共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS たかが計画 されど計画 ― Kが城を発つとき

<<   作成日時 : 2010/10/30 15:21   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
…こうした足場なしに社会計画や政治に向かい合おうとすれば、フランツ・カフカの「城」の主人公Kのように、自らを招いたものの目的にも存在にも近づけないまま、永遠の待機者になってしまうのではないか。(本文参照)

 越谷市には地域福祉計画※があり、筆者が事務局長を務めるNPO法人障害者の職場参加をすすめる会から、事務局員である障害当事者の日吉孝子さんが委員として参加している。
 その委員会のワークショップでは、「ジョブコーチ育成」が掲げられたという。が、具体的ではなく、委員の彼女も障害者計画に基づく障害者就労支援センターや、その事業である障害者地域適応支援事業(福祉施設・院内デイケア等の障害者が職員等の支援を受けつつ市役所をはじめ公共機関や企業で職場実習を行う)の「支援パートナー」との関連を探るきっかけをつかめずにいる。

※越谷市地域福祉計画については、こちら→http://www2.city.koshigaya.saitama.jp/kurasi/kenko/syakaihukusi/tiikifukusi/files/tiikifukusi21-62.pdf

 さらに、気が付かなかったが、今年度から同市の新しい※※次世代育成支援行動計画がスタートした。その中には、総合振興計画基本計画素案と同様に、障害児施設整備事業が盛り込まれてしまっている。

※※越谷市の次世代支援計画については、こちら→http://www2.city.koshigaya.saitama.jp/kurasi/kosodate/ikuji/jisedaikouki/files/jisedaikouki_zentai.pdf

 また、107の会に参加する障害者施策推進協議会委員たちの働きかけにより、現行の障害者計画の教育分野では、「障害のある人とない人が分け隔てられることなく、共に学び・共に育つ」と書かれている。
 そして、施策としても、「ともに学ぶ教育の推進: 障がいのある子どもとない子どもが、分け隔てられることなくともに学び育つことができるように、多様な支援方法を検討して障がいのある子どもの地域の通常学級での支援を進めます。(指導課)」と述べられている。

実際には、市教委は何も具体的行動をとろうとしない。けれど、もしも一歩前に進ませる気があれば、その裏付けを計画は用意してあるわけだ。これを盛り込ませるにあたっては、施策推進協議会で、長く熱い議論が必要だったことを思い出す。

 しかし、総合振興計画基本計画素案でも、次世代育成支援行動計画でも、このような障害者計画の「共に!」ハートは、いっさい伝えられていない。どこにでもある「個別のニーズにあった特別支援教育の推進」が挙げられているだけだ。

 さらに、今日、越谷市のホームページを見たら、越谷市教育振興基本計画素案※※※に対するパブコメを募集している。ここにも「障害児支援施設」と「特別支援教育」が…。

※※※越谷市教育振興基本計画素案については、こちら→http://www2.city.koshigaya.saitama.jp/sisei/kyoikuiin/kyoikusinkokihonkeikaku/soannnitaisuruikennkoubotetuduki/files/zennbunn.pdf

 むなしさが、増幅してゆく。鏡張りの部屋に閉じ込められた感覚に襲われる。無数の虚像に囲まれて、自分達の位置も形もわからなくなりそうだ。

 筆者は、もちろんパブコメに一切期待を抱いていない。ただパブコメを出したときに、それを活動に関わる人々にもメール等で送る。互いの討論の資料として、提示する。その意味ではよい機会だと思っている。けっこう反応もある。

 また、これらの計画一般、要するに社会計画というものに対しては、「たかが計画、されど計画」と考える。どんなに将来を予測して計画を立てようとも、その予測や理念自体が、いまの時代の意識にひきずられている。極端にいえば、一寸先は闇でしかない。だから、たかが計画だ。

だが、逆に、将来ではなく、いまを誰とどう生きるかについて、将来計画という幻想を媒介にしてせめぎあうという意味では、されど計画でもある。

また、現代の政治が、マニフェストばやりに象徴されるように、社会計画をぬきにはありえないとすれば、「たかが政治、されど政治」と置き換えてもよい。

そして、「たかが政治、されど政治」と限定つきで語れるには足場がなくてはならない。.
 その足場とは「社会」というよりも「地域」だろうと、筆者は考える。

 あえて「地域」と表現するわけは、「地域と障害―しがらみを編みなおす」(わらじの会編・現代書館)で述べたように、「家族、ご近所、学校、職場といった『場』の重要性」ということになる。
 こうした足場なしに社会計画や政治に向かい合おうとすれば、フランツ・カフカの「城」の主人公Kのように、自らを招いたものの目的にも存在にも近づけないまま、永遠の待機者になってしまうのではないか。(下の写真は、107の会の今夏の暑気払い)
画像
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
たかが計画 されど計画 ― Kが城を発つとき 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる