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zoom RSS 「共生の旅団」時代から「地域遠望」時代まで わらじ夏合宿史の試みX

<<   作成日時 : 2010/08/27 02:28   >>

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 前回まで、1979年夏合宿について述べてきた。 その後のわらじの会は、夏合宿で討論会をやったことがない。その代わり、よく近場で1泊の「くっちゃべる会」をやるようになった。
 ただ、この時の討論会では、まだ抽象的な言葉にとどまっていた「地域」が、2年後のはばたく家活動の登場や、各人のその後の生活の積み重ねによって、具体的な形をとってゆく。「施設職員をやってはいけないのか」と反論した学生は、卒業後施設職員となり、かつ入所者を地域へ出してゆく活動に取り組んでゆく。すれちがい、かんちがいがほとんどの討論会だったかもしれないが、こんな「真夏の夜の夢」もあって悪いことはなかったといえよう。

 さて、夏合宿は、その後、どのような歴史をたどったか。
 この後、7〜8年、大部隊による総力戦のようなスタイルが続く。この合宿第1期を、筆者はとりあえず、「共生の旅団時代」と名付けておく。

第1期:共生の旅団時代

1980 山中湖合宿: この年、筆者らは合宿直前までスウェーデンへ福祉体験旅行に出かけていた。


1981 再び日立・河原子海岸合宿: 夜は討論会をせず、地元の勇壮な盆踊りに参加した。この年、はばたく家準備会発足。スウェーデンの友人たちを埼玉に招く。
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1982 保田海岸合宿: 寺の本堂が民宿だった。

1983 八ヶ岳・野辺山合宿: 初めて中央線コースと信越線コースの二手に分散しようとしたが台風でひとつに合流した。この年、はばたく家に市の補助が付きパタパタが開店する。

1984 嬬恋・東海大学研修センター合宿: 故・光子自立生活演習や克己画伯の一人乗車など、地域が開拓されてゆく。
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1985 赤城・緑風荘合宿: 前橋の自立障害者たちの会「たまごの会」と交流。片山いく子が4人の子とともに参加。高橋幸江が2人の子と参加。この子供たちの中から、21世紀になってわらじの会の職員になる者も。越谷で車いすガイドヘルパー制度発足。わずかだが介助料の制度。野島春日部に来て一人暮らし。介助付き生活の草分け。

1986 榛名・榛名山荘合宿: この年、国際障害者年サイタマ5年目のつどいを開催、事務局の中心を担う。

第2期:埼玉―足元の新大陸発見時代
 この時期は、、前年の国際障害者年サイタマ5年目のつどいをきっかけとして、埼玉という足元の新大陸を、みんなで発見し合ってゆく時代である。第1期の「共生の旅団」といった仰々しさを捨て、日常の延長で、臨機応変に途中下車して休憩しながら往復するクルマでの移動に転換する。合宿先に、埼玉の他地域団体や個人をよく招く。ここで出会うことにより、埼玉レベルのシンポジウムや交渉や合宿でのつながりが身近になってゆく。その埼玉レベルのつながりをベースに、大阪、東京をはじめ全国的なつきあいが育ってゆく時期。


1987 滑川町・松寿荘合宿: 埼玉のかっての青い芝メンバーで、閑居山コロニーにも行った安江郁子さんや坂戸の親たちのグループ「ぽてと」と交流。この年、トムテ開店。
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1988 滑川町・松寿荘合宿:車で全体行動。この年、どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会などで知事応接室に3泊4日し、県内のきずなが深くなる。


1989 滑川町・松寿荘合宿:車で往路は二手、あとは全体行動。坂戸の竹とんぼの会と交流。
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1990 吉見・フレンドシップセンター合宿:車でむさしの村経由で。鴻巣のこだわり村、坂戸の竹とんぼの会と交流。この年、バザーを初めて野外で開催(南越谷)。
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1991 吉見・フレンドシップセンター合宿:車で。とんぼの会と交流。この年、県内巡礼、交通アクセス埼玉行動開始。

