共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 分けられた側の影の文化―一緒にいるしかない 総合県交渉二日目を終えて

<<   作成日時 : 2010/09/08 01:43   >>

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今年の総合県交渉では、分野別の県担当者の回答と質疑応答が行われる前に、いくつかの団体・個人から、要望書の趣旨を補足するプレゼンがなされた。9月2日、二日目の前半は、義務教育・高校教育で、後半は特別支援教育だった。

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 前半が始まる前に三つのプレゼンがなされた。そのひとつは筆者が行った。「教育から共育へ ―橋本克己さんの場合」と題し、橋本画伯に登場願いながら、パワーポイントを併用した。
 橋本克己さんは現在52歳。聾唖、弱視、下肢まひという障害ゆえに就学免除にされたまま大きくなった。近所の子どもたち同士の関係も奪われ、19歳まで家の奥の一室にこもって暮らしてきた。家族とのコミュニケーションは、食べる、出すといった数種の手ぶりで事足りた。そのかわり、日々の歯車がひとつ食い違うと、パニックになり、家中の物を破壊し尽くした。
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 共倒れを避けようと施設入所を準備していた時期に、一家はわらじの会と出会い、街に一緒に出始めた。克己さんは本物の電車やバスに乗り、いろんな人と出会うたびに、感動と共に、手話や漢字を覚えていった。家でのパニックの回数も減り、家族は施設入所を見送ることに決めた。それから30年余り、大渋滞を巻き起こしながら道を行く「未確認迷惑物体」、毎日電車に乗って一人で小さな旅を続ける「無名の有名人」、そして「克己絵日記」2巻を世に問うた「橋本画伯」として、独自の文化世界を切り開いてきた。

 教育局に投げかけたのは、就学免除が子ども時代を奪うことで、いわば人生免除であること、その限りなく重い事実をどう受け止めるのかということ。定時制高校等には、画伯と同年代の生徒も時折り学んでいる。義務教育を終えていさえすれば、誰でも高校入試は受けられる。学力が測られるのは、入試の段階だ。ところが、義務教育を奪われたものに対しては、追いうちのように、中学校卒業程度認定試験を通ることが条件づけられる。ブラックジョークというほかない。

 かんちがいされると困るが、筆者はたんに不当性を告発しているのではない。これは、就学免除の話に限らない。聴こえない子どもたちが聾学校に集められるが、そこでは聴こえる教員が口話教育を基本として教える。しかし、子どもたち自身は、手で語り合い、その歴史的蓄積が「ろう文化」と呼ばれる独自の文化世界を紡ぎだしている。

 あの青い芝にしてからが、そもそもは光明養護学校という肢体不自由児の学校の卒業生の会だった。

 すべからく、社会はその進歩に追い付いて行けない者、邪魔になる者を、足手まといになるより分相応の幸せをと、別枠を作って分けてゆく。分けた側は、やがてそのこと自体を忘れてしまうが、分けられた側はたんに普通の市民に準じた二級市民としての権利保障に甘んじるだけではいられず、自分達の逆境を強みに変じ、時空をゆがませながら生きるスタイルや思想を、長いことかけて育んでゆく。そのいわば影の文化の重さを、社会はよく知らない。
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 たとえば、故・新坂姉妹の暮らしてきた「つぐみ部屋」では、日常的な介助は耳の遠いおばあさんとその連れ子の重複障害のおばさんだった。姉妹は縁台に車いすを付けると、両足をおばあさんに引っ張ってもらって和室に入り、ふとんで寝て、這って和式のトイレにも入っていた。しかし、数ケ月、姉妹が検査入院した時、車いすとギャッジベッドの生活を続けたため、退院後二人とも足が曲がらなくなり、這うことやぶとんで横になることができなくなった。座ったままでしか寝られなくなった。
 社会はそれぞれの時代に支配的な物差しで、人を測る。分けられ、奪われた者たちは、何かが足りない者として、特別な支援によってハンディを埋め合わせてあげなければいけない対象として、位置付けられる。障害の状況に見合った特別な支援として与えられるものが、影の文化を壊してしまう。

 つい先日、私が参加している「越谷市新障害者計画をすすめる会(通称107の会)」で、文教大学教員の星野晴彦さんを招いて、「自立支援協議会ってなんだろう」という勉強会を行った。なかなかいい内容だった。その中で、星野さんは「児童虐待について最近考えること」と題して、100年余り前の「ケースワークの母」として知られるリッチモンドの言葉をいくつか紹介し、現在でも心すべきこととして述べた。その中で、筆者が特にひかれたのは、「地域との関係を失ってはならない」という言葉だった。

 質疑応答の中で、筆者は星野さんに訊いてみた。「支援の名によって、それまで地域で編んできた関係を壊してしまうことがよくあると痛感している。そういう事例があったら教えていただきたい。」と。星野さんは、以前福祉事務所のケースワーカーだった。ゴミ屋敷のようになって、近所とトラブルになっている人と出会い、なんとかならないかとつきあってきたが、最終的にはグループホームに入ってもらった、それでよかったのかどうか、今でもわからないが、他に道が見つからなかった、星野さんはそう率直に語った。

