共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS わらじ大バザー終る U くらしの地層があらわれる

<<   作成日時 : 2010/10/29 01:54   >>

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わらじの会ホームページ →http://warajinokai-33tomoni.web.infoseek.co.jp/ からリンクを張って「デジブック」というスライドショーで、先日のわらじ大バザー2010の風景を伝えている。ただ、このデジブック、無料版だと30日間で消えてしまう。
バザーの前宣伝で作ったデジブック「わらじ大バザー史T」は、本日10月28日時点で、「あと10日」と表示されている。過去のバザーのスナップ集で、亡くなった人や珍しい人がたくさん出てくる。→http://www.digibook.net/d/3154c5d7a05cb90cfdc07fb47658245d/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true
 「わらじ大バザー史U」もある。こちらのほうは、後11日で消える。→http://www.digibook.net/d/b05589b3b099bb4979a3fd22fe50250f/

利用料を払えば保存されるのだが、迷ったあげく、消えるに任せることにした。さびしくなるが、それがまつりのあとの素直ななりゆきというものだろう。

 わらじ大バザー2010のデジブックは、第1報から第4報まで、4冊分作った。1冊が写真50枚。今回もたくさんの名場面があるので、ぜひご覧あれ。消えないうちに。

 以下は、そのわらじ大バザー2010 第4報に付けたキャプション。これも一緒に消える運命なので、ここにコピーしておこう。

 ケの連続がマツリに飛躍する。非日常とは、日常の鎖が自らの重みできしむ瞬間に現れる。さすれば、マツリの中には、それぞれの日常がこれ以上煮詰められないほど煮詰まって、変化(へんげ)した形が躍り出ているだろう。何が異常で、なにが正常なのか?障害とは?病気とは?そんな区分けの危うさを、マツリが証明する。

 デジブックが自動的に消滅するずっと前に、まつりの登場人物たちは、生活や労働の場に戻っている。その一端をつぎに…。

 
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筆者に車椅子を押させて会場内を回遊していた女性は、本間亜貴代さん。かって、どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会が発足したとき、猪瀬良太くん(現・ぺんぎん村)、熊谷富美子さん(現・めだかの会)とともに県立高校の門をたたいた。90年の1ケ月にわたる教育局リレー座りこみの時は、排除しようとする職員たちに、回し蹴りで対抗しようとしたシーンが思い出される。当時は、すでに、吉川高校定時制の生徒だったが、後に続く者たちをずっと応援した。

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 元1年間ボランティアで、いま新座のNPO法人にんじん畑で介助の仕事をしている安倍千央さんに車椅子を押させている女性は、東佳子さん。彼女の親類で関西に住む人が仲立ちになって知り合った。
その二人は、バザー終了後、筆者と安倍さんに送られて、草加市が作ったケアホームに帰った。たぶんこの次に会うのは、「みんな一緒のクリスマス」の時になるだろう。

 このバザーのために、この春県立大を卒業して赤城山の病院や長野県大町の病院で働き始めた若者が、はるばる来てくれた。栃木や神奈川から泊まりがけできた人も。そして、恒例となった水上プロレス(冒頭写真)にもたくさんのレスラーが、遠くから夜行バスなどで、手弁当で来てくれた。その夢のあとの日々を、みんなが生き始めている。

 そんなまつりの嵐が通り過ぎた朝、ふと見ると、長いときを経て堆積してきた、人びとのくらしの断層が、顔をのぞかせていたりする。

 
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バザーの搬入の日に、唯一の同居家族である母・ミツエさんが入院し、三度目のサバイバル作戦に入った橋本克己画伯。バザー会場では、TOKOの相談所で、会関連書籍の販売を担当した。あまり客もなく、自著の「克己絵日記」をめくっては、心眼で読みながら、手話で反芻していた。

 そのミツエさんは、幸いにも22日(金)には退院できた。ちょうど1週間。画伯はニコニコだが、筆者らもうれしい。
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 ミツエさんが入院した時、前に不十分にしか聞けなかった若いころの話を、じっくり聞きたいという思いが、不意に湧きあがった。退院してきて、少し体力が戻ってきた28日(火)から、少しずつ聞き始めた。
 
 ミツエさんは、1929年栃木県の足利生まれ。小学校6年生卒業後間もなく、隣村の地主が自宅で経営する織物工場に年季奉公する。盆暮れに家に帰るときにもらう「ひきせい(お仕着せ)」と呼ばれる着物や帯などがほしくて、ほしくて、奉公に入った。

 同じ年ごろの娘たち5〜6人が、朝5時半から夜8時まで働きづめ。休日は原則としてない。  
与えられる食事は茶碗の半分が大根葉やさつまで、米は半分しかない。深夜、主人の台所の釜から飯を盗んできたりもした。

 停電で工場の機械が止まっても休めず、田畑の草取りや山の下刈などで働かされた。厳しい労働に耐えかねて、夜逃げてゆく娘も多くいた。足利銘仙―かって日本の主力産業の一角を支えたのは、こうしたくらしだった。


 「でも、それで畑づくりを覚えられたかな」と言う。ミツエさんは、両方の大腿骨に人工関節を入れ、膝も悪いが、家の裏の畑づくりをやめない。沢庵を漬け、重い石を持ち上げて、足や腰を痛める。隣市で家庭をもつ画伯の妹・真由美さんが来ると、あれこれ指図して畑仕事をやらせる。そして、「ずいぶん上手になったよ。」と目を細める。
その真由美さんに、ミツエさんがたまに年季奉公時代の話をすると、「そんなのわからないよ」と言われるという。ミツエさんとわずか14才しかちがわない筆者にしても、想像を絶するくらしだ。

 
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筆者が聞き書きをしていると、ミツエさんがうれしそうに「昔の話、おもしろいでしょ」と言う。「会報に出すの?恥ずかしいよ。」と言う。聞き返しているうちに、断片がつながり、ミツエさんの顔がひきしまり、目が輝く。

 「ひきせい」について語る時、ミツエさんは少女の顔になる。まつりの記憶は、80年たっても鮮明によみがえる。

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