1992 吉見・フレンドシップセンター合宿:車で。この年、第2回県内巡礼。ぶあく開店。

1993 長瀞・白鳥荘合宿:車で。熊谷住みまちグループと交流。この年、ピープルファースト国際会議(カナダ)に遠征。

1994 鬼怒川・ニューおおるり合宿:久しぶりの電車。二日目は班行動に。この年、第3回県内巡礼。
1995 吉見・フレンドシップセンター合宿:車で往復班行動。二日目はプールに全員で。 この年、パタパタ、べしみ開所。

第3期:拡大版自立生活体験プログラム時代
 この時期、車での合宿は終わり、現在も踏襲されている合宿のスタイル、すなわち、参加者が10人前後の班に分かれ、三日間とも、昼間の行動に関しては、班で計画し行動する形に転換する。日常活動では、1990年以後、はばたく家等で、主にに街に出る活動を中心とした自立生活体験プログラムが行われてきたが、その拡大版といったイメージ。ばらばらになった班のどれかが事故にあった場合、どのように対処したらいいか、しばらくの間は大きな不安を抱えながら。

1996 小淵沢・いこいの村八ヶ岳合宿: それまで長い間、例会班という会の一部のメンバーによる請負作業になっていた合宿を会全体企画へ。そのため、準備が過去もっとも遅れる。 初の完全班行動。自立ネットワークやまなし等と交流。

1997 旭・かんぽの宿あさひ合宿: 銚子のV団体、社協、市役所内売店店長等と交流。この年、東映教育映画でわらじの会をとりあげるため大熊監督が合宿に参加。合宿の1週間後、初のわら細工キャンプ実施。
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1998 高崎・サンピア高崎合宿:たまごの会、幸の会、ゆうゆうグループ等と交流。
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1999 久留里荘合宿: リバース協会等と交流。
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2000 伊豆・潮風館合宿:
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2001 桜川市・あまびき老人福祉センター合宿: 最終日、Iくん脱走事件勃発。しかし箱乗りしてつかまっている彼を知り合いが発見し数十分で復帰。
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第4期;地域遠望時代
 遠くにありて地域をみつめる時代としたが、合宿のスタイル自体は第3期と同じ完全版行動。
しかし、回を重ねて、ばらばらで行動することの不安に対し、腹をくくれるようになり始める。すなわち、拡大版自立生活体験プログラムといった目的意識から、徐々に解き放たれる。日常では、生活支援センターや就労支援センターを担うことにより、新たな障害者(というよりも地域からはじき出され孤立しながらも支援の対象者ではないことを自らの支えとしてきたが遂に刀尽き矢折れて「障害者」となったような人々)との関係が急にひろがり、合宿の参加者の顔ぶれも多様化する。日常的に介助を入れて生活する障害者が増え、介助にかかわる学生や主婦等も増える。それらをひっくるめて、遠方に旅する。この三日間は何かの目的をもつ旅ではなく、旅そのものが目的になる。旅する先で道すじの街や人々と出会い、地域の日常の生をみつめる。

2002 横川・国民宿舎裏妙義合宿: 地元V多数と交流。この年、かがし座、苞開所。
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2003 伊豆・潮風館合宿: 中伊豆リハビリセンター入所者・職員と交流。
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2004 吉井町・牛伏ドリームセンター合宿: 社協通しダンスサークル等と交流。
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2005 一宮町・一宮荘合宿: 大網白里ともに生きる会、長生ともに生きる会、中核支援センター長生ひなた等と交流。この年、越谷市障害者就労支援センター発足。
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2006 那須・おおるり山荘合宿:
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2007 草津・おおるり合宿: 栗生楽泉園を見学。藤田三四郎さんの体験談を聞く。この年、えん開所。
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2008 旭・グロリア九十九里合宿:近隣の障害者団体、機関多数と交流。
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2009 猿ヶ京・ライフケア猿ヶ京合宿:近隣の障害者団体、社協、太鼓サークルなど多数と交流。
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