 たくさんの迷いをひきずりながら、今の星野さんがある。かって、福祉事務所は、相談の第一線であるとともに、措置権も持っていた。最後には決断せざるを得ないぶん、星野さんは悩みつつ、迷いつつ、向き合ったのだろう。もちろん、機械的にふりわけを強いて行くケースワーカーもいただろう。ひるがえって、いま、相談支援が民間事業所に委託されている現状を見ると、相談の場が身近になり、親身な相談ができる半面、さまざまな事業主体にサービスが分業された結果、相談事業者も歯車の一つとなり、本人とつきあいきることがますます困難になっているのではないか。迷いをひきずる過程そのものが、分解されてしまった。

 ゴミ屋敷の話から、筆者も、かってわらじの会にいた知的障害の青年のことを思い出した。彼は、父親が亡くなり、母が働かなければならないため、中学時代から、入所施設で過ごした。18歳になり、退所と同時に、住み込みで職人の見習いをしたが、先輩にいじめられ、食事も満足に与えられず、機械でけがをしたあげく、ついに母のもとへ帰った。別れていた時間を取り戻そうとするかのように甘え、拒否されると逆上した。包丁を投げられた母は、家出した。
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 近所の人が福祉事務所に連れて行き、ケースワーカーがわらじの会を紹介し、つきあいが始まった。生活保護費を袋に分けて、生活費を計画的に使うことから始めた。やがて就職し、給料が入ると、いっぺんに大物家具を買い込み、月半ばで食えなくなったりした。偶然上司が近所にいて、毎朝起こしに来て、一緒に通勤するという、うれしいつきあいも出来たりした。だが、彼の幸せは、夜中、ビールを飲みながら、キャンディーズのジャケットを部屋にぐるりと並べ、彼女たちのレコードを聴き、ジャケットに向かって語り続けることだった。そのうちに眠ってしまい、ガス風呂がグラグラと煮立ち、部屋が蒸気でいっぱいになる。とうぜん朝は起きられなくなり、会社も辞め、生活保護に戻る。そして、昼もあまり外に出なくなった。

 そのうちに、彼の家がゴミ屋敷になり、ハエの発生源になっているので、近所が署名を取って、立ち退かせようとしているという話が聞こえてきた。警戒心が強くなった彼は、回覧板が来ても、玄関を開けないという。

 筆者一人で行くには心もとないので、わらじの会の知的障害の人たちの集まりである「コアラグループ」のメンバーたちと一緒に訪問した。「コアラグループ」は女性ばかりで、年も近く、ほとんどの人がひきこもり気味。活動の中心は、お互いの家を訪ねたり、病院にお見舞いに行くことだった。彼は「コアラグループ」のメンバーに対しては、前から兄貴分として、自分の生活や仕事の体験を語り、相談にも乗っていた。だから、彼は、ずっと閉ざしていた玄関を開けた。
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 掃除の手伝いに来たよと言って、風呂や居間を掃除した。風呂は水ごけが澱んでおり、壁は青カビでびっしりだった。けっきょく掃除できたのは、ほんの少しだったが、今日のところはそれで十分と思われた。終わってみんなが一息ついている時、彼がレコードをかけた。キャンディーズではなく、中村雅俊だった。その曲を、筆者はいまも覚えている。

 「いちばん大事なものは 何? きまっているよ 友達さ
  いちばん嫌いなものいは 何? おあいにくさま 勉強さ
  頭のできはよくないが 心のできは最高さ
  根っから気のいいやつばかり 青春貴族だ おれたちは」
 

 鈍感で、まして中村雅俊のファンでもない筆者だが、この時は腹の底からじーんと来てしまった。
 「コアラグループ」のみんなはとても楽しそうだった。彼はふたたび兄貴分になっていた。
 彼はその後しばらくして、家を引き払い、アパートに移った。

 影の文化の根っこは深く、その総体ははかりしれない。すれちがいを恐れず、じっくりと一緒の時を共有しなければ、つきあい方もわかりようがない。

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 月刊わらじ編集長の巽優子さんは、編集作業のことを「げんこう」と言う。未来のことを、「あした」と言う。ただし、加えて、たとえば「22でしょ」と日付の数字を言う。交渉のことは「こうしょう」。ちなみに、月刊わらじのスケジュール欄に載っている行事は、すべて読めるし、彼女なりのイメージを持っている。ほとんどの行事に彼女が一緒に参加し、具体的な体験をしているからだ。

 「障害」というくくりと影の文化は関係がない。影の文化を測る物差しを社会は持ち合わせない。

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 かって養護学校で、重度重複障害の少人数クラスにいた加藤弘昭さんは、筆者が苦心惨憺して、電動車いすに縛り付けて、なんとか自走できるようにしたら、2キロ離れた駅まで行き、階段の下で車いすを止めたので、居合わせた乗客たちがかついで階段を上がり、改札まで行ってしまった。彼の内なる地図がどれほど広く詳細なのか、彼を分けてしまった私たちには測るすべがない。心理テストも学力検査も、すべて役に立たない。

 だからこそ、いやおうなしに一緒にいること―普通学級、高校、あるいは大学で共に学ぶこと、そして職場で共に働くこと、ご近所で暮らし合うことから始めるしかないのだ。そのことぬきの支援は無用である。

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