共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 共に働くネットワークの源流を探る旅―八王子ワークセンター訪問U

<<   作成日時 : 2010/09/06 11:25   >>

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ところで、今回、筆者に八王子ワークセンターと土居さんを紹介してくれたのは、ワークセンターの会員団体のひとつ結の会の代表で、ワークセンターの理事もやっている脇田泰行さん(上の写真の右端)だった。脇田さんは、かって1989年、「国連障害者の十年サイタマのつどい」の第2分科会「働くことと生きることの間」にゲストとしておいでいただいた。八王子養護学校の教員を早期退職して、結の会を始めたばかりだった。

 そのつどいの記録から脇田さんの発言を抜粋してみる。

 「十年前に『どの子も地域の学校へ』の運動が始まる。日常の生活の中で活動をということで『ぐるっぺ路茶』を開店する。現在は卒業を迎えようとしている青少年の生き方をどうするかという段階になっている。昨年『結の会』を作る。元八広場『結』を作る。5人の卒業生の中で一人は在宅でカルチャークラブ等をやっているが、定時制へ一人、家で手伝い一人、養護高等部一人と私とで運営している。」

 「八王子養護時代、いろんな生徒の職場を開拓してきたが、人間関係のトラブルでやめる子が多かった。作業所に行ってしまう。その中で内職的なものしかやっていない。毎日同じ繰り返しの青春。…『働くこと』について考えてみたいということで始めた。
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 始めて何か落ち着かない。地域にポンと放り込まれた感じがしてならない。タオル持って近所を歩いて回ったが、何か違和感がある。…何を起こすかと常に見られている。『地域』というのはこわいところでもある。…二人の思い。『結』にあまり来たがらない。やっていることも二人にとっては、特におもしろそうでもない。関係が多様であれば面白いのであろうが、モノづくりはのめりこむと、逆に人間関係が狭くなってしまうところもある。…もう一度、普通学級ということを問い返さなければならない時期に来ている。」(埼玉社会福祉研究会「通信」NO.41)

 小島さんの話とは、また少しちがった視点での、八王子養護学校の実践の評価が語られている。
 今回、筆者が脇田さんに連絡を取り八王子ワークセンターを紹介されたのは、数年前に脇田さんが筆者に電話してきて、埼玉県庁のアンテナショップかっぽを見学したいと言われて紹介したことがあり、その時市役所に売店を作ると言われていたので、その結果をたずねたことがきっかけだった。

 八王子ワークセンター…その源流には、八王寺養護学校の思想と実践が存在することは確かだ。しかも、当時の八王寺養護学校の運動には、必ずしもひとくくりにできない発想、考え、思いが、ごちゃごちゃとあったようである。

 1984年の現代書館発行「福祉労働」NO/22 「特集・養護学校義務化から5年」に、まだ八王子養護学校の教員だった脇田さんが、「『就労』を阻む壁」と題して、なんとか高尾山のケーブルカーの駅周辺の清掃作業を担う季節社員として雇ってもらった教え子が、ついにクビになった経過を報告している。その末尾にこう書いている。

 「養護学校義務化を通して隔離と分断の流れが強まり、その流れが卒業後も続く中で、就労という形をとるにしろ、作業所的な場を選ばざるを得ないにしろ、また、意識的に『障害者』や親が生き続ける場をつくり出そうとするにせよ、S夫を通して起こったさまざまな問題、課題はどこにでもあるように思う。こんとんとした『進路問題』はこれからますます多様な試みがなされていくにちがいない。そうであるならばなおのこと、『障害者』と『健常者』が共に生きることの内実をつくり出していくしかないだろう。」

  1984年といえば、私たちの地元では、その前年、わらじの会の重度障害者グループ・自立に向かってはばたく家準備会が、市からの補助金を得て、「はばたく家の店パタパタ」をオープンした。それまでの地域に出て生活や介助を考えてゆく活動に加え、そこに定着して店の仕事を担う活動が加わった結果、水を得た魚のように働く障害者とついていけない障害者のギャップが大きくなった。また、会全体としても、店等の日常活動に関われる人と、夜間や休日などの会議や行事しか関われない人との情報や感覚のずれが大きくなった。そんな曲がり角にさしかかり、水俣に交流に出かけたり、「くっちゃべる会」と称して、立場の異なる同士が参加して、状況をつきあわせる集まりを始めたころだった。

 そして、もう一つ…土居さんは次のように語った。「八王子では、小規模作業所の横断的な団体として、八王寺通所施設連絡協議会が発足しました。その後、通所施設だけでなく、施設を持たない視覚、聴覚等の団体も含めて、八王寺障害者団体連合会が、1986年にスタートしています。きっかけは、総合福祉センターができるというので、そこを当事者で少しでもいいものにしようということで集まったのです。」(NPO法人障害者の職場参加をすすめる会「職場参加ニュース」NO.17)この時の仕掛け人は、若駒の家代表の渡辺啓二さんだという。

 
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第一若駒の家の趣旨は、ホームページ(上の写真)で次のように述べられている。「第一若駒の家は単なる『障害者のための事業所』ではなく、『障害当事者の、障害当事者による事業所』なのです。」
http://greentown-takao.hp.infoseek.co.jp/hukushi/hukushi_wakakoma.htm

八王寺障害者団体連合会がスタートした1986年、後のJIL発足の中心的存在となるヒューマンケア協会が、八王子市の障害者グループ若駒の家のメンバーとダスキンの修了生などを中心にして結成される。代表は、渡辺啓二さん。その後、ヒューマンケア協会は、八王子市の障害者地域福祉計画策定委員会の中で身体障害者部会の座長や委員を派遣し、委員の半数以上を障害当事者として五ヵ年計画を策定するなど、積極的な動きを推進してゆく。また、市のバリアフリーの委員会に参加し、市内の各駅のエレベーター化にも取り組む。

 いっぽう、若駒の家自体は、そこからわかこま自立生活情報室、木馬工房など、さまざまな事業体を派生してゆく。

 ヒューマンケア協会の自立生活運動を進める流れと、そこに同伴しながら通所の場をもって日常活動の地域拠点を展開してゆく若駒の家の流れが、どのようにからみあい、ぶつかりあいしながら現在を作ってきたのか。公開されている資料だけでは、よくわからないが、興味がわく。

 いまのところ、筆者にはわからないことだらけではあるが、八王子ワークセンターが市と協働して、さまざまな共に働く事業展開を進めてこれたのは、たんに八王子の障害者団体・個人が、他地域よりも心が広く、つながりを求めたという次元では説明できないだろう。

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この八王子には、共に学び・共に育つ運動や自立生活運動をめぐる多くの実践と思考が、30年間にわたりしのぎを削ってきた。その具体的な内容は、筆者にはまだ明らかにできていない。しかし、それらが現在の、八王子ワークセンターの骨格を形作ったことだけは、確信していいと思われる(上の写真は授産喫茶クリエイトでの昼食風景)。

これをきっかけに、八王子という地域の土台をなしている地層を、そこに生きる皆さんの手を借りて、さらに探ってゆきたいと思う。たぶん深層では、埼玉とつながっている部分もあるのだと思う。こうした作業ぬきでの比較は意味がない。それなしでは、なにも学べない。

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