは来年度の計画検討作業の結果、基本理念の「分け隔てられることなく」自体削られかねない危機的状況にあります。
 私たちがつむいできた地域で共に生きる関係を、そのまま支援する施策として県に認めさせてきた全身性、デイケア施設、生活ホームなどの制度や、福祉と労働の谷間をこえる職場参加の活動への公的支援など、それなりに積み重ねてきた県との関係も、先が見えなくなりつつあります。

そうした中で迎える来年に向けて、埼玉の現状を確認した上で、私たちのスタンスを、定めてゆきたいと思います。


プログラム2 「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会の報告

 高校問題は、「共に学ぶ」と「共に働く」、「共に暮らす」の接点に位置します。近所のお友だちと一緒に育ってきた関係を、地域で一緒に働き・暮らし合ってゆく関係へと広げてゆけるかどうかは、ここ二〇年の大きな課題といえます。

 その意味で、高校をどう地域にひらいてゆくかは、私たちの航路を定めてゆくための北極星のような位置にあります。つい最近、新潟で開かれた全国交流集会のようすや埼玉の現状と課題を共有したいと考えます。

さ来年の全国交流集会を埼玉でという提案も受けています。


プログラム3 質疑応答と来年に向けての意見交換

 「地域で共に」と自立生活や共に働く活動を進めてきた私たちも、事業体の運営に多忙となり、日常的には狭い関係の中であがいています。やはり自治体、国を変えてゆかなければ、活動の展開はおろか、初心すら見失いかねません。大きな曲がり角にさしかかっています。
「共に学び・働き・暮らし合う埼玉をめざす研修会」に、ぜひご参加ください。

主催:社団法人埼玉障害者自立生活協会080-6608-1275(植田)  埼玉障害者市民ネットワーク090-4938-8689(大坂)どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会048-942-7543(竹迫)


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 冒頭に、急遽開催を決めたと書いたが、きっかけのひとつは、11月14日に行われた「障害者制度改革に関する埼玉フォーラム」で、私たちの置かれた状況をあらためて認識したこと。

 この埼玉フォーラムは、内閣府の下に設置された「障がい者制度改革推進会議」のまとめた「第一次意見」に対する全国各地域の意見を聴くという公聴会的な性格をもっており、主催は同会議で、各地の障害者団体が実行委員会を作って開催するかたち。埼玉では、全県的な障害者団体のほとんどが加盟する埼玉県障害者協議会が呼びかけ、同協議会に参加していない埼玉障害者自立生活協会も実行委員会に参加した。

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 筆者が属する自立生活協会の意見は、「第一次意見の基本的考え方として、権利の主体、差別のない社会づくり、地域生活については、まったく賛同します。」ということ。
 ただし「第一次意見書では、「共生社会」を障害者も健常者と同等な個の自立が認められる社会と説明されていますが、これでは不十分です。障害者を分け隔て、排除することにより形作られてきた健常者の育ち方、学び方、働き方、暮らし方を問い直してゆくことが必要です。それには、一緒に育ち、学び、働き、暮らし合う中で、ぶつかりあう過程が不可欠になります。
 分け隔てられているが同等という方向をめざすのでなく、まずはこれ以上分け隔てない関係をつくる中で、同等でない部分をどうしてゆくのかを含め、一緒に考え合ってゆくことが大切だと考えます。」という注文をつけての賛成だった。

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 ところが、埼玉フォーラムでは、フタを開けてみたら、第一次意見に対する反論があいついだ。シンポジストにもなった重症心身障害児(者)を守る会は、「地域において自立した生活を営むことができる制度構築をめざすべき」だが、それ以上に「いのちを守る権利」を優先すべきで、「一方的に施設、病院から退所させ、又は入所させないということであれば納得できない」と主張する。

 埼玉県高等学校教職員組合は、特別支援学校の教員たちも参加する組合。同組合は、「特別支援学校や特別支援学級は、インクル―シブな教育制度の中に包含されるものと考えています。」と、文科省と同じことを述べる。第一次意見の「普通学級籍」の考えは、「これまでの日本の障害児教育の積極的な到達点をも否定し、障害児の権利を後退させることにもつながりうるという心配があります。」という。そして、「どの学びの場を選択した場合においても、同等の権利が保障される制度を求めます。」

  「どの学びの場を選択した場合においても、同等の権利」??特別支援学級や特別支援学校の教育は、普通教育に「準ずる教育」と、制度的に位置付けられている。この「準ずる」も意味不明だが、それでもどちらかといえば、この「準ずる」のほうが、先に述べた「踏み台」の感覚が残っている気がする。どのような尺度で「同等」を測定するのか?

 施設や特別な教育の場がなくなったら、「いのちを守る権利」が奪われたり、「障害児の権利」が後退させられるという危機感は、その他のさまざまな団体からも表明された。施設にしても、特別な教育の場にしても、もともとは一生社会から隔離するための場としてつくられたわけではなく、むしろ社会へ参加するための踏み台として期待されていたはずだ。

 ならば、地域社会がそのありかたを見直し、一緒に生きるための取り組みに向けて仕切り直そうということになれば、やむをえず用意してきた特別な場を、連動して見直してゆくことに、何の異存があるのだろうといぶかしく感じるのが当然だ。だが、そうではない。いったん分けられた社会制度になってしまうと、そこに生きる人々にとっては、分けられている状態が自然になる。

 
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それは、インクル―シブな社会へ向けて、施設や特別な教育の場をなくしてきたヨーロッパの人々にとってもそうだった。だから、福祉や教育にとどまらず、産業や都市計画をはじめとした全社会的な改革を、ヨーロッパでは進めてきたのだ。「障害の社会モデル」という推進会議の考えは、こうした改革の表現ともいえよう。
 ただ、裏返せば、それだけヨーロッパ各国の矛盾が煮詰まっていたということもいえる。高度成長期、日本の労働組合は、「ヨーロッパ並みの福祉を!」と訴えていた。しかし、その当時のヨーロッパは、施設や特別な学校に多数の人々が隔離される社会でもあった。

 ひるがえって今の日本では、福祉や教育が遅れているという表現に示されるように、「重度障害者」とされる人びとが家族と共に、なかにはアパートで介助人をやりくりして暮らしているし、知的な障害を持つ子どもたちが近所の友達と一緒に学び・育っている状況が、そう珍しくない。(長くなったので次のブログにつづく)

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